THE STORY
ジェームズ・ダイソンの物語
選んだ道。その先で、起きたこと。
01汚いものを隠すな
ごみの見える掃除機を売る
客の家から集めたほこりを、わざわざ見せる。髪の毛も、床へ落ちていたごみも、透明な容器の中へたまっていく。店の人々は、その姿を嫌がった。容器へ色を付けて隠してしまえばよい。[1][2]
ジェームズ・ダイソンは、隠さなかった。床は見た目がきれいになっても、掃除機が何を吸ったのかはわからない。透明な容器なら、機械の働いた結果がその場へ現れる。その汚さこそ、買った人へ見せたいものだった。[1]
ところが、この掃除機を自分の名で売り出すまでに、彼は40代半ばになっていた。学生の時に任された船。自分の発明を手元へ残せず去った会社。家を担保にして続けた試作。機械の中を見せることより、その機械を店まで運ぶことの方に、長い年月を費やした。[3][4][5]
02父を失っても学校に残る
海岸の近くで育った少年
地理データ:Natural Earth(パブリックドメイン)。現代の地理と都市の代表位置。出生宅・移動経路ではありません。編集部作図。
1947年、ジェームズはイギリス東部、北海に面したノーフォークに生まれた。父アレックは、海岸に近い町ホルトの私立学校Gresham’sで古典語を教えていた。学校の敷地や運動場は、教師の息子が遊ぶ場所でもあった。[6][7]
英国ではまだ戦後の食料配給が続いていた。必要な品物を何でも自由に買える暮らしではない。ジェームズが子どもだった時代、配給は1954年まで残り、国は教育や医療の制度も立て直していた。1948年には公的医療サービスNHSが発足する。家庭の暮らしの外側も、戦後からつくり直されていた。[8][9]
父の病気は、ジェームズが6歳の頃から続いていた。入浴中の父の胸や背中には、放射線治療の大きな痕が見えた。それでも父は家族をセーリングやキャンプへ連れていく。ジェームズは、父が死へ近づいていると理解しないまま、その時間を過ごした。後に本人が取材で語った、病気の父との記憶だった。[10]
1956年、父ががんで亡くなった。ジェームズは9歳だった。残った家族には、学校へ通い続ける費用の問題が生じる。校長が支援を認め、ジェームズと兄は学費の負担なく教育を続けられた。父が働いていた学校との関係が、そのまま兄弟を支える関係にもなった。[7]
父をしのぶ礼拝は、学校のチャペルで行われた。生徒たちが参列する中、ジェームズは自分だけが特別に扱われることをつらく感じたという。母メアリーは家族を支え続けたが、父がいないことを自分から話すのは難しかった。学校へ残れる支援がある一方で、その学校の中に、父を失った自分も残された。[10]
砂丘を走り舞台をつくる
1965年までGresham’sで学んだ。ラテン語やギリシャ語を勉強する一方、バスーンを吹き、芝居に出て、背景もつくった。長距離走にも取り組み、海岸や砂丘を走った。後に本人は、途中で苦しくなってからも続ける走りを、発明の仕事へ重ねるようになる。[11][12]
進路として選んだのは工学部ではなく美術だった。1965年、ロンドンのByam Shaw School of Artへ進む。父が教えた古典の世界から、今度は自分の手で形をつくる学校へ向かった。[3]
03劇場の金を頼んで船を任される
家具から建築へ
1966年、王立の美術大学Royal College of Artへ入った。最初からデザインの仕事を知り尽くしていたわけではない。家具なら、椅子に座った経験がある。そうした身近なところから関心を広げ、やがて建築へ移った。軽い材料と構造で大きな空間をつくる、バックミンスター・フラーらの仕事に引かれた。[13][12]
演劇の仕事をするジョーン・リトルウッドのために、キノコのような形の劇場を設計した。図面の上には形がある。だが建てるには金が要る。そこで会いに行ったのが、工業用の装置をつくるRotorkの創業者、ジェレミー・フライだった。[13]
フライは資金提供を断った。代わりに、別の仕事を渡した。自分が構想する小型上陸艇を設計してみないかという話だった。劇場をつくるために出向いた学生が、岸へ直接乗り付け、人や荷物を降ろす船を任される。後のSea Truckである。[3][14]
美術学生が実物をつくる
船の構造や材料を学び、図面を引き、実物へ落とし込む。経験がないから課題の前へ出さないという扱いではなかった。フライは、必要なことを学びながら仕事をする機会を与えた。学校の設計が現場へ出て、動くかどうか、使えるかどうかで試されるようになった。[14]
この頃、美術学校で知り合ったディアドラとも暮らしを築く。画家であり、後には独自のカーペットデザインでも働く人だった。やがて3人の子どもが加わった。ジェームズがまだ完成していない機械へ時間を使う時、その生活には、家族の仕事と収入も組み込まれることになる。[3][15]
04女王の船にも赤い絨毯を敷く
Sea Truckを買ってもらう仕事
1970年、大学を離れたジェームズはRotorkで働き、海洋部門を任された。船は模型を完成させて終わるものではない。製造し、相手に説明し、買ってもらい、使えるように届ける。設計と販売の両方が自分の仕事になった。[16][17]
Sea Truckは海外にも売られた。ノルウェーの人々が使う船があり、人や荷物を運ぶ船がある。女王エリザベス2世やフィリップ殿下が使うものには、赤い絨毯も備えられた。同じ基本の設計でも、乗り込む人と運ぶ物が変われば、求められる仕事も変わる。[18]
自分で動かし、使う相手へ会えば、図面では見えなかった不便もわかる。ジェームズは、つくる仕事だけを奥へ引き取りたくなかった。製品を知る人が売る場へ出て、使う人の反応を持ち帰る。その往復を、掃除機より前に経験した。[17]
庭の土に車輪が沈む

図・写真:James Dyson/出典/Public domain。表示用の縮小・圧縮。
船をつくり続ける中で、もっと日常で使う道具にも目を向けるようになった。不便は自宅の庭にあった。普通の一輪車は、細い車輪が柔らかい土へ沈む。荷物を載せると不安定になり、脚も地面へ食い込む。[1][4]
車輪を大きな球へ置き換え、荷台も扱いやすくする。1974年に独立し、Ballbarrowを事業にした。地面へ触れる場所を変えるだけで、押す人が我慢していた問題を減らせる。後にDysonの掃除機で知られる球の仕組みには、庭の土の上を転がった前身があった。[4]
05自分の発明を会社に残して去る
Ballbarrowの権利を渡す
道具を売るには、試作品だけでなく、量産の道具と販売の仕組みが要る。投資家も加わった。ジェームズは発明の権利を会社へ移していた。これで会社の商品として売れる一方、その権利を自分だけで動かせるわけではなくなった。[4]
商品をまねされる問題が起き、対処や訴訟の費用をめぐって取締役会と対立する。最終的に、ジェームズは始めた事業を離れた。自分で考えた道具があり、売るところまで進んでいた。それでも会社を去る時、特許を自分の荷物として持ち出すことはできなかった。[4]
この後、彼は何年もかけた掃除機の技術について、契約や特許を強く意識するようになる。つくった本人であることと、権利を持ち続けることを、別々に守らなければならないと身をもって知った。[19]
広告を撮った邸宅が25年後の家になる
Ballbarrowを宣伝していた1977年、銀行の担当者が撮影場所を紹介した。英国南西部・ブリストル近郊のDodington Estate。18世紀の大邸宅の庭で、ディアドラがBallbarrowを押した。妻も商品の広告へ加わっていた。[20]
約25年後、Dyson家はこの邸宅で暮らすことになる。初めは自分たちの道具を売るために借りた庭だった。それが、世界へ製品を売るようになった家族の住まいへ変わる。その間には、自分の事業を失う時期も、家を担保に出す時期も挟まっていた。[20]
06袋を空にしても吸わない
ごみより小さい詰まりを見つける

図・写真:Encik Tekateki/出典/CC BY 4.0。表示用の縮小・圧縮。
1970年代の終わり、ジェームズは家庭の掃除機にも不満を持っていた。使うと吸い込みが弱くなる。袋がいっぱいになったからだと考え、中身を出す。それでも吸わない。新しい袋に替えると最初はよく吸うが、使ううちにまた力が落ちた。[19][21]
袋はごみを置く容器だけではない。空気を通し、ごみを捕まえるフィルターでもあった。細かな粉が穴をふさぐと、中がいっぱいになる前に空気が通れなくなる。袋の大きさだけを変えても、そこで起きる詰まりは消えなかった。[22]
工場でも似た問題を見ていた。Ballbarrowの金属部品へ粉体塗装をする際、余った粉を回収するフィルターが詰まる。そこで注目したのが、製材所で木くずなどを空気から分離するサイクロン式の装置だった。空気を回転させ、流れからごみを分ける。袋へ空気を通すのとは別の方法が、すでに大きな工場では使われていた。[3][21]
段ボールを掃除機へつなぐ
小さな分離器を手近な材料でつくり、掃除機へつないだ。ごみは分けられる。だが家庭の床には、細かな粉だけでなく、髪や糸、大きなごみもある。小さな物をうまく取れる形が、別のごみではうまく働かないこともあった。[23][19]
粗いごみを先に分け、その後で細かな粉を分ける。能力の違う分離器を順番につなぐ方向へ進んだ。後にDual Cycloneと呼ぶ仕組みである。製材所の装置を小さくすれば完成、という仕事ではなかった。家庭へ持ち込んだ瞬間から、工場にはなかった条件を機械へ加える必要があった。[22]
07完成の日がわからない5127台
コーチハウスの上下で仕事をする
仕事場は英国南西部・バース近郊、自宅に付属する古いCoach Houseだった。かつて馬車を置いた建物の1階に工作機械を置き、上を事務の空間にする。家族の暮らす場所のそばで、売れるかどうか決まらない掃除機をつくり続けた。[24]
工作場から出てきたのは、掃除機だけではない。フライと障害者支援に取り組むスノードン卿とともに、車輪を45度へ傾けた車いすも考えた。段差を越えやすくするためだった。水陸で動くWheelboatでは、後ろへ傾けた羽根を車輪に付け、手づくりの水槽で試した。本人の回想では、水面を滑走できる仕組みになったが、軍事上の意味があるとして商業化の許可を得られなかった。機械が動くところまで進んでも、売れるとは限らない仕事を、この小さな場所でも抱えていた。[24]
紹介によく出てくる試作回数は5127回。1台ごとに全く別の掃除機を思いついたわけではない。条件を1つ変え、結果を確かめる。いくつも同時に変えると、どこを直したからよくなったのかわからない。前の機械を手元へ残し、次に変える箇所を決める作業を繰り返した。[21][12]
袋とは違う仕組みでごみを取れた後にも、日常のいろいろなごみを扱う課題が残る。髪を取り、粉を取り、流れが悪くなるところを探す。完成品を見せるまでの間、毎日の結果は、まだ欠点のある機械と、その次に直す箇所だった。[19][12]
妻の収入と家を開発へ入れる
借金は増え、3人の子どもも育てなければならない。ディアドラは働き続け、家計を支えた。家を担保へ入れる書類にも署名した。開発が失敗すれば、売れない機械だけでなく、家族が暮らす場所まで失う可能性があった。[15][25]
ジェームズは後に、自分を疑う時があったことも話している。一方で、次に調べる具体的な課題は消えなかった。昨日とは違う形を試し、何が変わったかを確かめる。試作に何回かければ終わるかは、その作業をしている家族の誰にもわからなかった。[12][25]
08売り始めた掃除機が550台で止まる
Rotorkの名前で製品にする
試作の手を止めても、製造ラインが自動的に動き出すわけではなかった。ジェームズは自分で工場を持つ代わりに、技術を他社へ使ってもらうライセンス方式を探した。既存メーカーが製品をつくり、売上に応じた対価を受け取る。量産設備のない発明者にとっては、商品を世へ出せる道だった。[26]
以前の勤務先Rotorkが、その技術を引き受ける。1983年と1984年、Kleeneze Rotork Cyclonが生産された。家の工作場にあった機械へ商品名が付き、実際に買える掃除機になった。しかし生産は、550台で止まる。Rotorkが事業を任せた人物の人選を誤ったというのが、後のジェームズの説明だった。自分の発明がようやく製品になっても、販売を続ける足場はまた失われた。[24]
米国の生活用品販売会社Amwayとは、掃除機の特許をめぐる訴訟になり、1991年に和解した。だが、それで関係が終わったわけでもない。1997年には、本人がテレビや新聞へ語った内容について、Amwayが和解に伴う秘密保持への違反などを訴えたと報じられる。技術を守るために始めた争いが、後には、その争いをどう語るかまで問うものになった。[27]
支援者との共同事業を解く
かつて船の仕事をくれたフライは、掃除機の開発でも重要な支援者だった。ジェームズは後に、4万5000ポンド(約949万5000円)でその持分を買い取ったと説明する。長く力を借りた相手との共同事業から、自分で事業を動かす形へ移った。工場を持つ資金さえ十分でない時期に、権利と経営の土台を自分の側へ集めていった。[28]
09日本でピンクの掃除機を売る
西麻布で設計を直す
連絡してきたのは、英国の大手家電メーカーではなかった。日本で海外のデザイン製品などを扱うApexだった。雑誌で試作機を知り、取り扱いを打診した。掃除機の業界の外にいた相手が、新しい技術と形を面白がった。[29]
ジェームズは東京へ渡った。1985年には港区西麻布で、クリーナーヘッドを再設計している。箱に完成品を入れて送るだけでなく、日本側と商品へ仕上げる仕事へ加わった。薄いピンクやラベンダーの色を使った姿は、通常の家電とは違っていた。[24]
製造は、タイプライターや編み機などを手がけるシルバー精工が担った。1986年、G-Forceが日本で発売される。価格は当時25万円。袋がないという機能だけでなく、新しい形の道具として、高くても選ぶ人へ売る入口が開いた。[30]
買った家庭に原点の1台が残る
日本でのライセンス収入は、その後の開発と、自分で製品を売るための資金になった。何年も技術を説明してきた発明者に、その技術を商品へ変え、代金を払う相手ができた。[26]
2014年の取材では、初期のG-Forceを購入し、なお使っている家庭も紹介された。高価で目立つ製品は、展示棚の記念品になったのではない。買った人の家で長く掃除する道具として残った。ジェームズが売り込んだ新しい方式は、生活の中で使われていた。[30]
10家を担保に60万ポンド(約1億円)を借りる
金型を買う前の融資
ライセンス先を探し続けるのではなく、自分でメーカーになる。そう決めても、量産用の金型や道具を買う資金がなかった。必要な金は60万ポンド(約1億円)。試作部品をその都度買う段階から、売るための生産設備へ、先に大きな支払いをする必要があった。[31]
Lloyds Bankの担当者マイク・ペイジが力になった。銀行は当初消極的だったが、彼が融資へ向けて働きかけた。後にジェームズは英国の技術産業についての報告書で、この担当者の名前を挙げる。抽象的な金融制度だけでなく、自分の計画を銀行の中で通そうとする人が、製品の出発点にいた。[31]
ディアドラは再び、家を保証へ入れる書類に署名した。試作を終えれば家計の危険も終わるのではなかった。製品を何台もつくり、売るために、もう1度家族の資産を差し出す。ジェームズたちは、まだ売上のない新しい生産へ進んだ。[25]
11郵便仕分け所からDC01を出す
1993年7月1日の生産ライン
1993年、ジェームズは自分の名を付けた掃除機DC01を発売した。40代半ば。技術を既存企業へ採用してもらう側から、商品へ自分の名を掲げ、使った後まで責任を持つメーカーへ移った。[5][17]
生産拠点は、英国南西部・ウィルトシャーの町チッペナムにある元郵便仕分け所だった。1993年7月1日、そのラインからDC01が出た。家に付属する工作場で試すところから、同じ製品を一定の品質で送り出す場所へ変わった。後に同じ州のマルムズベリーへ拡大する会社にも、この古い建物を工場へ使い直す時期があった。[5]
DC01には透明な容器と見える管、目立つ黄色があった。機械の中を外装で隠すより、構造を見せる形になっていた。会社名を知らない客にも、何が違う機械なのかを、その場で説明するための姿だった。[1]
ごみが見える容器を売る

図・写真:Lankyrider/出典/CC BY-SA 4.0。表示用の縮小・圧縮。
売り場で反対された透明な容器は、そのまま残した。やがて店から、客が透明なDysonを指定していると伝わってくる。奇妙な容器を隠そうとした側が、その容器を目印に客を迎えるようになった。[2][32]
価格も同じではなかった。本人の回想では、他の掃除機が多くは50ポンド(約1万550円)ほどだったのに対し、自社製品は200ポンド(約4万2200円)弱。3〜4倍の価格で、知らないブランドの機械を買ってもらう必要があった。初めに扱った相手の中には、通販カタログの会社がいた。高級店が最初から並べてくれたわけではない。[28]
1995年2月、DC01は英国で販売数量と金額の両方で首位になった。採用を断られ続けた方式が、大手の一製品ではなく、新しい競争相手の名前として店に並んだ。売るために自分でメーカーになるしかなかった機械が、ついに市場の力関係を動かした。[33]
12発明を断った大手と法廷で会う
HooverのTriple Vortex
Hooverが袋のないTriple Vortexを出した。英国では掃除機の代名詞にもなる大手だった。Dyson側は、その仕組みが自社の特許を侵害しているとして訴える。商品が売れるようになった後にも、研究費を次の製品へ戻すための境界を守る仕事が生まれた。[19]
2000年10月、裁判所は特許を有効とし、侵害を認めた。空気を能力の異なる複数のサイクロンへどう順に通すか。争点は、似た色や形だけではなく、粗いごみから細かい粉へ分離する機械の構成にあった。家庭の粉を相手に試した細部が、法廷では権利の範囲として争われた。[22]
Hooverは控訴したが、2001年にもDyson側の勝利は維持された。判決は、以前に採用する機会があった企業が、その後は発明の有効性を争っている経緯にも触れている。[34]
勝訴した後にも期間を争う
特許の残る期間は有限だった。争っている間に売られた製品が、期限後の市場にも有利な立場を残せばどうなるか。後続の手続きでは、期限後も一定期間販売を差し止める判断が出た。[35]
Ballbarrowでは、自分でつくった道具の権利を会社へ残して去った。今度は自分の会社に残した権利を、既存の大手へ使わせないために争った。試作の手を止めずに済む資金は、製品を売り、その技術を守ることで戻さなければならなかった。[4][19]
13よく洗う洗濯機が利益を出さない
2つのドラムを反対へ回す
2000年、DysonはContrarotatorを発売した。2つのドラムを反対方向へ動かす洗濯機だった。機械が衣類をただ回すのではなく、手洗いのような動きへ近づけようとした。袋をなくした次の仕事は、掃除機の改良ではなく、別の家電の仕組みを変えることだった。[36]
掃除機はすでに売れていた。会社の名も知られ、技術者と製造の経験もある。だが洗濯機は、売る価格に対して、つくる費用がかかりすぎた。後に本人は、もっと高く値を付けるべきだったと話す。よく洗えるという本人の評価を、商売の利益へ変えられなかった。[36]
2005年に製造を止めた。ジェームズは続けたい気持ちもあったが、財務を見る仲間の助言を受け入れたと説明している。会社の株を持ち、続ける権限があっても、それを使って製造を続けなかった。発明を捨てずにメーカーまでつくった人が、今度は、自社で出した製品をやめる側へ回った。[37]
14英国の工場から800人の仕事が消える
生産をマレーシアへ移す
海外へも会社を広げた。1990年代半ばからオーストラリアや欧州へ進み、2002年には米国へ入る。パリの店では製品を台へ置き、上には事務所を設けた。家電をただ棚へ詰めるより、機械を見て説明を受ける場所としてつくった。[38][39]
米国での発売前の取材は、ニューヨークのテレンス・コンランの店で行われた。本人が海を渡り、新しい掃除機を説明する。船を売る頃から続けてきた、製品を知る人が相手のいる場所へ出る仕事は、会社が育っても残っていた。[1]
一方、2002年には英国の生産現場へ厳しい決定が来た。掃除機の製造をマレーシアへ移し、英国で800人の雇用を削減する。製造業を支持してきた発明家の会社だけに、批判も集まった。[40]
会社は製造コストや競争を理由に挙げ、研究開発を英国へ残すと説明した。しかし生産してきた人にとっては、自分の仕事がなくなる。新しい掃除機が売れ、工場が大きくなった後で、同じ会社が製造を外へ移す側になった。[40]
モーターをつくる場所も海を越える
マレーシアには組立だけでなく、設計検証や生産準備、試験の仕事も広がった。シンガポールでは、高速モーターを精密につくる仕組みを整える。製品を完成させてから海外へ送る会社から、つくる仕事そのものを複数の国に置く会社へ変わっていった。[41][39]
手元の試作品を直すだけでは、もう商品の品質は決まらない。遠い工場で同じ部品をつくり、他の部品と合わせ、何台も送り出す。発明家の名が付いた会社の仕事には、それを毎日続ける多数の人々が入っていた。[39]
15モーターが小さくなると道具が変わる
中の部品からつくり直す
2002年頃から、従来のモーター自体を小さくする研究を進めた。外装だけを細くしても、中の部品が大きければ機械は小さくならない。小型で速く回り、必要な空気を動かす部品を、自分たちの製品のために育てる仕事だった。[42][43]
最初の世代は2004年に生産され、その後シンガポールの工場で製造を発展させた。2021年には高速モーターの累計生産が1億台へ達する。コーチハウスで1台ずつ試していた会社が、今度は、別の製品の形まで変える精密部品を大量につくるようになった。[39]
DC15へ球を戻す

図・写真:William Clifford/出典/CC BY 2.0。表示用の縮小・圧縮。
2005年発売のDC15では、本体に球を使った。車輪を引きずるように向きを変えるのではなく、傾ける動きで方向を変える。球の中にモーターを置き、重心も低くする。庭の一輪車で使った考えが、別の機械の操縦へ戻ってきた。[44]
Ballbarrowの事業は自分の手を離れたが、使う人が不安定さを補っている道具を見る経験は残った。床を転がる掃除機でも、車輪を昔からの形のままにする必要はなかった。[4][44]
16ロボットを売る直前で引き返す
DC06を店へ出さない
2000年代の初め、掃除機を押す人そのものを不要にしようとした。Dysonが開発したDC06は、周囲を検知して自分で動くロボット掃除機だった。ところが家庭で試す段階まで進めながら、製品化を止める。重く、費用もかかりすぎた。動くロボットを見せることと、家に置いて使いたい商品へ仕上げることの間に、また距離があった。[45]
会社の技術史には、大量のセンサーと電池を積んだ試作機が残る。機械へ部品を足せば、周囲から得られる情報は増える。しかし大きく複雑になるほど、家の中で扱う掃除機からは離れていく。Dysonは発売へ押し切らず、物を見る仕組みを育てる側へ開発を戻した。[45]
掃除機へ目を与える研究者
そこで関係を深めたのが、ロンドンの大学Imperial College Londonで研究するアンドリュー・デイヴィソンだった。カメラで周囲を見ながら、自分の位置と空間の地図を同時に把握する研究を進めていた。床を掃除する機械にも、自分がどこにいて、どこへ行けばよいのかを判断する力が必要だった。[46]
両者は2005年から協力を続け、2014年にはDysonが500万ポンド(約10億円)を投じる研究室を大学へ設けた。同年に発表したDyson 360 Eyeは、全周を見るカメラと赤外線センサーを使い、部屋の形や障害物を読み取る。掃除した場所と、まだ行くべき場所を確かめながら進む機械へ、大学の研究が入った。[46][47]
最初のロボットを止めた後も、掃除機を自動で動かす仕事そのものは捨てていなかった。自宅の工作場で分離器の形を変えていた頃とは違い、今度は長い年月を大学の研究者とともに使った。売れなかった試作機から、別の人との共同開発が続いていた。[45][47]
17空気で水を吹き飛ばす
Airbladeをトイレへ置く

図・写真:FASTILY/出典/CC BY-SA 4.0。表示用の縮小・圧縮。
2006年、濡れた手を乾かすAirbladeを発売した。温風を当てて待つ方式に対し、薄く速い空気を手へ当て、水を取り除く。掃除機で扱ってきたモーターと空気の流れを、トイレで使う道具へ持ち出した。[48]
どちらから、どんな速さで風を当てれば水が取れるのか。手を入れる形も、空気の出る場所も、そのために決める。風を強くすれば音も出る。発売して終わるのではなく、その後も形や音、使うエネルギーを改良した。[49]
吸い込んだごみを分ける技術から、空気そのものを使って別の仕事をさせる技術へ進む。製品が置かれる場所が変わるたび、同じモーターの力へ別の条件が加わった。[43][49]
18輪の真ん中が空いている扇風機
Air Multiplierから風が出る

図・写真:CLI/出典/CC BY-SA 4.0。表示用の縮小・圧縮。
2009年、Air Multiplierが登場した。大きな輪の中央は空いていて、普通の扇風機のような回る羽根が見えない。それでも前へ風が出る。店で見れば、どこで空気を動かしているのか確かめたくなる形だった。[50]
台座の仕組みが空気を吸い込み、輪の細い出口へ送り、周りの空気も巻き込む。羽根そのものが機械から消えたのではなく、見えていた羽根の場所を変え、出口をつくり直した。[51]
19花と靴の展示をめぐって辞任する
Design Museumでの対立
1999年、ジェームズはロンドンのDesign Museumの理事長へ就いた。美術学校から出た発明家であり、掃除機の見た目にも強い個性がある。その本人が、2004年には展示の方針に反発して辞任した。花や靴を扱う展示が注目される中、製品の技術や製造から離れ、スタイルへ偏っているというのが、本人側の批判だった。[52][53]
花や庭に興味がない人の発言でもなかった。前年の2003年には、ロンドンの園芸展Chelsea Flower ShowへThe Wrong Gardenを出している。水が坂を上るように見える仕掛けを置き、見慣れた庭へ機械の驚きを持ち込んだ。女王からも、その不思議な庭を見たいと求められた。植物を扱う場所でも、彼がつくりたかったのは、見ただけでは仕組みのわからない動きだった。[44]
展示を支持する側には、靴や花の飾り方も暮らしへ影響するデザインだという考えがあった。同じ言葉でデザインを扱っても、何を見せる中心へ置くかは一致しなかった。[54]
絵を描き、舞台の背景をつくり、美術学校から出発した人だった。それでも製品の表面だけでなく、働く仕組みとつくる工程まで示したいという考えを譲らない。自分の名が付く会社の外でも、その考えは組織との衝突になった。[13][53]
20息子は熱で傷むLEDを追う
照明を別の入口にする
長男ジェイクは、父の掃除機をそのまま継ぐだけの仕事を選ばなかった。照明を開発し、LEDの寿命を縮める熱へ取り組んだ。長く使えるはずの光源でも、部品の熱を逃がせなければ劣化する。その内側の問題を追った。[55]
DysonのSolarcycle Morphでは、自然光へ合わせて光を変え、用途に応じて灯具の向きも変えられるようにした。発表の前へ立つのはジェイクだった。家族の会社に新しく入る仕事は、父の思い付いた製品だけではなくなっていた。[56]
21髪のために5000万ポンド(約105億円)を投じる
掃除機の会社が髪を調べる
2012年、Dysonは髪の研究へ本格的に入り始めた。モーターと空気の知識はある。だが、髪の違いや乾燥後の仕上がりを知らなければ、髪へ使う道具はつくれない。新しい材料と使い方のために、人と資金を置いた。初代Supersonicの開発投資は5000万ポンド(約105億円)に達する。[57]
普通のドライヤーでは、頭に近い部分に大きなモーターがあり、手で支える重さが偏る。熱を上げれば乾くが、髪への負担も増える。小型のモーター、風の流れ、温度の制御から、道具の配置を変えていった。[58]
Supersonicの穴と持ち手

図・写真:FASTILY/出典/CC BY-SA 4.0。表示用の縮小・圧縮。
2016年、Supersonicを発売した。先端の中央に大きな穴があり、モーターは持ち手の中に収まった。大きい頭を手で支える形から、重さを手元へ移す。リング状の出口から、制御した風を送る構造になった。[57][58]
ドライヤーのリング状の出口は、音と性能のバランスを整えるため25の形を試した。技術者が試作の成果を見せた時、ジェームズは静かにするため出力を下げたのではないかと疑う。手をかざすと、風の強さは保たれていた。自分が命じた開発でも、できた物を自分の手で確かめた。[57]
安いドライヤーの列へ同じ形で入るのではなく、扱いやすさと乾燥、熱の制御を求める人へ売る。高価でも違う技術に代金を払う市場は、日本のG-Forceで1度出会ったものでもあった。Dysonは美容へも研究開発を広げ、その後も投資を続けた。[59]
22研究室でバービーとケンを使う
風で髪を巻きつける
2018年、Airwrapを発売した。熱い棒へ自分で髪を巻く代わりに、風で髪を引き寄せ、巻きつける道具だった。研究初期の2つの装置は、組み合わせて使うことからBarbieとKenと呼ばれていた。まだ1つの製品へ収まっていない機械にも、試すための呼び名が付いていた。[51]
空気が曲面に沿う性質を使い、髪を近づける流れをつくる。完成品では、利用者が髪を近づけると棒の方へ巻きつく。その動きまで来るには、空気の通り方と部品の形を合わせなければならなかった。[60]
一方、従来と違う道具は使い方も覚えてもらう必要がある。その後の改良では、巻く方向を切り替える部品などを見直し、以前の本体にも新しい付属品を使えるようにした。買った後の不便を、次の設計へ戻していった。[61]
製品を試してもらう売り場

図・写真:Tristan Surtel/出典/CC BY-SA 4.0。表示用の縮小・圧縮。
美容の道具は、箱の写真だけでは仕上がりを確かめられない。会社は直営の店で製品を試し、使い方を知ってもらう場所も広げていった。床のごみを取って見せる掃除機とは違い、今度は髪を実際に近づけ、その動きと手応えを確かめてもらう売り場だった。[38][39]
風が顔へ来ると使い続けられない
2023年のAirstraitは、濡れた髪を風で乾かしながら伸ばす製品だった。試験で問題になった1つが、出てきた風を使う人が不快に感じることだった。髪が伸びるとしても、風が当たるたびに嫌な道具では使い続けにくい。[62]
風を人からそらし、拡散させる仕組みを加えた。床で使う掃除機と違い、髪の道具は顔の近くで動く。空気をうまく扱うだけでなく、使う人へその空気がどう届くかも、機械の条件として直した。[62]
235億ポンド(約1055億円)の車を発売しない
N526という秘密の仕事
2014年、ジェームズは電気自動車の開発へ踏み込んだ。電池、モーター、空気の流れ。家電の開発で育ててきた技術を使える部分はある。だが、車へ乗る人の体を守り、道路を走り、長く整備して使う製品を、Dysonはまだ売ったことがなかった。[63]
計画の呼び名はN526。最初のチームは、マルムズベリーにあった昔の掃除機生産ラインのそばで、秘密裏に仕事を始めた。長年の仲間であるピート・ガマックらと、まだ売り場にない車の姿を粘土模型で確かめていく。7人が乗れる大きな車を考え、車輪を車体の端へ寄せ、座る空間を広く取った。[64]
座席には、家具デザインで知られるEamesの椅子から着想を得た形を考えた。ところが車の椅子には、安全のために満たす条件がある。美しく薄くつくれたとしても、衝突する車の中で体を支えられなければならない。ハンドルへ操作を集める構想も含め、家電で慣れてきた設計の自由が、そのまま車へ移るわけではなかった。[64]
英国南西部・ウィルトシャーの村ハラヴィントンでは、飛行場跡を整備した。試験と開発を行う広い拠点が必要だった。2017年に計画を公表すると、電池なども含めた大型投資と将来の発売を掲げた。秘密の一室に始まった仕事へ人が集まり、開発チームは500人規模になった。[65][64]
完成へ近づいた車を止める
2019年10月、ジェームズは社員へ計画の中止を伝えた。会社が明かした理由は、車の技術を形にできなかったことではない。商業的に成立させる道を見つけられなかった。買い手を探したが、その試みも実らなかった。[66]
資金は5億ポンド(約1055億円)規模を使っていた。試作車があり、室内も電池も、具体的な形になっている。だが客へ売れば、つくる費用と、その後を支える費用が続く。技術として誇れる車をつくることと、その車で事業を続けられることは、最後まで一致しなかった。[63]
掃除機では、何千回も直した先に発売があった。洗濯機では、発売した後に製造を止めた。車では、そこまで進む前に会社の金を使うのを止める。彼の手元に残ったのは、販売した車の利益ではなく、売らないと決めた車と、それまでに投じた5億ポンド(約1055億円)だった。[37][66][63]
飛行場跡へロボットの研究が入る

図・写真:TaurusEmerald/出典/CC BY-SA 4.0。表示用の縮小・圧縮。
中止すれば、500人の仕事も行き先を変えなければならない。会社は他の職務への配置などに取り組んだ。車のために加わった人々と、整えた設備を、別の製品へつなぎ直していった。[67][64]
ハラヴィントンには、その後ロボティクスなどの研究が入る。2023年発売の360 Vis Navも、こうした拠点を含む複数の国のチームが開発したロボット掃除機だった。DC06を店へ出さなかった時代から続く開発が、今度は、車を出せなかった場所も使うことになった。[63][68]
飛行場の敷地に、予定していた新車の生産は始まらなかった。代わりに、家の中の位置や障害物を見ながら進む掃除機の研究が入った。開発中止という結末の後にも、人と建物を次の仕事へ移す時間が残っていた。[68]
24本社をシンガポールへ移す
発電所を仕事場に変える
自動車計画を止めた2019年、会社はグローバル本社をシンガポールへ置く方針も発表していた。成長する市場、製造拠点、部品を供給する企業、人材へ近づく。そうした理由を会社は挙げた。製造だけでなく、会社を動かす中心も、アジアへ移す判断だった。[69]
2022年には、改修したSt James Power Stationを本社として開いた。かつて電気を生み出していた大きな建物を、技術をつくる会社の仕事場へ変える。英国の元郵便仕分け所から製品を出した会社は、今度はシンガポールの古い産業施設を使い直した。[69]
英国では、EU離脱を支持したジェームズが本社を国外へ移すことに、矛盾ではないかという批判が出た。会社が挙げる市場や生産の事情とは別に、本人が政治について述べてきた言葉との関係を問われた。[70]
地上62階の住宅を買う
本社をアジアへ移す2019年、ジェームズ自身の住まいもニュースになった。シンガポール中心部の高層住宅Wallich Residence。その62階から64階にまたがる3層のペントハウスを、7380万シンガポールドル(約90億円)で購入したと報じられた。広さは約1960平方メートル。5つの寝室があり、専用の庭とプールまで備える住宅だった。[71]
かつては、家のそばに工作機械を置き、家そのものを融資の担保へ入れた。今度の住宅には、空の上に自分たちの庭を持てるだけの代金を払う。掃除機の事業から生まれた富は、研究施設だけでなく、家族の暮らしにも現れていた。[31][71]
ところが翌2020年10月には、6200万シンガポールドル(約76億円)の売却申し入れを受け入れたと報じられる。購入額より1180万シンガポールドル(約14億円)低い価格だった。これは税金や手数料まで精算した損益の数字ではないが、売買価格だけでこれだけ開いた。巨額の富を築いた後の買い物でも、資産の値段が上がる方へ動くとは限らなかった。[72]
自分の評判を守る裁判では敗れる
Daily Mirrorの論説をめぐり、ジェームズは名誉毀損訴訟を起こした。Hooverとの争いでは掃除機の技術を守ったが、ここでは自分に向けられた批判を争った。2023年、裁判所は請求を認めなかった。[70]
発明者が技術の有効性を示せば終わる訴訟ではない。新聞の批判と、本人が受けたとする評判への害が争われる。大企業に断られた若い発明者は、その頃には、自分への批判を法廷へ持ち込む富と影響力も持つ人物になっていた。[70]
2530日で人工呼吸器をつくる
掃除機の会社へ政府から声がかかる
2020年3月、新型コロナウイルスの感染拡大で、英国政府は人工呼吸器の不足を恐れていた。首相ボリス・ジョンソンは、製造業の企業へ協力を求める。ジェームズも、約80社が参加する電話会議へ加わった。家電の次に何を売るかではなく、病院が患者を支える機械を急いで増やす仕事だった。[73]
Dysonは技術開発会社TTPとCoVentを開発した。呼吸を助ける機械を、使う現場の条件へ合わせて設計し直す。Dysonは、ほぼすべての部門が協力し、新しい人工呼吸器を30日で開発したと発表した。普段は何年もかける製品の会社が、1カ月という時間で動いた。[74][75]
ただ、開発の速さだけでは病院へ入れられない。英国政府は、臨床上の必要性、安全性、規制当局の承認、他の装置の供給状況を見ながら、支える計画を絞っていた。2020年4月末の発表時点では、CoVentは再評価まで支援対象に残る装置の1つだった。誰もが設計を始めれば、すべてが採用される仕組みではなかった。[75]
2000万ポンド(約42億円)を使って引き上げる
5月、ジェームズは、英国では自分たちの装置が必要なくなったと発表した。プロジェクトへ費やした資金は、その時点で約2000万ポンド(約42億円)。本人が負担し、公的資金を受け取らないと表明した。海外で役立つ可能性にも言及したが、調査と時間が必要だとした。英国の病床へDyson製人工呼吸器が並ぶ結末にはならなかった。[74]
翌2021年には、ジェームズと首相が交わした税務の相談が政治の問題として表へ出た。海外の社員を英国へ呼び戻すと、税務上の居住者になる日数へどう影響するか。首相へ直接連絡できる企業家と政府の関係も問われた。政府の説明では、実施したのは2020年3月1日から6月1日まで、医療や製造などの感染症対応者を対象にする一時措置だった。Dysonだけへ適用される制度ではなく、英国で得る所得への課税免除でもなかった。[73]
26足りない技術者を自分の学校で育てる
大臣との会話から始まる学位
工学を学ぶ人が足りない。ジェームズは長く、その問題を訴えていた。2016年、大学担当相ジョー・ジョンソンへ話すと、自分で高等教育機関をつくってはどうかと提案された。会社が卒業生の採用を待つだけでなく、学ぶ場所からつくる方向へ進んだ。[76]
2017年、Dyson Institute of Engineering and Technologyを始めた。高校を出た学生が工学を学び、同時に会社の技術チームで働く。学生は学費を払う代わりに給与を受け取る。学校で理論を終えてから初めて実物へ触れる順序を変えた。[76]
ジェームズ自身、美術学生の時にフライから本物の船を任された。すべて知っているから仕事を与えられたのではなく、仕事をしながら学んだ。今度はその道を、会社と教育機関の仕組みとして用意した。[14][76]
最初の33人が会社に残る
2021年、最初の33人が卒業した。当初の提携先Warwick大学の工学学位を取得し、全員がDysonに残った。会社の発表によれば、4年間で42のチームを経験し、17の発売済み製品へ関わっていた。学生の課題だけでなく、実際に売られる機械にも手が入った。[77]
学生と家族が選んだのは、まだ卒業実績のない教育機関だった。第1期生は、自分の4年を新しい道へ置く。ジェームズは卒業の場で、その選択への信頼をたたえた。[77]
父を失った後、学校の支援で学び続けた本人は、故郷の学校へも金を戻した。2019年の1875万ポンド(約39億円)に続き、2023年には新しい学校施設のため3500万ポンド(約73億円)の寄付を発表した。昔は無料で通えるようにしてもらった場所へ、今度は次の生徒が使う建物の資金を出す。[7]
27子どもが生まれた病院を変える
新生児医療とがん治療へ寄付する
英国南西部のバースにあるRoyal United Hospitalは、2人の子どもが生まれた病院でもある。ジェームズとディアドラは医療のための施設を支援し、2011年には新生児医療の施設が開いた。赤ちゃんだけでなく、家族や職員が過ごす場所の設計にも関心を向けた。[78]
財団はその後、新しいがんセンターへ400万ポンド(約8億円)を寄付する。施設は2024年に患者を迎えた。治療機器を置くだけでなく、自然光や緑、家族が過ごす空間も設ける。病院での時間を、建物から変えようとした。[79]
9歳でがんの父を失った少年が、後年には治療する場所へ資金を出す。家族の時間が重なる土地で、自分たちの経験が関わる施設を支えるようになっていた。[7][79]
28掃除機をつくった会社の資金でイチゴを育てる
農場の熱を温室へ回す
2013年に始めたDyson Farmingは、農地で作物を育て、家畜を飼い、再生可能エネルギーも扱う商業事業だった。家電の横に置く趣味の菜園ではない。機械とデータ、熱や電力の使い方を、食料をつくる現場へ持ち込んだ。[80]
英国東部・リンカンシャーの農業地域キャリントンに、大きなイチゴ温室を建てた。2020年の計画発表時から、隣のバイオガス設備の熱と電力を使う仕組みが組み込まれていた。農場の作物や有機物からエネルギーを得て、残った物は肥料へ回す。温室の暖房と農場の生産を、同じ場所でつないだ。[81]
2021年の最初の収穫期には、5カ月で470トンのイチゴを生産し、販売した。研究装置の中で数個を育てた段階ではなく、食べる商品を店へ出す数量だった。[82]
光を受けるように栽培列を回す
その後は、縦方向へ空間を使う栽培装置も試した。植物を高く積めば、下の列は暗くなる。イチゴを置く列を回し、日光と補助照明を受けられるようにする。床面積を増やす以外の方法で、同じ場所から得られる収穫を変えようとした。[80]
空気、熱、光をどこへ通し、何を動かすか。家電の中で扱った仕事は、別の大きさで農場へ持ち込まれた。新しい技術を試す費用を出せる資本が、その挑戦を支えていた。[80]
29口元へ空気を送るヘッドホンを出す
Dyson Zoneのバイザー

図・写真:KKPCW(Kyu3)/出典/CC BY-SA 4.0。表示用の縮小・圧縮。
2022年、空気清浄機能付きヘッドホンDyson Zoneを発表した。耳を覆う部分の先からバイザーが口元へ伸びる。音楽を聞く装置に、鼻と口へろ過した空気を送る仕組みが加わった。使う人は、家の床へ機械を置くのではなく、自分の顔の前へ装置を付けることになる。[83]
初期の試作には、背負う装置とシュノーケルのような部品を組み合わせた形もあった。そこから空気を送る部品を左右の耳側へ収めた。会社は6年と500以上の試作を経たと説明した。[83]
小さなファンとフィルターを耳のそばへ収めると、製品の外見も変わった。透明な掃除機では容器の中を見せたが、今度は装着する人の顔の一部を機械が覆う。Dysonは長い試作の末に、その姿で歩いて使う道具を売り場へ出した。[83]
30遠い供給工場で働く人から訴えられる
外注先の労働条件をめぐる争い
マレーシアの供給業者で働いていたネパールやバングラデシュの労働者たちが、強制労働や虐待的な条件の下で働かされたと訴えた。直接の雇用主はDysonではなく別企業だったが、訴えはDysonの関連会社にも責任を求めるものだった。[84]
製品へ見える名前はDysonでも、つくる工程には外の会社の工場が入る。労働者側は、その供給網をどう管理し、何を把握していたかを問題にした。まず争われたのは、訴訟をどこで審理するかだった。2024年の控訴審は、英国で進めることを認めた。虐待や責任の有無を確定した判決ではなかった。[84]
2026年1月にも手続きが続いた後、2月26日、両者は和解を公表した。共同声明は訴訟費用や和解の利益を理由に挙げ、Dyson側は責任を否定し続け、和解も責任を認めるものではないとした。条件の金額は公表されなかった。[85][86]
自分の工作場で部品を変えていた時代から、各国の工場が製品を送り出す会社へ広がった。その製品の内側には、使う客から見えない場所で働く人々の時間も入る。会社にとっては、外へ分けた工程についても問われる争いだった。[84][86]
31売上が減っても新しい製品を出す
2025年の売上と利益
2023年、Dysonの売上は71億ポンド(約1兆4981億円)に達した。だが2024年には65億7000万ポンド(約1兆3862億円)、2025年には61億3000万ポンド(約1兆2934億円)となり、2年連続で減収になった。2024年には英国で1000人規模を削減する計画も報じられた。次の製品へ進む会社の中で、残る仕事と失われる仕事が分かれた。[87][88][89]
一方、2025年の営業利益は6億ポンド(約1266億円)へ増えた。会社は13の新製品を発売し、4億ポンド(約844億円)超を研究開発へ投じたと発表する。売上が下がった年にも、手を引く製品だけでなく、出すために費用をかける製品があった。[88]
原点の掃除機を38ミリへ細くする
2025年、日本でPencilVacを発表した。直径38ミリの本体へ機能を収めるコードレス掃除機だった。中には28ミリの高速モーターを使い、ブラシも長い髪が絡みにくい構造へ変える。会社の最初の成功を、その姿のまま売り続けるのではなかった。[90]
2026年9月、今度はCameraJetを発表した。カメラで歯の間を検知し、狙った場所へ液体を噴射する歯ブラシだった。6年の研究開発を経たとする製品でも、小さな機械と制御、液体の流れを扱っていた。空気で床を掃除した会社が、髪を乾かし、今度は口の中へ進んだ。[91]
32バースのクラブを半分持つ
支援してきた街へ戻す資金
2026年、ジェームズはBath Rugbyなどを含むグループの50%を取得した。残る半分を持つブルース・クレイグと対等の立場で、クラブ、スタジアム開発、練習施設へ関わる。スポンサーとして名前を出すだけの関係から、所有する側へ踏み込んだ。[92]
船を売り、家の工作場で掃除機を試していた頃に暮らしたバースとの関係は、会社が大きくなっても続いている。子どもが生まれた病院へ、赤ちゃんやがん患者が過ごす場所の資金を出す。父を失った後も通わせてもらった学校へ、次の生徒が使う建物を支える寄付をする。ラグビーのクラブでは、今度は経営へ関わった。[78][7][92]
かつて銀行の担当者に紹介され、Ballbarrowの広告を撮った邸宅の庭は、後に家族の住まいになった。シンガポールでは高層住宅を買い、翌年には購入時より低い売却価格が報じられた。その一方で、5億ポンド(約1055億円)を費やした車は売らず、病院と学校と新しい機械へ資金を回し続けた。富は増えたが、彼が関わる仕事すべてが成功作として店へ並んだわけではない。[20][71][72][63]
最初に床を掃除していた時には、袋を空にしても機械が吸わなかった。開けて調べ、工場の仕組みを持ち込み、家のそばで何千回も直した。今日、その名前は掃除機の外にもある。髪を巻く道具、農場の温室、工学を学ぶ若者の仕事場。ジェームズは会社の名へ自分の姓を付けたまま、まだ次の機械を試す側にいる。[19][60][80][76][91]
参考文献・出典 92件
本文の番号に対応する資料です。本人・関係者のインタビュー、当時の取材、企業の発表を参照しています。
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写真の作者・利用条件・撮影年は各画像の下に記載。取材資料と写真の出典は別々に確認できます。
※ 円換算は2026年11月2日確認のWise表示値(1米ドル=157.6円、1英ポンド=211.0円、1シンガポールドル=123.2円)を使用。取引当時の為替や物価・購買力を再現するものではありません。 為替出典:USD / GBP / SGD
本文更新:2026-11-02



