NOBRILO起業家たちの原点と、その物語。

リチャード・ブランソン

Richard Charles Nicholas Branson

Virgin創業者。学校を16歳で辞め、雑誌とレコード通販から航空、鉄道、通信、宇宙へ。税事件で家族の家まで危険にさらし、音楽会社を10億ドルで売り、初便1機の航空会社を年間売上33億ポンドへ育てた冒険家。

1950年生まれ / イギリス出身 / 航空・旅行・宇宙

物語を読む
リチャード・ブランソン。2017年2月、ネッカー島。
リチャード・ブランソン。2017年2月、ネッカー島。
写真の出典写真:Anethars/出典/CC BY-SA 4.0。表示用に縮小・カードでは切り抜き。

とにかく、やってみよう。

Screw it, let’s do it.

著書の題名にもなった代表的な言葉。本人が2025年の文章で人生を定義する考え方として記す。 原文 · 日本語は編集部訳

資産と事業

WEALTH & BUSINESS

推定資産

28億ドル

約4,412億円

主な保有資産

  • Virgin Atlantic株式(Virgin Group経由)
  • Virgin関連の非上場事業・Necker Island

Virgin Atlantic

創業者/Virgin側が間接保有

イギリスを拠点に、アメリカなどへ旅客便・貨物便を運航。旅行事業も含む。

年間売上

33億ポンド

約7,111億円

Virgin Galactic

創業者

ロケット宇宙船で短時間の無重力と地球の眺めを体験する有人宇宙旅行。次世代機は試験準備中。

年間売上

1億ドル未満

約2億円

Virgin Group

創業者

航空、クルーズ、ホテル、フィットネスなどへ投資し、Virginブランドを展開する。出資・共同事業・ブランド使用許諾はそれぞれ異なる。

年間売上

公表値未確認

Virgin Voyages

立ち上げに関与/VirginとBain Capitalの事業

大人向けのクルーズ旅行を提供する会社。Virgin Atlanticの航空事業とは別に、船による旅行を展開する。

資金調達額

5億ドル

約866億円

Virgin Records

共同創業者/1992年に売却

レコード販売から音楽制作へ進み、数々のアーティストを送り出した音楽事業。Virginの多角化の起点となった。

Virgin Music Group売却額

5億ポンド

約1,181億円

出典・詳しい補足

Virginブランド各社は異なる資本・経営体制。グループ全体の売上を架空に合算せず、AtlanticとGalacticも別会社の通期実績として示す。 2社の売上は合計しない。

2026年10月28日のApeiron搬入は試験準備段階。商業飛行の実現とはしない。現在の個人資産と会社の売上も別。

円換算は2026年11月2日確認のWise表示値(1米ドル=157.6円、1英ポンド=211.0円)を使用。取引当時の為替や物価・購買力を再現するものではありません。 元通貨の端数処理前の値から計算し、1億円未満を切り捨て。

金額の対象時点・集計範囲

  • Virgin Atlantic — 年間売上 / 2025年12月期・Virgin Atlantic連結売上高 / 会社公表(決算原表)
  • Virgin Galactic — 年間売上 / 2025年12月期・Virgin Galactic連結売上高 / 会社公表(決算原表)
  • Virgin Group — 年間売上 / 2026年11月1日確認 / 売上・評価額・調達額の公表金額を確認できず
  • Virgin Voyages — 資金調達額 / 2023年9月8日発表・当該ラウンド / 会社公表・調達完了。Ares主導の当該ラウンド。別のラウンドや累計額と合算しない。
  • Virgin Records — Virgin Music Group売却額 / 1992年・Thorn EMIへの売却 / 同時代の音楽業界紙による報道。取引対象は音楽グループ全体。ブランソン個人の受取額や現在の年間売上ではない。

主な保有資産・持分の出典

  • Virgin Atlantic株式(Virgin Group経由):Virgin Atlantic — 2025 Annual Report, exact total revenue £3,370.2 million ↗ — Virgin側51%、Delta49% / 2025年12月期 年次報告書 / 2025-12-31 / p80 Virgin Group51%/Delta49%。p118にSir Richard Bransonを最終支配者と記載。51%はVirgin Group側の会社への持分で、本人の直接個人保有割合/総資産構成比ではない。
  • Virgin関連の非上場事業・Necker Island:Forbes — Richard Branson,$2.8bn asof31Oct2026 ↗ — 2026-10-31 / Forbesは会社群と島の所有に言及。個々の最新保有割合や資産配分は未確認で作らない。Virgin Moneyなど売却済み会社を現保有へ含めない。

非上場の持分、ブランド利用契約、個人資産は異なる。公開資料で確認できた対象を記し、現在の全持分や資産構成比を推測しない。

関連事業の確認日:2026-10-31。財務数値の確認日:2026-10-31。金額表示は1億通貨単位未満を切り捨てています。円換算には切り捨て前の元数値を使います。個人資産は保有株式などを含む推計値です。会社の売上は本人の収入や現金残高ではありません。円換算は金額感をつかむための参考で、取引当時の為替や物価を再現したものではありません。投資先・親子会社の売上を合算せず、売却済みの企業は現在の本人保有とは区別します。

THE STARTING CONDITIONS

2つのガチャから見る出発点

高いほど、選べる道や支えが多い。人生の価値ではなく、環境の有利さを表す編集評価です。

時代・場所ガチャなぜこの点数? +87 / 100

1950年のイギリスは戦後の配給が残る社会で、現代と同じ医療・衛生・通信を最初から持っていたとはしない。それでも、出生前にNHSが発足し、学校、交通、出版、レコードの流通へ接近でき、青年期にはロンドンの大きな市場へ出られた。同時代の世界で、戦争や教育制度の崩壊に生活を左右される地域、基礎的な医療・読み物に接近できない環境と比べると有利さが大きい。

成人後は国際航空・通信・金融の市場と、事業を始める法制度、技術者・専門家へ接近できた条件を含める。一方、景気後退や旅行を止めた感染症流行もある。本人が後に所有した島や稼いだ資産、親族がくれた資金は地域の得点へ足さず、家族の個別の支えと分けた。

詳しい評価方法はこちら →
親・環境ガチャなぜこの点数? +90 / 100

同時代の世界を80%、時代を超える共通尺度を20%で比べる。父が弁護士、祖父も法律家で、寄宿学校Stoweへ通い、学校を辞める選択まで父と相談できた。母は電話代や拾得したネックレスの売却代を支え、1971年の税事件では両親が家を担保にして助けた。経済・教育・相談の支えをほとんど得られない同時代の子どもに比べ、失敗しても次を試す足場が厚かった。

家庭が巨大企業を丸ごと相続させた資料はなく、親族の総資産や、父が全ての契約を処理したといった未確認の支援は作らない。学校でディスレクシアへの理解を得にくかった負担はあるが、家庭からの励ましや、音楽に詳しい親族サイモン・ドレイパーの具体的な協力まで消さない。The Manorの用意にも親族の資金が入った。

25歳以後も、初期の支援によって得た事業の足場、家族との相談関係と継続的な支えを含める。妻ジョーンとの長い家庭生活は具体的な支えとして扱う。外部投資家、全ての社員、一般の取引先を近しい人の援助として加算せず、本人が成功後に稼いだ資産も親の資金とみなさない。2025年の妻の死はその後の支えの喪失として説明し、それ以前の人生全てを低くしない。

詳しい評価方法はこちら →

THE STORY

リチャード・ブランソンの物語

選んだ道。その先で、起きたこと。

0110億ドル(約1576億円)を受け取って泣く

好きだった会社を売る

1992年、リチャード・ブランソンはVirginのレコード事業をThorn EMIへ売った。取引規模は10億ドル(約1576億円)。16歳で学校を辞めた少年が育てた会社へ、それほど大きな値段がついた。だが本人は、この売却で泣いたと話している。[1][2]

売ったのは、よその会社が出したがらなかった音楽を世へ送り、若者の騒動まで引き受けてきた事業だった。録音スタジオがあり、長く働いた仲間がいた。手放して現金に変えなければ、次に始めた航空会社を守れない。音楽の仕事がつくった自由を、音楽から離れることで残そうとした。[3][2]

赤いVirginの文字が入った飛行機は、まだ飛ばし続けられる。代わりに、Virginをここまで運んできたレコード会社が自分のものではなくなる。受け取る10億ドル(約1576億円)と引き換えに、無名の曲を仲間と世へ出した日々まで手放すことになった。[2][3]

02読めない少年の家にあったもの

法律家の家とじっとしない母

ロンドンで生まれ、サリーで育つ。全体図と拡大図。
ロンドンで生まれ、サリーで育つ。ブラックヒースは出生地、シャムリー・グリーンは育った村です。現代の代表位置であり、出生宅・病院を示しません。
地理データ:Natural Earth(パブリックドメイン)。現代の地理と都市の代表位置。出生宅・移動経路ではありません。編集部作図。

1950年7月18日、リチャード・チャールズ・ニコラス・ブランソンは、イギリスの首都ロンドン南東部、緑地の広がるブラックヒースに生まれた。父テッドは弁護士で、祖父も法律家。家族はロンドン近郊のサリー州で暮らした。[4][5]

母イヴは、舞台や客室乗務員などを経験した人だった。家でも物をつくって売り、次の仕事を考える。息子にとって、働くとは、決められた職場へ通うことだけではなかった。自分で始め、自分で試す大人が、すぐそばにいた。[6][2]

学校では、リチャード少年は文字の読み書きに苦労した。ディスレクシアがあり、説明や文章を追うのが難しい。当時はその苦労をディスレクシアとして理解されず、学校の勉強では力を出せなかった。スポーツで活躍しても、試験の点数がよくなるわけではない。[7][8]

家の外で試す

クリスマスが来れば売れるはずだ。少年は木を育て、鳥を増やす商売にも手を出した。だが植えればもうかる、飼えば増えるという計算どおりにはいかない。家の外で何かを売ろうとしても、まだ成功は続かなかった。[9][7]

父が弁護士で、寄宿学校へ通わせてもらえる家庭だった。それでも、これから始める事業の金をいくらでも出してもらえるわけではない。自分で始めると言う息子へ、テッドはまず、費用を自分で賄う道を示した。[10]

イヴは、息子を家から離れた場所で車から降ろし、自力で帰らせるような厳しさも持っていた。一方で、挑戦のために動く息子へ、家族は具体的な支援をした。母が道で拾ったネックレスを警察へ届け、持ち主が現れず戻った後に売った100ポンド(約2万1100円)も、若いリチャードの仕事へ渡された。[3][6]

読むのが苦手な少年が、やがて本気で始めようとしたのは雑誌だった。大人が若者へ何かを言う媒体でなく、若者が戦争や政治や音楽を自分たちの言葉で話せる場所をつくりたい。学校でうまくいかない彼が、今度は読まれるものを売る側へ進もうとした。[11][10]

03電話ボックスから広告を売る

紙と印刷の代金を先に取る

寄宿学校Stowe Schoolにいたリチャードは、『Student』という雑誌を計画した。まだ売り場に並ばないページへ、広告を出してくれる会社を探す。電話ボックスから飲料会社や銀行へかけ、若者に買ってもらい、将来の顧客になってもらう話をした。硬貨を入れながら、存在していない雑誌を売った。電話ボックスの外には、用事のあるほかの人が並ぶ。自分の会社の事務所として、いつまでも独占できる場所ではなかった。[12][10]

交換手に取り次いでもらえば、電話の相手には、自分に秘書がいるようにも聞こえる。立派な事務所がなくても、大きな会社のように見せる工夫はできた。学校の外へ出たい少年が、校内の電話から大人の会社へ売り込んでいた。[7]

学校を辞める話をすると、父とは庭を何度も歩いて相談した。父自身、進路を親に決められた経験があった。印刷と紙の費用を広告で賄えるなら、学校を離れてよい。父が示したのは、無条件の許可ではなく、自分で売ってみせることだった。[10]

リチャードは広告を集め、その条件を満たした。16歳で学校を離れる。1968年1月に『Student』の最初の号が出た。教室で課題を解く代わりに、自分で会いたい相手を探し、原稿を集め、印刷して届ける生活が始まった。[2][11]

雑誌が次の学校になる

ジョン・レノンや作家たちへ取材し、ベトナムやビアフラの戦争も扱った。表紙の絵は、The Beatlesのレコードジャケットでも知られるピーター・ブレイクへ頼んだ。友人の父が便箋を用意し、母も電話や郵便代を支える。知らない相手へ連絡し、取材を頼み、返事を待つ。教室の成績とは違うやり方で、リチャードは大人たちの話を聞く立場を手に入れていった。[13][11]

若者の戦争への怒りや音楽への熱中を載せても、雑誌の収支は楽にならない。次の号を印刷する費用がいる。編集部が集めた読者へ、記事以外に何を届ければ仕事を続けられるだろう。彼が選んだのは、その読者たちが聴いているレコードだった。[14][15]

04注文が届いてからレコードを買う

名前はVirgin

1970年、ブランソンはニック・パウエルらとレコードの通信販売を始めた。最初から大量に仕入れたのではない。安く買えると案内し、注文と代金が届けば店で値引きを交渉し、買ったレコードを発送する。先に受け取った金で品物を用意する、小さな商売だった。[1][10][16]

つけた名はVirgin。ブランソンは、商売の初心者だった自分たちから出た名前だと語る。記事を読んでくれる人へ、今度は音楽を売る。若者の声を載せる出版社を続けるための試みが、雑誌より大きい仕事へ変わり始めた。[17][18]

1971年、イギリスで郵便がストライキに入る。注文も商品も運べない。それなら客に来てもらう。ロンドン中心部の買い物通り、オックスフォード・ストリートにある靴屋の上へ、最初のレコード店を開いた。[18][1]

音楽を知る親族へ任せる

商品を選んだのは、南アフリカから来た親族のサイモン・ドレイパーだった。アメリカやヨーロッパの音楽に詳しい彼が、買い付けを担う。ブランソンが全てを聴き、1番詳しくなる必要はなかった。ドレイパーが探す音楽を店に並べ、ブランソンが商売を広げる。この組み合わせは、やがてレコードを発売する時にも残った。[19]

1971年に仕事を求めて来たドレイパーは、まだ20歳で、ブランソンと会うのも初めてだった。親族だから昔から音楽の好みを知っていたのではない。南アフリカでレコードを集め、ラジオ番組まで持っていた彼の話を聞き、ブランソンは買い付けを任せた。大学が始まるまでの仕事探しが、そのまま20年の仕事へ変わっていく。[19]

その店で、彼は法律を破る近道へ入った。輸出用として購入税を免れたレコードを、国内で売ったのである。1971年に税関の捜査を受け、一晩、留置場で過ごした。安く仕入れる取引の形を利用し、納めるべき税を逃れていた。[2][9]

支払いのため、両親は家を担保にして支えた。安く仕入れたレコードを売るために破った法律が、両親の住む場所まで危険にさらした。学校を辞める時には条件を満たして父を説得した息子が、今度は自分の不正の後始末を家族に頼る。本人は後に、あの一晩以来、2度と刑務所へ行くようなことはしないと考えたと語っている。[14][9]

05歌のない長い曲へ賭ける

屋敷を録音する場所へ変える

1990年のThe Manor。レコード店から進んだ、滞在型の録音スタジオ。
1990年のThe Manor。レコード店から進んだ、滞在型の録音スタジオ。
写真:JacoTen/出典/CC BY-SA 3.0。表示用縮小。元ファイルに既存のcrop/修整履歴は出典参照。

レコードを売るだけでなく、自分たちで録音し、発売できないか。オックスフォード近郊の古い屋敷を、泊まりながら録音するスタジオへ変えた。The Manorである。銀行の借入と親族の資金も、設備づくりを支えた。[18]

そこへ若いマイク・オールドフィールドが持ち込んだのは、長い器楽曲の録音だった。歌手が歌い、数分で終わるヒット曲とは違う。ギターや鍵盤が重なり、旋律が移り、次の音が現れる。ほかの会社を回っても、発売は決まらなかった。

The Manorには、彼の持っている音を聴こうとする人がいた。プロデューサーのトム・ニューマンらが関心を持ち、ブランソンとドレイパーへつなぐ。演奏を録音する場所と、できた音を売る会社が、ここで結びついた。[20]

オールドフィールドはギターや鍵盤などを重ね、管状の鐘の音も使った。完成した作品の名は『Tubular Bells』。1973年5月25日、Virgin Recordsから発売された。無名の会社が、無名の若い音楽家の長い曲を、最初の看板にした。[21][1]

ベントレーを渡して演奏してもらう

The Manorの録音室。1990年撮影。
The Manorの録音室。1990年撮影。
写真:JacoTen/出典/CC BY-SA 3.0。表示用縮小。元ファイルに既存のcrop/修整履歴は出典参照。

ジョン・ピールがラジオで取り上げ、映画『The Exorcist』にも冒頭の音楽が使われた。作品は世界へ広がり、後に1500万枚を超えて売れた。ほかの音楽家と契約するための資金も、そこから生まれた。[22][21]

だが、レコードの中ではいくつもの楽器を重ねられても、人前で再現するのは別の話だった。オールドフィールドは舞台に乗り気でない。ブランソンは自分のBentleyまで交渉に持ち出し、出演してくれれば渡すと持ちかけた。会社の看板になった音楽家を客の前へ送り出すため、今度は自分の車を差し出した。[20]

06王室の祝賀にパンクをぶつける

引き受けたSex Pistols

Virginを育てたのは、長く優雅な器楽曲だった。ところが1970年代後半になると、短く荒いパンクが若者の支持を集める。ブランソンたちは、最初の成功と同じ音だけを並べ続けなかった。[19]

1977年に迎えたSex Pistolsは、既にEMIやA&Mと契約を解消していた。騒動を避けたい会社には扱いにくい相手だ。Virginは彼らを引き受け、女王即位25周年の年に『God Save the Queen』を売った。テムズ川の船上演奏には警察が介入し、レコード会社の名前が社会の騒ぎにも登場した。[22][1][9]

アルバム『Never Mind the Bollocks, Here’s the Sex Pistols』の題名まで法廷の問題になった。わいせつとされた語を店に出せるか。会社は弁護し、言葉の意味を争う。店先に置いたアルバムの題名が、次には法廷で吟味される。レコード会社が売ったのは、音だけでなく、その言葉を掲げるバンドそのものだった。[23]

その後にはThe Human LeagueやCulture Clubも成功した。ステージの上にいる音楽家と、次の音楽を見つける人、発売する金を用意する人。それぞれが別の役割を持ったレコード会社で、ブランソンは自分の知らない曲も世へ出していた。[19]

07恋人と島を見に行く

Necker島を18万ドル(約2836万8000円)で買う

1976年、ブランソンはジョーン・テンプルマンと出会った。近所の骨董店へ彼女に会いに行き、古い広告看板を買う。知らない大企業へ電話できる男も、彼女に会う時には勇気が要った。[24]

2人でカリブ海を旅した時、売りに出ている島を見に行った。イギリス領ヴァージン諸島のNecker島だ。1978年、購入した価格は18万ドル(約2836万8000円)。豪華な建物がそろう完成済みのリゾートではなく、これから暮らす設備を整える島だった。[3][5]

やがて家族が暮らし、友人や事業の相手を招く場所になる。1989年には、ジョーンとこの島で結婚した。休暇を過ごす場所にも人が集まり、新しい商売の話が入ってくる。家族と仕事の境界は、海を渡っても、すっきり分かれなかった。[25][9]

欠航したら座席を売る

航空会社の客として、ブランソンは欠航やサービスへの不満を経験した。プエルトリコからヴァージン諸島へ行く便が取り消された時には、別の機体を借り、同じく足止めされた客へ座席を売ったと振り返っている。待たされるだけでなく、自分で移動を手配してしまった。[2]

ただ、その1回と、大西洋を毎日渡る会社の間には、巨大な差がある。飛行機の整備も、乗員も、運航の許可も必要だ。その実務を持つ人々との出会いが、次のVirginを動かすことになる。

08747は1機しかない

レコード会社へ来た航空の計画

1984年、弁護士ランドルフ・フィールズらが進める航空事業へ、ブランソンは加わった。元パイロットのアラン・ヘラリーも取り組んでいた、ロンドンとアメリカを結ぶ計画だった。航空の経験を持つ人たちへ、Virginの名前と資金を組み合わせる。[26]

周囲は危険を指摘した。飛行機は客が少なくても、機体、整備、乗員に支払いが要る。そこで最初のBoeing 747は、うまくいかなければ1年後に返せる条件を交渉した。まず1機。音楽事業まで失わずに試せるよう、撤退の道も契約に入れた。[10]

ところが初便の前、その1機のエンジンが故障した。代わりの機体を回す余裕はない。乗客へ売った予定を守るには、まず飛べる状態へ戻す必要があった。航空会社を持つという話が、故障した目の前の機械を直す仕事になった。[27]

大西洋横断そのものを広告にする

1984年7月のVirgin Atlantic初期の747、G-VIRG。
1984年7月のVirgin Atlantic初期の747、G-VIRG。
写真:Andrew Thomas from Shrewsbury, UK/出典/CC BY-SA 2.0。表示用縮小。

1984年6月22日、Virgin Atlanticの初便はロンドン・ガトウィックから、ニューヨーク近郊の空港ニューアークへ飛んだ。普通の乗客のほか、記者や音楽関係者もいた。新しい航空会社が飛ぶ出来事を、写真と記事にして外へ届ける。ブランソンは、静かに参入する道を選ばなかった。[28][29]

音楽の映像や映画を楽しむ場所、静かに過ごす場所。Virginを選んだ客が、何時間も同じ席で過ごす。その退屈を音楽や映像で変えようとした。[28][30]

機体を操縦し、整備し、路線と資金を組む専門家へ仕事を任せる。本人は社員や客へ会い、新しい相手を連れてくる。ドレイパーに音楽を任せた会社は、別の分野でも、自分とは違う仕事ができる人を集めて動き始めた。[17]

09船が沈んでもう1度海へ出る

記録より先に救命いかだへ乗る

1985年8月、ブランソンはVirgin Atlantic Challengerという高速艇で、大西洋横断の記録へ挑んだ。旅客機と同じ名の船が、今度は海を渡る。だがイギリスへ近づく途中、船体が損傷し、浸水した。[31]

9人は救命いかだへ移り、通りかかった船に救助された。航空会社の名を世界へ見せる冒険は、自分たちだけでは帰れない事態になった。

それでも1986年、再挑戦で最速記録を更新する。沈没と成功の両方が、Virginの名とともにニュースになった。[31][32]

1987年には、飛行家ペール・リンドストランドと熱気球で大西洋へ出た。船ならエンジンと舵で進路を変えられるが、気球は同じようには動かない。風の違う高度を選びながら、巨大な袋と乗員のいるカプセルを向こう岸へ運ぶ。アメリカ北東部のメーン州から北アイルランドへ渡り、熱気球では初めての大西洋横断を成し遂げた。[33][34]

だが陸地に届けば安全、とはいかなかった。着地に手間取り、最後は海に落ちて救助を受けた。横断記録を打ち立てた会社の創業者が、再び人の手で海から引き上げられる。新聞に載る冒険の裏では、支援する人々まで救助の仕事を負っていた。[33][35]

株式市場からは離れる

冒険で世間へ姿を見せる一方、会社の持ち方は閉じる側へ動いた。1986年に音楽を中心とする一部事業を上場したが、1988年には外部にある37%を買い戻す計画を示す。提示した価格は、公開時と同じ水準だった。[15][36]

資金と引き換えに外の株主へ説明し続けるより、自分たちの判断で次を選びたい。上場した状態を永久に続けず、会社を手元へ引き取ろうとした。その後の航空事業では、また別の大きな会社が、彼らの行動を狭めようとしていた。[36][37]

空飛ぶ円盤で警察を呼ぶ

1989年のエイプリルフールの頃には、別の気球を飛ばした。銀色の外装と点滅する明かりをつけ、空飛ぶ円盤に見せかけたのである。ロンドン近郊の空を見た人々から、警察へ通報が寄せられた。[38]

機体が降りると、警官たちが近づく。中から出てきたのは、本物の宇宙人ではなく、その格好をした人だった。何も知らない人を巻き込み、警察まで出動させた悪ふざけである。本人は何年も後のインタビューで、この仕掛けを自慢げに話した。商売で相手を説得するだけでは飽き足らず、自分が仕掛けた光景へ人々が驚くことまで楽しんでいた。[38][9]

人質を迎える飛行機を出す

1990年には、自分が海を渡るのでなく、帰れない人々のために飛行機を出した。イラクがクウェートへ侵攻した後、ヨルダンのフセイン国王から依頼が来る。クウェートから逃れた人々へ、救援物資を運んでほしい。ブランソンは機体を手配した。[39]

同年10月には、イギリスの元首相エドワード・ヒースからの要請で、病気やけがをした人質40人をイラクから連れ帰るための便を用意する。1993年にも、釈放されたイギリス人3人がVirgin Atlanticで戻った。誰かを解放する交渉そのものを、ブランソン1人が成し遂げたのではない。ヒースらが交渉し、彼は人を運ぶ機体を出した。[39]

そうして本人とVirginの名は、休暇や冒険とは別のニュースにも載った。島で客を招き、政府や著名人と付き合う人脈が、実際に人を運ぶ便へつながる。彼が始めた航空会社には、新聞の一面を飾るための宣伝飛行だけでなく、帰りを待つ人のいる飛行も加わっていた。[39]

日本を離れて燃料を失う

1991年1月には、宮崎県南部の都城から太平洋へ出る。広い海の上を風に乗って進むPacific Flyer。相棒は再びリンドストランドだった。2人は操縦を交代しながら、飛行を続けた。[40][41]

途中で燃料タンクを落とす操作に問題が起き、使える燃料まで失った。同時代の報道では、空のタンクを切り離すはずが、燃料の入った2つのタンクを捨て、燃料の約30%を失ったとされた。海の途中へ降りる事態も想定しなければならなかった。[42]

本人は、機内の火災に対して、高度約4万3000フィートの薄い空気の中へ上昇したとも語っている。極端に高い場所で空気を確保し、機体を保ち、残った燃料で陸へ届く道を探す。太平洋の横断は、自分たちが乗って初めてわかる不具合への対応でもあった。[41]

カナダへ着いたのは1月17日。雪の中の凍った湖へ降りた。最初の熱気球による太平洋横断として、2人の名が航空の記録に残った。海を越えた華やかな写真だけでは、その途中で切り捨ててしまったタンクや、救助を待つかもしれなかった時間は見えない。[40][42]

本人が後のインタビューで、ロサンゼルスを目指したのに遠くへ着いたと語ると、気象を担当したボブ・ライスが訂正した。出発前から、カナダのヴァンクーヴァー島より北へ向かう経路を予測していたという。華やかな主役と、航路を支えた専門家では、同じ旅の語り方が違った。[43]

10予約した客へ競争相手から電話が来る

BAとの争い

1991年、Virgin Atlanticはロンドンのヒースロー空港へ進んだ。世界の客が集まる空港は、大手British Airways、BAの重要な拠点でもあった。[26]

Virginの客から、不自然な話が届く。予約便に問題があると連絡され、別の航空会社へ変えるよう勧められる。なぜ競争相手が、自分の予約を知っているのか。テレビの調査番組も、BA側の行為を追った。[44][37]

ブランソンが抗議すると、BAは主張を退けた。今度は、その発言で自分がうそつきだと扱われたとして、彼が名誉毀損を訴える。目立つ広告同士の争いではなく、客の情報と創業者の信用をめぐる法廷の争いになった。[9][37]

その間も、飛行機を飛ばす金は必要だった。銀行との関係も厳しくなり、航空と音楽を両方残す現金が足りない。ブランソンは航空会社を守るため、1992年にレコード事業を売る。10億ドル(約1576億円)は、次の便を飛ばすための資金にもなった。[3][1]

50万ポンド(約1億円)を社員へ分ける

1993年1月、BAは名誉毀損訴訟で謝罪し、和解した。ブランソン個人へ50万ポンド(約1億円)、Virgin Atlanticへ11万ポンド(約2321万円)を支払う。彼は、自分へ支払われた分を社員に分けた。争いの間にも客を迎え、機体を飛ばした人々へ、実際の金を返した。[45][37]

ただし、その後にアメリカで起こした反トラスト法の訴訟は、Virgin側の勝利へつながらなかった。[46]

11戦車を持ち込んでもコーラは売れない

タイムズスクエアの派手な挑戦

1994年、Virgin Colaが生まれた。相手はCoca-ColaとPepsi。航空で大手へ挑んだ名前を、今度は飲料の売り場へ出す。1998年のアメリカ進出では、ニューヨークのタイムズスクエアへ戦車を持ち込み、Coca-Colaの缶を踏みつぶす演出までした。[47][48][1]

写真になる。ニュースにもなる。だが、翌日もそのコーラを選ぶ理由は、店の棚で問われる。おいしいコーラなら、既にほかの会社が売っていた。ブランソンは後に、競合より十分によい商品を用意できなかったと認める。[48]

Virgin Colaは勝てなかった。戦車の写真を見た人々に、いつものコーラをやめさせる理由が足りなかった。[48]

ロンドンの空へ出したひと言

BAとは法廷で争うだけではなかった。1999年、BAがスポンサーの大観覧車London Eyeを立ち上げる工事が難航する。テムズ川沿いで巨大な輪を起こせずにいる相手へ、ブランソンは別の機体を向かわせた。[49]

Virginの飛行船が掲げたのは「BA can't get it up」。輪を持ち上げられないことを、意味深な言葉でからかう垂れ幕だった。世界中の記者が見守るBAの仕事へ、Virginの広告が割り込んだ。巨大な観覧車を作る資金を出したのは相手なのに、上空のひと言で話題を横取りする。いかにもブランソンらしい仕掛けだった。[50]

12赤い名前が毎日の移動へ入る

飛行機の次は列車

マンチェスター・ピカデリー駅のVirginの列車。2005年。
マンチェスター・ピカデリー駅のVirginの列車。2005年。
写真:The original uploader was Tagishsimon at English Wikipedia./出典/CC BY-SA 3.0。表示用縮小。

1997年、VirginはStagecoachと組み、イギリスの鉄道運営を始めた。西海岸の路線はロンドンからマンチェスターやリバプール、スコットランドへつながる。毎日の通勤も、遅刻できない用事も運ぶ仕事だった。[1][51]

車両や接客を変えても、線路や他社の運行まで自分の好きには動かせない。派手な開業日より、その後の定時運行が長い。2019年の規制当局の報告では、西海岸のVirgin Trainsは年間3950万人の利用を支える事業になっていた。[51]

世界一周には届かない

海を2つ越えた後は、地球を1周したくなった。1997年、モロッコ中部の都市マラケシュから、3人を乗せた巨大な気球が出発する。ところが夜が近づくと、機体は急速に降下し始めた。軽くするため落としたい燃料タンクは、安全留め具が外されておらず、切り離せない。[35]

水、食料、油。重さになる物を外へ捨てても、再び落ちていく。機体を作った技術者アレックス・リッチーがカプセルの外へ上がり、留め具を解除した。タンクを落とし、ようやく高度を戻す。3人は世界一周を断念し、地上へ降りた。航空の専門家と一緒でも、ほんの小さな準備の抜けが命を脅かした。[35]

アンテナを持たない電話会社

1999年、イギリスでVirgin Mobileが始まった。One2Oneの回線を使い、Virginが料金、販売、顧客対応を組み立てる。全国へアンテナを建てるところからではなく、既にある設備を持つ相手と組む方法だった。2004年の公開資料では、利用者は400万人へ達している。[52][53][54]

航空でも同じ名が別の国へ出た。Virginで働いたブレット・ゴドフリーと友人ロブ・シェラードが持ち込んだ、オーストラリアの計画だった。[55]

2000年、Virgin BlueはBoeing 737を2機使い、ブリスベンとシドニーを結んだ。翌年に大手Ansettが破綻すると、成長する余地が開いた。[55][56]

本人には、50歳頃まで売上総利益と純利益の違いがよくわからず、図で説明してもらったという弱点もあった。全部を得意にする代わりに、経理を任せる人、現地で運営する人を探す。会社が増えても、彼が最前線に出る仕事と、人へ渡す仕事は分かれていた。[7][10]

13次の窓からは地球を見せたい

SpaceShipOneの先に客席を置く

SpaceShipOne関係者とブランソン、ポール・アレンら。2004年10月。
SpaceShipOne関係者とブランソン、ポール・アレンら。2004年10月。
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2004年、設計者バート・ルータンと資金を支えたポール・アレンらのSpaceShipOneが、民間の有人宇宙飛行を実現した。ブランソンは、その技術の先に旅行を見た。9月、利用の契約とVirgin Galacticの構想を発表する。[57]

母機が宇宙船を高い空へ運び、切り離した機体がロケットで上昇する。乗客は短い無重力を味わい、地球を見て戻る。宇宙ステーションへ長期滞在する旅ではなく、地球の景色と浮かぶ時間を、旅行として売ろうとした。[57][58]

名前と期待は先に集まった。しかし、航空の時のように、完成した旅客機を借りれば始められる事業ではない。新しい機体をつくり、人を乗せる試験を重ねる必要があった。発表した未来へ、現物はなかなか追いつかなかった。[59]

14守った航空会社の半分を売る

SingaporeからDeltaへ

音楽会社を売って残したVirgin Atlanticも、ずっと家族だけで持ち続けたわけではなかった。1999年12月、ブランソンはSingapore Airlinesへ49%を売ると発表する。価格は6億ポンド(約1266億円)。独自の名前を残したまま、世界へ飛ぶ大手とネットワークをつなぐ計画だった。[60]

全てを売るのではなく、Virgin側が51%を残す。ほぼ半分を相手へ渡しながら、自分たちの会社として続ける形を選んだ。1機から増やした航空会社が、大手同士の提携の中へ入っていく。[60]

2012年末、その49%を今度はDeltaが3億6000万ドル(約567億円)で買うと発表した。売り手はSingapore Airlinesで、Virgin側は引き続き51%を残す。1992年の音楽会社の売却とは違い、この取引で3億6000万ドル(約567億円)がブランソンへ入るわけではなかった。[61]

Deltaが手に入れたかったのは、ロンドン・ヒースローへ伸びる足場だった。空港の発着枠には限りがある。2社で路線と時間帯を組み合わせれば、ニューヨークとロンドンの間を使う客に、選べる便を増やせる。合弁では費用と収入も共有する計画を立てた。[61]

2014年、ブランソンとDeltaのリチャード・アンダーソンは、同じラジオ番組へ出た。以前は別々に客を奪い合っていた会社が、ひとつのネットワークとして動く。自分たちだけで大きくなる代わりに、相手の便と客を結びつける。航空の初便で選んだ独立した名前を、組むことで残そうとしていた。[62]

15アメリカでは自分の名前だけで飛べない

許可を待つ18か月

Virgin Americaは、Virgin Atlanticのアメリカ国内便を単に増やす計画ではなかった。別会社をつくり、アメリカの主要都市を結ぶ。2004年に準備が始まり、創業CEOのフレッド・リードらが実務を担った。[63]

ところが、アメリカの国内線を運航する会社には、外国人の所有と支配を制限する仕組みがある。Virginという名前を借り、ブランソンが資金を出す。それをアメリカ側が実際に支配する会社として認めてもらわなければ、客を1人も運べない。2006年末、運輸省はVirgin側の実質的な支配を問題にし、当初の形では承認しないという暫定判断を出した。[64]

リードの回想では、承認へ向けた手続きは18か月かかった。サンフランシスコを拠点に、機内には座席ごとの電源や映像画面を用意する。客を迎える準備を進めても、出資と経営の組み方が認められなければ滑走路には出られない。[63]

2007年8月、ようやくVirgin Americaが就航する。創業者がイギリスで成功した看板を持ち込めても、経営の全てを自分の思いどおりにすることはできない。後にブランドを残せるかという局面でも、この制約が効いてくる。[63][64]

26億ドル(約4097億円)で売られる航空会社

2016年4月、Alaska Air Groupが買収を発表した。1株57ドル(約8,983円)の現金対価で、株式の取引規模は26億ドル(約4097億円)。債務や航空機リースを含む全体の取引価値は約40億ドル(約6304億円)だった。買い手が引き受ける航空会社全体の取引額で、株主たちへ支払われる現金と負債などを合わせた数字だった。[65][64]

買い手には、Virgin Americaのカリフォルニアの地盤が欲しかった。自分たちに強いアラスカやアメリカ北西部から、サンフランシスコやロサンゼルスへ。Virgin側は若い会社でありながら、機内サービスの評価と客を獲得していた。[65]

ブランソンは売却に寂しさを示したが、少数株主として取引を止める立場にはなかった。自分の会社群と結びついた名前が、相手の判断で消えるかもしれない。同年12月14日に買収が完了し、その後、Virgin AmericaのブランドはAlaskaへ統合された。音楽会社を売った時には自分が手放す決断をした。アメリカの空では、自分だけで残す決断ができなかった。[66][67][68]

16人を集める場所を会社の外にもつくる

The Eldersと財産の約束

チリのOur Ocean会議で話すブランソン。2015年。
チリのOur Ocean会議で話すブランソン。2015年。
写真:U.S. Department of State from United States/出典/Public domain。表示用縮小。

2007年7月18日、ネルソン・マンデラの89歳の誕生日に、The Eldersが発足した。ブランソンと音楽家ピーター・ガブリエルが温めた、第1線を退いた指導者たちが紛争や人権の問題へ関わる構想だった。[69][70]

ブランソンが元指導者の席へ座るのではなく、信用と経験を持つ人々を集め、活動を支える。人を引きつける力を、自分の商品を売る以外の場所にも使うようになった。[69]

2013年にはジョーンとGiving Pledgeへ参加し、資産の大部分を社会のために使うと約束した。島や船のある暮らしを楽しむ一方で、財産を子どもへ残すことだけを出口にはしないと、公に示した。[25][71]

2011年の火事で家族が外へ出る

島は、成功した人を招き、くつろぐためだけの場所ではなかった。2011年8月、Necker島のGreat Houseが燃えた。女優ケイト・ウィンスレットや子どもたち、ブランソンの母イヴも泊まっていた。夜明け前、寝ていた人々を起こし、屋外へ出さなければならなかった。[72][73]

当初、ウィンスレットが高齢の母を救ったという話が大きく報じられた。映画『Titanic』の主演女優が、今度は富豪の島で人を救う。ブランソンが称えた出来事には、ニュースとして強い引力があった。[72]

だが後にイヴは、皆を起こして外へ出したのは孫たちだと説明した。ウィンスレットに抱えられたのは、外へ出る途中の4段の階段だった。ウィンスレット自身も、命を救ったという大げさな話ではなく、階段を下りる手助けだったと話した。[73]

建物は焼け落ちた。それでも家族と宿泊客は逃げた。宣伝の名手のまわりには、日常の出来事にも映画のような筋書きがつく。その時、当事者の母は、自分を助けた人の名と、実際に起きたことを言い直した。[73]

銀行もVirginになる

2012年、Virgin MoneyはNorthern Rockの銀行事業を買った。金融危機で公的管理に入った銀行の一部で、完了時の現金対価は7億4700万ポンド(約1576億円)。問題資産を抱える旧銀行全体ではなく、預金や新たな融資を担う事業を引き取った。[74][75]

Northern Rockは、2010年に既に2つへ分かれていた。今後も預金を集め、住宅ローンを扱う銀行と、国が残った資産を回収していく会社。Virgin Moneyが引き取ったのは前者だった。町の支店で客が預金を出し入れする仕事へ、あの赤い名前がつくことになる。[75][76]

買う時には、金を払うだけでなく、現場の約束もした。既に発表された分以外の強制的な人員削減を、完了後少なくとも3年間は行わない。支店数を維持し、イングランド北東部の都市ニューカッスルを業務の本拠にする。地域に根を張る銀行を、Virginの看板へ置き換えるための条件だった。[75]

政府は、競争を増やし雇用も守る売却だと説明した。一方、会計検査院は、公的資金で銀行を切り分けて売った過程を調べた。2010年初めに投入した恒久資本14億ポンド(約2954億円)に対し、この会社の創設と売却による損失は、中間推計で4億8000万ポンド(約1012億円)。残った資産の回収まで含める銀行救済全体と、売却した会社だけの損益は、分けて検証されていた。[76]

Virginの新事業には、預金者の金、働く人の暮らし、国が先に投入した金が重なる。派手な記者発表で注目を集めるだけだった頃とは違う。支店と社員を受け取り、その条件を守って営業を続ける仕事が加わった。[75][76]

17負けた賭けで客室乗務員になる

赤い制服でパースから飛ぶ

2013年5月、ブランソンは赤い客室乗務員の制服に着替えた。脚をそり、口紅をつけても、いつものひげは残っている。乗り込んだのは、自分の航空会社の飛行機ではなかった。[77]

相手はAirAsiaを率いるトニー・フェルナンデス。2010年のF1で、2人はそれぞれ関わるチームの順位を賭けた。負けたブランソンが、その約束を果たす日が来たのである。オーストラリア西部の都市パースから、マレーシアの首都クアラルンプールへ向かうチャリティー便で、乗客にサービスした。[77]

フェルナンデスに飲み物をこぼし、食事を食べさせる。その後の記者会見では、今度は相手からシャンパンをかけられた。宣伝のために自分を格好よく見せるより、自分が笑われる姿を売り物にする。勝っても負けても客とカメラの前へ出る彼のやり方が、ここでも貫かれた。[77]

18砂漠へ落ちた宇宙船

帰らなかった試験飛行士

事故が起きる前、2014年10月4日のSpaceShipTwo。
事故が起きる前、2014年10月4日のSpaceShipTwo。
写真:Steve Jurvetson from Menlo Park, USA/出典/CC BY 2.0。表示用縮小。

2014年10月31日、SpaceShipTwoが試験飛行中に空中分解した。副操縦士マイケル・アルズベリーが死亡し、操縦士ピーター・シーボルトは重傷を負った。飛行試験を行っていたのは、開発を担うScaled Compositesだった。[78]

副操縦士は、機体を減速・安定させる仕組みのロックを、予定より早い速度域で解除していた。だがNTSBの結論は、その操作だけを責めるものではなかった。1度の人為的な誤りが壊滅的な結果になる可能性を考慮し、防ぐ設計にしていなかったことが、主要な原因とされた。[58]

回収された記録装置を調べるNTSBの技術者。2014年11月。
回収された記録装置を調べるNTSBの技術者。2014年11月。
写真:NTSBgov/出典/Public domain。表示用縮小。

自分が乗るという約束

現地へ向かったブランソンは、原因を確かめ、開発を続けると話した。そして、自分が安全だと思って乗れないものへ、他人を乗せるつもりはないと表明した。本人も客室へ乗るという方針を保った。[59]

次の機体は、安全を守る設計と訓練を見直して開発される。実際に本人が飛ぶ日まで、事故からさらに6年以上がかかった。客席へ乗るという約束を果たす前に、失われた命に向き合い、試験を続ける長い時間があった。[58][79]

19走り続けた列車から降りる

22年目の運営終了

2019年、Virgin Trainsによる西海岸路線の運営が終わった。Stagecoach側の入札は、将来の年金リスクに関する政府の条件を満たさないと判断された。会社側は争ったが、裁判所も訴えを退けた。22年走ってきた実績があっても、次の運営権は得られなかった。[80][81]

新しい船は港で待つ

客を迎える前のScarlet Lady。リバプール、2020年2月。
客を迎える前のScarlet Lady。リバプール、2020年2月。
写真:silver-novice ~ ne res adversae impediant/出典/CC BY 2.0。表示用縮小。

その頃、別の乗り物は、初めての客を待っていた。Virgin VoyagesのScarlet Lady。大人だけが乗るクルーズ船で、海の上の食事や音楽を楽しんでもらう。2020年2月に引き渡され、客を迎える準備が整っていた。[82]

ところが、その直後、世界が移動を止めた。飛行機も、船も、島の宿泊施設も抱える事業家へ、同時に危機が押し寄せた。[83]

20島を持つ富豪が支援を求める

空港に機体が残る

2020年、感染症の流行で旅行者が消えた。Virgin Atlanticの年間売上は、前年の29億ポンド(約6119億円)から8億6800万ポンド(約1831億円)へ落ちる。機体があっても、客を運べなければ入金はない。年末の従業員数は5907人となり、前年から41%減った。[83]

ブランソンは4月、働く人々へ公開書簡を出した。政府の支援を求め、自分たちも資金を入れ、Necker島を担保にしてでも調達する考えを示す。すると、私有の島を持つ大富豪がなぜ公的支援を求めるのかと批判された。[84][85]

会社を守るためと説明しても、島で客を招き、宇宙旅行を売る本人の姿は、別々には受け取ってもらえない。世間を振り向かせてきた豊かな暮らしが、今度は説明を求められる材料になった。[84]

支払いの約束を組み替える

同年9月、Virgin Atlanticは民間資金と債権者の協力で再建をまとめた。規模は12億ポンド(約2532億円)。Virgin側の2億ポンド(約422億円)の出資、外部の融資、株主や取引先への支払い延期などを組み合わせた。全額を1度に現金でもらう仕組みではなく、これから必要な支払いを減らし、待ってもらい、新しい金も入れる計画だった。[86]

イギリスの裁判所が計画を承認し、アメリカでも認められた。経営陣と法律・財務の専門家が、多くの相手との条件を調整した。ブランソンが客や社員へ見せてきた笑顔の後ろで、今度は各国の裁判所と債権者へ、残せる会社の形を示していた。[85]

Virgin Australiaは別の道を通った。2020年4月に管理手続きへ入り、Bain Capitalのもとで再出発する。同じ名前が残っても、以前の株主の立場まで守られたわけではなかった。[56]

2170歳で地球を見る

17年待った客席

2021年7月11日、ブランソンはVSS Unityへ乗った。構想を発表してから17年。操縦士2人と、本人を含む客室の4人で、乗客の体験や船内での作業を確かめる試験だった。機体は母機から離れ、ロケットで上昇した。[79]

到達したのは高度53.5マイル、およそ86キロ。アメリカの宇宙飛行認定に用いられる高度を越え、客室では短い無重力を体験した。窓の外に地球がある。誕生日を1週間後に控えた70歳のブランソンは、自分も乗ると言い続けた場所へ、ようやく来た。[79][87]

しかし、この飛行は割り当てられた空域を逸脱し、必要な報告もできていなかった。FAAは調査中の飛行を止め、同年9月末、空域と連絡の改善を確認して再開を認めた。本人が宇宙へ行った日と、客を繰り返し安全に運ぶ事業ができる日は、同じではなかった。[88]

22海の船と宇宙のロケット

客を迎えたScarlet Lady

Brilliant Lady船内のブランソン。2026年3月。
Brilliant Lady船内のブランソン。2026年3月。
写真:Ted Eytan/出典/CC BY-SA 4.0。表示用縮小。

待たされていたScarlet Ladyも、2021年に客を乗せた。8月にイギリスから、10月にはアメリカから航海を始める。18歳以上だけが乗り、食事やショーを楽しむ船だった。目的地までの移動を売る飛行機に対し、船で過ごす時間そのものを売る。[82]

船内のナイトクラブはThe Manorと名づけられた。Virgin最初の録音スタジオと同じ名前だ。手放した音楽事業で生まれた記憶が、別の乗り物の中へ戻っていた。2025年には4隻目のBrilliant Ladyがデビューし、9月のバミューダ初寄港では2501人を乗せていた。[82][89]

軌道へ届かなかったLauncherOne

ロケットを空中発射するための747、Cosmic Girl。2017年撮影。
ロケットを空中発射するための747、Cosmic Girl。2017年撮影。
写真:Tmedia1/出典/CC BY-SA 4.0。表示用縮小。

一方、衛星打ち上げのVirgin Orbitは行き詰まった。改造した747の翼の下へロケットをつけ、飛行中に切り離して点火する事業だ。人を短時間宇宙へ運ぶVirgin Galacticとは、別の会社だった。[90]

2023年1月9日、イギリス南西端のコーンウォールからの打ち上げは、衛星を軌道へ届けられなかった。後のAAIBの声明は、第2段エンジンの燃料フィルターが外れた可能性が高く、それによってエンジンが早く停止したと説明した。[91]

4月、Virgin Orbitはアメリカで破産手続きへ入った。飛行機Cosmic GirlはStratolaunchへ、工場設備などはRocket Labへ売られる。ロケットを運んだ機体と、そのロケットを作る設備が、別々の会社の次の仕事へ渡った。[90][92]

23地上の高速移動から名前を引く

500メートルの先へ進まない

空と海だけでなく、地上を飛行機のように進む構想にもVirginの名をつけた。2017年、Hyperloop OneへVirginが出資する。空気を薄くした管の中を車両が走る、新しい交通手段の開発会社だった。ブランソンも取締役に加わり、年末には会長となった。[93]

ところが2018年、彼は会長を退いた。会社側が示した理由は、もっと積極的に関われる指導者が必要になったというものだった。同じ時期には、サウジアラビア人記者ジャマル・カショギの殺害事件を受け、ブランソンが同国との投資の話を止めるという別の問題も起きていた。新しい乗り物を各国へ売り込む仕事は、技術と資金だけでは進まなかった。[94]

2020年には人を乗せた試験に成功したが、都市と都市を結ぶ線路は完成しない。2022年、開発側が当面は旅客より貨物へ力を移す中、Virginはブランドを外した。管の中の未来の乗り物は、再びHyperloop Oneという名前になる。[95]

そして2023年末、事業の終了が報じられた。世界中の都市へ伸びるはずの管は、アメリカ西部・ネヴァダ州の約500メートルの試験用施設から先へ広がらなかった。Virginの名前をつけ、著名な創業者が後ろへ立っても、実際の交通網になる前に終わった構想があった。[95]

24100%という広告が止められる

Flight100の成果と限界

2023年11月、Virgin Atlanticは代替航空燃料SAFだけを使い、ロンドンからニューヨークへ飛ぶ試験を行った。Flight100である。会社の検証では、燃料の製造から使用までを含めた二酸化炭素排出は、通常燃料の比較対象より64%少なかった。[96][97]

だが広告の「100% sustainable aviation fuel」という表現へ、ASA、イギリスの広告規制機関が問題を指摘した。燃料の種類と配合割合の説明でも、環境への悪影響が全くないと聞き手が思うおそれがある。2024年、誤解を招く広告だと判断され、今後は環境への影響を説明するよう求められた。[98]

Virgin側は、政府や業界でも使われる燃料の名称だと反論していた。それでも、飛行時などの排出は残り、利点を一言で伝えるだけでは足りなかった。試験で成し遂げたことがあっても、その伝え方まで正しいとは限らない。目立たせる仕事にも、示すべき限界があった。[98]

25名前は残っても持ち主が変わる

売った銀行と持ち続ける航空会社

2024年、Virgin MoneyはNationwideへ買収された。ブランドを見ればVirginでも、事業の持ち主は変わった。ブランソンが関わった会社には、売却したもの、共同で持つもの、名前を使う契約のものが混じっている。[99][100][101]

Virgin Atlanticは、Virgin側が51%、Deltaが49%を持つ形を続けていた。2025年の年次報告書は、最終的な支配者としてブランソンを挙げている。同年の売上は33億7020万ポンド(約7111億円)、税引前損失は2億500万ポンド(約432億円)だった。1機から始めた航空会社は大きくなったが、40年以上関わった後にも、利益を残す課題は続く。[102]

2026年10月末のForbesの個人資産推計は28億ドル(約4412億円)。売った会社の代金が、ずっとそのまま口座に残った数字ではない。再投資し、持ち分の評価が変わり、失敗した事業もあった。その先に、この時点の推計がある。[5]

26隣にいたジョーンを失う

島で長く続いた家族の時間

2025年11月、妻ジョーンが80歳で亡くなった。1976年に出会い、1989年に結婚し、2人の子どもを育てた相手だった。ブランソンは、親友であり、自分を支えてくれた人を失ったと公表した。[24]

骨董店へ会いに行き、島を見に行った時間から、ほぼ半世紀がたっていた。大きな会社をいくつも始め、別の会社へ渡し、海と空を越える。その間、家族として続いてきた関係があった。新聞に何度も載った島は、彼女と暮らした場所でもあった。[24][25]

27人を招く近さが問われる

2013年のメールが公開される

2026年1月、公開されたジェフリー・エプスタイン関連資料を基に、2013年のブランソンのメールが報じられた。再訪を歓迎し、相手の女性たちを「harem」と呼び、評判を立て直す広報へ助言していた。人を招き、人脈を広げる本人の行動が、厳しく問われた。[103]

Virgin側は、接触は過去の少数の集団・事業の場に限られ、寄付の申し出を調査して深刻な疑惑を知り、寄付を断って接触をやめたと説明した。十分な情報があれば関わらなかったとも述べた。メールは接触と言葉の記録であり、ブランソンによる性的犯罪への加担が立証された話ではない。[104][103]

28まだ飛んでいない次の機体

Apeironを試験の拠点へ運ぶ

2026年10月28日、Virgin Galacticは次世代の宇宙船Apeironを、アメリカ南西部・ニューメキシコ州の宇宙港Spaceport Americaへ運んだ。母機Eveの下へつけた移送で、これからソフトウェアの検証と飛行試験を行う段階だった。商業飛行の開始は2027年第2四半期初めを見込むと発表された。[105]

同社の2025年の年間売上は154万4000ドル(約2億円)。本人が飛び、多くの予約と注目が集まっても、宇宙旅行を継続する事業には、まだ多くの金と時間が必要だった。Apeironの客席へ乗客を迎えるには、ここから新しい試験を終えなければならない。[106][105]

母の名前をつけたEveが、次の宇宙船を砂漠へ届ける。最初のレコードを作ったThe Manorの名は、海を進むクルーズ船の中に残る。会社を売り、家族を失い、事業が破綻しても、別の場所でまた使われる名前があった。[105][82][24]

70歳で見た地球の窓は、さらに多くの客へ開こうとしている。飛ぶ前に売った夢を、今度こそ繰り返し届けられるか。学校の電話ボックスから広告を売った男の会社には、まだ運び終えていない乗客が待っていた。[79][105]

参考文献・出典 106件

本文の番号に対応する資料です。本人・関係者のインタビュー、当時の取材、企業の発表を参照しています。

  1. Virgin — Official company history ↩ 本文
  2. PBS — To Dine For with Kate Sullivan / Richard Branson,Season6,transcript ↩ 本文
  3. The New Yorker — Branson’s Luck,14May2007 ↩ 本文
  4. Entrepreneur — Branson: A Man of Many Milestones,2008 ↩ 本文
  5. Forbes — Richard Branson,$2.8bn asof31Oct2026 ↩ 本文
  6. Richard Branson — Celebrating my mum, Eve Branson ↩ 本文
  7. Peter Fisk — Richard Branson: How to be bold,braveandbrilliant,2015本人対話 ↩ 本文
  8. FinitoWorld — PushTheBoundaries:SirRichardBranson,2021springinterview ↩ 本文
  9. David Sheff — Richard Branson,interview ↩ 本文
  10. Diane Rehm — Richard Branson: The Virgin Way,23Sep2014,full transcript ↩ 本文
  11. Richard Branson — Student magazine,25Aug2015 ↩ 本文
  12. Inc — Richard Branson original interview on school phone-box and Student,7March2013 ↩ 本文
  13. Richard Branson — First Student issue January1968, original reminiscence posted2024 ↩ 本文
  14. CityAM — Interview withSirRichardBranson,pastpresentfuture,2021 ↩ 本文
  15. International Directory of Company Histories — Virgin Group history ↩ 本文
  16. Independent — Nik Powell,2019 ↩ 本文
  17. Freakonomics — Extra: Richard Branson Full Interview ↩ 本文
  18. uDiscoverMusic / Richard Havers — Virgin:TheEarlyYears,2012updated2022 ↩ 本文
  19. Red Bull Music Academy — Simon Draper and the Story of Virgin Records,Oct2017 ↩ 本文
  20. Louder — Mike Oldfield and the strange miracle of Tubular Bells,13Mar2023 ↩ 本文
  21. BMG — Tubular Bells Celebrates50Years,25May2023 ↩ 本文
  22. NME — Richard Branson on signing Sex Pistols and the state of the music industry,2025 ↩ 本文
  23. Collective Hub — Lisa Messenger interview with Richard Branson, August2016 ↩ 本文
  24. AP — Joan Branson dies at80,25Nov2025 ↩ 本文
  25. RichardandJoanBranson — GivingPledgeletter,2013 ↩ 本文
  26. Aviation Archives — Virgin Atlantic historical record ↩ 本文
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  29. CondeNastTraveler — RichardBransonremembersVirginAtlantic’sfirstflight,7Sept2022 ↩ 本文
  30. Journal of Accountancy — Delegation is the key to Sir Richard Branson’s success,2021 ↩ 本文
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  33. AOPA — Ballooningmilestones,2022 ↩ 本文
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※ 円換算は2026年11月2日確認のWise表示値(1米ドル=157.6円、1英ポンド=211.0円)を使用。取引当時の為替や物価・購買力を再現するものではありません。 為替出典:USD / GBP

本文更新:2026-11-02

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