THE STORY
ブライアン・チェスキーの物語
選んだ道。その先で、起きたこと。
01おもちゃから街まで作り直す
ニューヨーク州の少年
地理データ:Natural Earth(パブリックドメイン)。 湖の補助データ:© OpenStreetMap contributors(ODbL)。使用データ。現代の地理と都市の代表位置。出生宅・移動経路ではありません。編集部作図。
1981年8月29日、ブライアン・チェスキーは生まれた。育ったのはアメリカ北東部・ニューヨーク州の、州都オールバニに近い町ニスカユナ。マンハッタンの高層ビル街から離れたこの町で、両親はともにソーシャルワーカーとして働いていた。[1][2]
母デボラは病院で困難を抱えた女性たちを支え、父ロバートは発達障害のある人のための仕事をしていた。父はスポーツを見ると弱い側を応援した。困っている人や見過ごされがちな人に手を差し伸べる。それがブライアンの身近にあった大人の仕事だった。[3]
少年が夢中になったものは、絵とアイスホッケーだった。ホッケーの道具をもらうと、そのまま身につけて眠るほど熱中した。机に向かえばカタログの商品を描き写す。やがて写すだけでは物足りなくなり、靴やゲーム機の形を自分なりに変え始めた。[4][3]
サンタクロースに欲しがったのも、作り直しがいのあるおもちゃだった。完成されたものを受け取るより、気になるところを見つけて描き直すほうが面白い。本人はまだそれを仕事の名前で呼んでいなかったが、すでにデザインを始めていた。[4]
最初の飛行機
7歳のとき、母の仕事の会議に家族で同行し、アメリカ中西部・ミズーリ州の大都市セントルイスへ行った。初めて飛行機に乗った旅だった。少年は建物や道路の配置に関心を持ち、街そのものを作り直すことまで考えた。描く対象が紙の上のおもちゃから街へ広がっていた。[4]
一家にとって旅は、世界中をぜいたくに巡る遊びではなかった。母の出張に合わせた家族旅行が、外の世界を知る機会になった。のちに旅行の巨大企業を率いるチェスキーも、子どものころから世界各地のホテルを渡り歩いていたわけではない。家族の仕事についていった旅が、長く記憶に残った。[2]
高校では美術の教師が才能を見つけ、美大への進学を勧めた。父には生活への心配があった。芸術を学んだ先に安定した仕事はあるのか。ブライアンが進んだのは、アメリカ北東部・ロードアイランド州の芸術大学Rhode Island School of Design、通称RISDだった。[3][5]
02美大のホッケー主将
1枚の次は200枚

写真:DanielPenfield/出典/CC BY-SA 3.0。表示用の縮小・圧縮。
RISDでは、丁寧に描けば褒めてもらえるとは限らなかった。最初の課題で自画像に時間をかけて取り組んだあと、次に出たのは200枚の自画像。前と同じ描き方を200回繰り返す時間はない。仕上がりを少しずつ磨く代わりに、作り方から考え直さなければならなかった。[6]
工業デザインで扱うのは、見た目だけではない。誰が使い、どこで困り、どうすれば使いやすくなるか。ブライアンは物の形と、それを使う人の行動を一緒に考える訓練を受けた。後年、子ども用の人工呼吸器のデザインに携わった経験を挙げ、使う側の立場に身を置くことの重要さを語っている。[7]
美大の外でも、彼は相変わらずホッケーに熱中した。チームを率いると、今度は観客集めや活動資金が問題になる。芸術を学ぶ学生たちを試合へ呼び込むのは簡単ではない。ブライアンは選手であると同時に、チームを動かし、人を集める側にもなった。[6]
筋力トレーニングにも打ち込み、ボディービルの大会に出場した。絵を描く学生で、ホッケーの主将で、舞台では筋肉を見せる。この美大時代に親しくなったのがジョー・ゲビアだった。ゲビアもスポーツチームを運営していた。2人はデザインの授業だけでなく、何かを始めて人を巻き込む面白さを共有していた。[6][5]
卒業式に白いタキシード
2004年、ブライアンは工業デザインを学んでRISDを卒業した。学生代表として卒業式で話す機会も得た。厳粛な壇上に用意したのは、白いタキシードと黒いズボン、白い靴下。マイケル・ジャクソンの音楽に合わせて登場し、ガウンを脱いでムーンウォークを披露した。[5][3]
ただ目立とうとしただけではなかった。卒業式には学生だけでなく、学費を負担し、子どもの将来を心配してきた親たちがいる。彼は誰に向かって話すのかを考え、学生から親への言葉としてスピーチを組み立てた。会場と聞き手まで含めて設計する姿勢が、白いタキシードの下にあった。[5]
その卒業の日、ゲビアはいつか一緒に会社を作ることになるとブライアンに話した。だが、すぐに起業するわけではない。ブライアンはまず、父に約束した健康保険つきの仕事を探すことになった。[6]
03家賃を聞かずに引っ越した
望んだ仕事の先
卒業後すぐには仕事が決まらず、ブライアンはいったん実家へ戻った。そこでもう1度作品集を作り直した。白いタキシードで会場を沸かせても、採用を決めてもらうには、仕事を任せられる作品を見せる必要があった。[6][3]
やがてブライアンはアメリカ西部・カリフォルニア州の大都市ロサンゼルスで、デザイン会社に勤めた。専門を生かせる仕事に就き、健康保険もある。美大へ進む息子を心配した父に、形のある答えを返せた。[6]
ところが、本人には通勤と仕事を繰り返す生活への違和感が残った。RISDで学んだのは、自分たちの周囲の世界も作り変えられるということだった。会社から任された製品を作る毎日と、学生時代に感じた可能性。その距離を埋めるために、彼は仕事を辞めた。[6]
向かったのは、同じ州の北部にあるサンフランシスコ。ゲビアの住むアパートへ移り、何かを始める。車に荷物を積み込んでの移動だったが、生活の計画には重大な穴があった。いくら家賃がかかるか、先に確かめていなかったのだ。[6]
預金は1000ドル(約15万7600円)。到着して聞いた家賃の自分の負担分は1150ドル(約18万1240円)だった。1か月分にも届かない。会社のアイデアを考えるより先に、今いる部屋の代金をどう払うかが問題になった。[6]
ホテルが埋まった週末
2007年秋、サンフランシスコで大きなデザイン会議が開かれた。2人も参加して仕事につながる出会いを探したかった。会議の案内を見ると、紹介されているホテルは満室だった。こちらには家賃を払えないアパートがあり、街には泊まる場所を探す人がいる。[8]
ゲビアとブライアンは、自宅にエアマットレスを並べて泊めることにした。朝食もつける。Air Bed & Breakfastという名前は、そのまま寝床と朝食の組み合わせだった。ホテルを建てる土地も融資もない2人が売れるのは、すでに住んでいる家の床だった。[9][8]
04最初の3人
1泊80ドル(約1万2608円)のアパート
2007年10月、3人の宿泊客が来た。エアマットレスに泊まる料金は1泊80ドル(約1万2608円)。家賃の不足を埋めるための試みが、知らない人を自宅へ迎える数日間になった。[8][2]
客の1人、アモル・サーヴェはデザイン会議のために来たが、ホテル代を負担するのが難しかった。デザインのブログで2人の案内を見つけ、アパートへやって来た。そこで待っていたのは寝床だけではない。新しい宿泊サービスの説明を考えていた2人と、彼自身もアイデアを出し合った。[2]
滞在中、創業者たちは市場や食事にも客を案内した。地元で暮らす人と過ごし、会議の会場とホテルの往復とは違う街に触れる。家を貸した側も、泊まった側も、その時間を楽しんだ。数年後のチェスキーが何度も立ち戻るのは、この最初の3人との経験だった。[2][10]
次の予約が来ない
初回はうまくいった。しかし、ホテルが満室になる会議が毎週あるわけではない。知らない人の家へ泊まることを、会議のない日にも選んでもらわなければ、事業は続かない。2人が自宅で経験した面白さは、まだほかの人には伝わっていなかった。[11]
2008年、ソフトウェアを作れるネイサン・ブレチャージクが加わり、3人の体制になった。美大出身の2人が考える見せ方と、予約できる仕組みを結びつける仲間だった。家を登録する人と泊まる人をつなぐサイトを整えても、利用が一気に広がることはなかった。[9][8]
貸す人は客が来る場所に家を載せたい。客は泊まれる家が多い街で使いたい。どちらも少ない最初の状態では、待っているだけで相手が増えることはなかった。3人は予約の生まれる場所と機会を探し始めた。[12]
05投資家が席を立った
帰ってこないスムージーの客
サイトを作り、使う人を探し、資金を集める。やることは増えるのに、売上で生活できる状態には近づかなかった。創業者たちはクレジットカードでつなぎ、使い切ったカードをファイルに入れていた。[11]
投資家との面談も空振りが続いた。カフェで会った相手は途中で席を立ち、戻ってこなかった。飲みかけのスムージーを残したままだった。投資を頼みに行った面会は、相手が戻らないまま終わった。[11]
2008年夏、友人のマイケル・セイベルが投資家たちにつないだ。150万ドル(約2億円)の企業評価を前提に、15万ドル(約2364万円)を集めたい。後年と比べれば小さな調達額だが、それを出す相手さえなかなか現れなかった。[13]
当時の彼らには、投資家を納得させるほどの売上も、急増する予約件数もなかった。デザイナーが自宅に人を泊めている。親しい友人なら応援できても、大金を預ける事業としては、理解されにくい出発だった。[12][6]
会場に集まる人を追う
3人は、まず大勢の旅行者が同じ街へ押し寄せる催しに目をつけた。2008年夏、コロラド州の州都デンバーでは、民主党の全国大会が開かれる。大統領候補バラク・オバマをめぐる熱気とともに、宿泊需要も膨らむ。最初のデザイン会議と同じように、満室の先に客を探した。[12]
大会に合わせてサイトを売り込み、メディアにも取り上げられた。だが、イベントの盛り上がりが終わると、日常の予約を積み上げる問題が戻ってくる。大きな催しで一時的に人を集めることと、来月も使われる会社になることの間には、まだ距離があった。[12][9]
支払い期限は、次の大きなイベントを待ってくれない。そこでデザイナー2人が手を動かした先は、予約サイトの改良だけではなかった。大統領候補を印刷した朝食の箱を作り始めた。[7]
06朝食の箱で食いつなぐ
40ドル(約6,304円)のシリアル
チェスキーとゲビアは、大統領候補を題材にしたシリアルを売り出した。オバマの顔を使ったObama O’sと、共和党候補ジョン・マケインを使ったCap’n McCain’s。片方だけを応援する商品にせず、対立する候補を2種類の箱にした。価格は1箱40ドル(約6,304円)だった。[7]
中身は朝食のシリアルでも、売り物は選挙の記念品だった。2人は箱をデザインし、印刷した厚紙を折り、熱い接着剤で貼り合わせた。宿泊会社を始めたはずの青年たちが、手作業で食品の箱を作る。指をやけどしながら続けた作業は、華々しい起業のイメージから遠かった。[7]
この企画が資金繰りをつないだ。宿泊サービスに投資する人が現れる前に、2人のデザインを施したシリアルを買う人が現れたのだ。選挙商品が売れたからといって、部屋の予約が増えたわけではない。だが、会社を終わらせずに次を試す時間は残った。[12]
最後の挑戦に箱を持ち込む
2008年末、3人は起業家育成プログラムY Combinatorに応募した。これでうまくいかなければやめる。会社が行き詰まっていたことを、支援する側はあとになって知る。面接で目立ったのは、事業の勢い以上に、創業者たちの行動力だった。[11]
シリアルの箱も、面接の材料になった。売れないサービスを抱えたまま、デザインを商品にして支払いをしのいだ。その実物がある。Y Combinatorのポール・グレアムは、事業への疑問を抱えながらも3人を迎えた。2009年、彼らはサンフランシスコ湾岸で助言を受ける立場になった。[12][14]
そこで求められたのは、世界へ広がる大きな構想をもっと上手に語ることではない。実際に使っている、目の前の少数の客を理解することだった。[15]
07カメラを持ってニューヨークへ
創業者が玄関をたたく
検索の動きを見ると、需要はニューヨークに集まっていた。グレアムは、客がいるなら会いに行くよう勧めた。サンフランシスコで画面を眺める代わりに、チェスキーとゲビアは東海岸へ飛んだ。[15]
チェスキーとゲビアはカメラを借り、ホストの家を訪ねた。登録されている写真では部屋の魅力が伝わらない。そこで自分たちで撮影する。何千軒もの物件を一気に直す機能を作るのではなく、まず1軒の写真をよくした。[15]
訪問すると、写真以外のことも分かった。ニューヨークのホストたちも、自分たちと同じように家賃の支払いのために部屋を貸していた。金融危機が暮らしを直撃するなか、空いている部屋の収入が必要だった。創業者は、画面上の登録物件の向こうに、自分たちと地続きの生活を見つけた。[11]
予約するところまで操作してもらえば、本人が説明しない不便も見える。会社へ要望を送るほどではなくても、入力の途中で引っかかることはある。創業者がそこにいれば、その場で質問できる。後年のチェスキーが繰り返す顧客訪問は、このころの仕事に根を持っている。[16]
浴室の鏡に貼った数字
当時の目標は月4000ドル(約63万400円)だった。家賃3500ドル(約55万1600円)と食費500ドル(約7万8800円)。豪華なオフィスも社員の給与も含まない、創業者が質素に暮らして続けるための金額だ。彼らはその数字を浴室の鏡に貼った。[11]
2009年2月、手数料収入は第1週460ドル(約7万2496円)、第2週897ドル(約14万1367円)、第3週1428ドル(約22万5052円)と増えた。1度きりの大イベントを当てるのではなく、毎週の利用から収入が積み上がる。2月22日、チェスキーはグレアムに数字を送った。目の前の家を撮り直し、利用者の困りごとを拾う仕事が、生存に必要な売上へつながった。[11]
会社を続けてよいかどうかを、投資家の返事だけに委ねる状態から抜け出しつつあった。空気を入れたベッドから始まったサービスは、創業者の知らない家でも取引を生み始めていた。[9]
08断った側に残ったメール
小さい市場に見えた
初期に出資を断った投資家の1人が、フレッド・ウィルソンだった。グレアムがAirbnbを勧めたやりとりは、のちに双方の了解のもとで公開された。Wilsonは創業者たちを評価していたが、事業の市場が十分大きくなるかに疑問を持っていた。[14]
グレアムが見ていたのは、床のマットレスの数ではない。自宅を貸せる人と、ホテル以外に泊まりたい人が各地にいる可能性だった。同じサービスを見ても、片方には小さな特殊市場に見え、片方には世界の宿泊市場を変える入口に見えた。[14]
初期の予約と売上は小さく、反対する材料はいくらでもあった。チェスキーたちができたのは、会った人を論破することより、実際に予約が生まれる状態を作ることだった。ニューヨークでの地道な仕事のあと、Sequoia Capitalから資金が入った。[14][17]
助言を持ち帰る速さ
グレアムの記憶に残ったのは、3人が助言を聞くときの態度だった。よくメモを取り、次に会うまでには試している。そこから自分たちで考えた改良まで加えていた。人の話を聞くことと、聞いたままにしないことが一体になっていた。[11]
名前もAir Bed & BreakfastからAirbnbへ短くなった。サービスで扱うものは、もはやエアマットレスだけではない。空き部屋も、家全体もある。最初の間に合わせの寝床に縛られず、泊まる場所の選択肢を増やす会社になっていった。[8]
09知らない人に鍵を渡せるか
不安を画面に持ち込む
登録物件を増やしても、鍵を渡す怖さが消えるわけではない。貸す側には家や持ち物があり、泊まる側には知らない場所へ入る不安がある。創業者自身が最初の客と過ごした安心を、世界中の初対面の2人にそのまま渡すことはできなかった。[18]
Airbnbはプロフィールやメッセージ、オンライン決済、相互レビューを組み合わせた。顔や自己紹介を知る。予約前にやりとりする。支払いを共通の仕組みに預ける。泊まったあとには、ホストも客も相手について書く。ホテルの看板に代わって、別々の家の信用を確かめる材料を並べた。[18]
ゲビアは後年、この仕事を信頼を設計することとしてTEDで語った。人を信用しろと説くだけでは、家の鍵は預けられない。相手を判断できる情報と、不正や被害が起きたあとに頼れる仕組みが必要だった。[18]
家が荒らされた
2011年、サンフランシスコのホストEJが、貸していた家を荒らされた被害を公表した。知らない客に大切な場所を任せるという、サービスの根にある危険が現実になった。しかも批判は、被害そのものだけでなくAirbnbの対応にも向かった。[19]
チェスキーは8月に謝罪し、5万ドル(約788万円)までのホスト向け保証を発表した。対応窓口や安全対策も強める。被害を受けた人が、サイト上で完了した予約の外側へ取り残されないようにしなければならなかった。[19]
保証額を考える過程で、当初の5000ドル(約78万8000円)という案に、投資家マーク・アンドリーセンが桁を1つ足すよう助言したとチェスキーは振り返っている。書かれた理念ではなく、被害にどこまで責任を持つか。その金額が、会社の態度を示すものになった。[17]
2012年には、ホスト向け保証の上限は100万ドル(約1億円)へ引き上げられた。適用条件のある制度だが、家を登録する人に向けた約束は、当初とは桁違いになった。Airbnbは、家と客を紹介すれば終わりの会社ではいられなくなった。[20]
10ヨーロッパから来た模倣者
買うか戦うか
同じ2011年、今度は事業そのものを奪い合う相手が現れた。ドイツを拠点とするWimduだった。家を貸す人と旅行者をつなぐというAirbnbによく似た仕組みで、資金を集めて拡大していた。[17]
競合を買い取って取り込めば、海外での争いを早く終えられるかもしれない。一方、買わずに戦えば、各国で人を採り、ホストを集め、自分たちで基盤を作る必要がある。少人数の会社にとって、どちらも軽い決断ではなかった。[17]
チェスキーたちは買収を選ばなかった。本人が重視したのは、相手の組織を取り込んだあとも、自分たちの会社の価値観を保てるかという問題だった。似たサイトを持つ会社同士でも、一緒に働けるとは限らない。取引の外側に残る組織の相性を見て、競争する側へ進んだ。[17]
現地で会う人を増やす

写真:LeWEB12 / Official LeWeb Photos/出典/CC BY 2.0。表示用の縮小・圧縮。
Airbnbは国際展開を急いだ。各地で責任者を採り、ホストと会い、言葉や支払い方を整える。ニューヨークの家を訪ねたときのように、遠くから登録を待つのではなく、使う人のいる場所へ入った。[8][20]
翻訳したサイトを置けば、その土地で信用されるわけではない。住まいの貸し方も客の求めることも、国によって違う。創業者たちの知らない街で、創業者の代わりに人と会い、問題を拾える人が必要になった。[9]
2011年にはチェスキー自身も海外の舞台に立つようになった。家賃を払えずに床へマットレスを置いてから数年。被害への対応と国際競争が同時に押し寄せる会社の代表として、知らない人に家を開く事業を説明していた。[8]
11会議室に白雪姫
予約のあとを描く
2012年、会社が大きくなるにつれ、次に何へ広げるかという選択肢も増えた。家をもっと集めるのか。車やオフィスにも同じ仕組みを使うのか。チェスキーが持ち込んだ手がかりは、休暇中に読んだウォルト・ディズニーの伝記だった。[21]
映画『白雪姫』を作る際に使われた絵コンテ。物語を場面に分けて並べれば、担当する部署が違っても、全体として何を作るのかを共有できる。Airbnbでも、客が予約し、現地に着き、家へ入り、滞在して帰るまでを描くことにした。[21]
プロジェクト名はSnow White。Pixarのアニメーターニック・サンも加わり、客、ホスト、採用の流れを絵にした。宿泊の中心にある瞬間を選び、会議で話す抽象的な言葉を、誰もが同じように見られる場面へ変えた。[21]
旅は画面の外で続く
客が旅行する時間の大半は、予約サイトを操作していない。街へ到着し、荷物を持ち、家の場所を探し、鍵を受け取る。絵コンテで流れを追うと、パソコンの前で予約を終えたあとにも、会社が解くべき不便が残っていると分かった。スマートフォンが旅の途中で果たす役割も、そこから見えてきた。[21]
デザイン会社で製品を作っていたころと違い、今度の対象は、利用する人の1回の旅だった。ホームページだけを美しく整えても、到着時に連絡がつかなければ体験は壊れる。絵コンテは、担当部署ごとに分かれた仕事を、同じ旅の前後として見直す道具になった。[9]
12空き部屋が避難先に変わる
無料で泊めたいホスト
2012年、アメリカ東海岸をハリケーン・サンディが襲った。被災者を助けるため、ホストのShellが自宅を無料で提供しようとした。いつもは旅行者へ売っている空き部屋を、今すぐ泊まる場所が必要な人へ開く。現場のホストから始まった動きだった。[22]
Airbnbは無償で受け入れられるよう仕組みを変え、その後も災害や避難に対応する取り組みを続けた。のちのAirbnb.orgは、支援団体などと協力して緊急の住まいを提供する非営利の枠組みになった。通常の観光予約と違い、旅を楽しむために家を探している人ばかりではない。[22]
チェスキーの家では、両親が支援を必要とする人のために働いていた。彼が作った予約の仕組みにも、旅行の商売だけには収まらない使い道が生まれた。ただし、最初の行動を起こしたのは創業者ではなく、自分の家を提供しようとしたホストだった。[3][22]
13出資者が残した忠告
壊してはいけないもの
会社に資金が入り、人が増えれば、初期の3人が全員と話して決めるわけにはいかなくなる。チェスキーたちは、誰を仲間に迎え、何を大切にする会社にするかを考えていた。そんなとき出資者ピーター・ティールから受けた助言を、チェスキーは社内向けの手紙に残した。[23]
文化を台無しにするな。短く、乱暴なほど直接的な忠告だった。資金や製品の機能を増やす方法ではない。会社が大きくなったあとも、毎日の判断の土台を失わないようにすることを求められた。チェスキーは2013年10月にその話を社員へ書き、翌年に公開した。[23]
採用が進むほど、創業者の価値観を知っている人より、後から入った人のほうが多くなる。スローガンを掲げても、評価や昇進で別の行動が報われれば、社員はそちらを学ぶ。チェスキーは採用を含めて、会社の動かし方そのものを考えるようになっていた。[23]
しかし、Airbnbの宿泊体験を担うのは社員だけではない。家を貸すホストたちは会社の外にいる。社内で歓迎を語っていても、玄関を開けるかどうかは各地の人が決める。その間にある大きな穴が、やがて表面化した。[24]
14歓迎されない客
名前で変わる返事
Airbnbは、人の顔や名前を見せることで信用を作ってきた。その同じ情報が、差別にも使われていた。2015年に公表された研究では、約6400件の宿泊問い合わせを送り、名前によって返事がどう変わるかを調べた。[25][26]
ほかの条件をそろえても、黒人によくある名前の問い合わせは、白人によくある名前より受け入れられにくかった。受け入れの可能性は相対的に約16%低いという結果だった。会社が語る誰もが歓迎される世界と、予約を断られる利用者の経験は食い違っていた。[25]
2016年、チェスキーは対応が遅かったことを認めた。公民権分野の専門家ローラ・マーフィーを招き、差別への対策を見直す。ホストと客の親しさを生むはずだった仕組みを、そのまま守ることはできなかった。[24]
顔を見せる順番を変える
会社は差別を禁じる方針を強め、予約が確定する前には客の顔写真をホストに見せない仕組みなどを進めた。知らない相手を知るための写真が、泊まる前に排除する材料になっているなら、見せる順番から変える必要があった。[27]
2022年に公表した調査でも、白人と認識された利用者に比べ、黒人と認識された利用者の予約成功率には差が残っていた。専門家を入れて方針を変えたことで、問題がなくなったわけではない。会社は自ら、なお差があることを公開した。[28]
差別をした1人のホストだけを切り離して終えるのか。それとも、差が生じる仕組みまで作り直すのか。チェスキーがデザインの対象としてきた予約画面に、今度は人種によって異なる扱いをどう防ぐかという問題が突きつけられた。[27][28]
1511つ星を考える
空港に宇宙船を置く
チェスキーはチームと、最高の体験を考える練習をした。5つ星の滞在より上があるとすれば、6つ星は何か。さらに7つ星、8つ星なら。空港に迎えの車がいるだけでは足りないと考えを重ね、ついにはイーロン・マスクと宇宙へ向かうような空想にまで進んだ。[7]
これらは実際に販売するサービスの発表ではない。制約をいったん外してから、何が人を喜ばせるのかを探るための練習だった。到着する前から歓迎されていることが分かる。土地の人が勧める場所を知る。あり得ない案を膨らませたあとで、現実に作れる体験を選び出していく。[7]
1枚の自画像を200枚に増やした美大の課題と、考え方は近い。今あるものを少し改良するだけではなく、どこまで変えれば別の体験になるのか。彼は宿泊予約の会社に、その発想を持ち込んだ。[6][7]
部屋の外へ出るTrips

写真:Dllu/出典/CC BY-SA 4.0。元画像は作者による4枚のパノラマ合成。顔加工ではない。
2016年、AirbnbはTripsを発表した。地元の人と過ごす体験や、その土地ならではの活動を、泊まる家と一緒に探せるようにする。家の中だけでなく、旅そのものへ事業を広げる構想だった。[29]
かつてアパートへ来た客を市場や食事に案内した。そのとき創業者本人が担った部分を、各地の人が提供できる仕組みにしようとしていた。宿泊先を予約したら仕事が終わるのではなく、現地で何をするかに入り込む。事業の範囲は、さらに大きくなっていった。[29][2]
16拡大した会社に届く現実
ホテルも扱う会社へ

写真:Steve Jurvetson/出典/CC BY 2.0。表示用の縮小・圧縮。
2019年、AirbnbはHotelTonightの買収を完了した。直前のホテル予約を扱うサービスで、家を借りる予定のない旅行者にも接点を広げられる。創業時にはホテルが満室で困る人を受け入れた会社が、今度はホテルの部屋を予約する側にも回った。[30]
旅行者が望むものは、いつも誰かの空き部屋とは限らない。到着時間が遅い出張、予定の変わった旅、現地で急に必要になった1泊。選択肢を広げるほど、Airbnbは従来の旅行会社やホテル予約サイトとも競い合うようになった。[30]
社員も事業も増え、最初の会社から遠いところまで来ていた。だが、人が家を貸す仕組みである以上、安全上の問題は消えない。大きな会社になってから起きる事件は、周囲の住民にまで及んだ。[31]
ハロウィーンの銃撃
2019年10月末、サンフランシスコ湾東側の住宅都市オリンダで、Airbnbを通して借りられた家のパーティー中に銃撃事件が起き、5人が死亡した。ハロウィーンの集まりだった。家を貸す人と泊まる人の合意だけでは守れない安全が、そこにあった。[32]
パーティー用の物件利用や近隣への迷惑に、会社は制限を強めた。2020年に導入したパーティー禁止の措置は、2022年に恒久化された。住宅街の家が貸し出されるとき、取引に参加していない近所の人も影響を受ける。[31]
レビューで相手を評価するだけでは間に合わない被害がある。家が無事に返されたか、予約が完了したかだけでサービスを測ることはできなくなった。[31]
178週間で消えた仕事
世界が旅行をやめた
2020年、旅行そのものが止まった。国境が閉じ、航空便が減り、予約はキャンセルへ変わっていく。チェスキーは後に、8週間で事業の80%を失ったと振り返った。積み上げてきた成長が、短期間で巻き戻った。[16][33]
予約がなくなるだけなら、次の客を待つ問題とも考えられる。今回は、すでに払われた代金を誰へ返すかが争いになった。旅行できない客には返金が必要で、家のローンや家賃を払うホストには、その予約収入が必要だった。[10]
会社は感染拡大に伴う一定の予約を対象に、客が返金を受けられるようにした。客を救う判断が、ホスト側の資金繰りを悪化させる。会社が自分の手数料だけを諦めれば済む話ではなかった。[10]
ホストに相談しなかった
チェスキーはホスト向けの説明で、判断に十分参加してもらわなかったことを認めた。最初のころは創業者自身が玄関へ行き、ホストがなぜ貸すのかを聞いた。ところが世界規模の危機で判断を急いだとき、住まいを提供する人が決定から置き去りにされた。[10]
会社は最大2億5000万ドル(約394億円)を用意し、対象のキャンセルについて、ホストのキャンセル規定なら受け取れた金額の25%を支払う方針を示した。すべての損失を埋める金ではない。それでも収入を断たれたホストに向けて、会社自身の資金を出す決定だった。[34]
客の健康と返金、ホストの生活、会社の現金。すべてを元どおりにする選択肢はなかった。チェスキーは、客とホストを結ぶ仕組みが、危機では両側から引き裂かれる状況を引き受けることになった。[33]
181900人へ別れを告げる
20億ドル(約3152億円)でも足りなかった
資金調達で20億ドル(約3152億円)を確保し、会社は支出を大幅に削った。それでも、以前と同じ事業と社員数を抱え続けることはできなかった。旅行がいつ戻るかも、戻ったあとに何が求められるかも、分からなかった。[35]
2020年5月5日、チェスキーは約7500人の社員のうち、約1900人が会社を離れると伝えた。およそ4人に1人だった。人とのつながりや居場所を掲げる会社が、自分たちの仲間に去ってもらう。彼は何を縮め、どんな会社を残すのかも一緒に説明した。[35]
交通や映像制作への取り組みを止め、ホテルや高級宿泊分野への投資を絞る。各地の人が家を提供するという事業の中心へ、人と資金を戻す。成長しているときに加えた仕事を、創業者自身が取り除いていった。[35]
採用担当者の次の仕事
会社を去る人には退職手当を支払い、アメリカでは医療保険を1年間提供するなどの支援を示した。採用担当者の一部は、別の会社へ人を集めるためではなく、Airbnbを離れる社員の仕事探しを助けるために動くことになった。[35]
入社して間もない社員にも株式に関する扱いを見直し、働いた人が何も持たずに去ることを避けようとした。自分たちが選んで採用した人を、会社の都合で送り出す。経費を下げる数字の裏で、具体的に何を渡して別れるかを決めなければならなかった。[35]
チェスキーは、この危機のあと、どんな会社として記憶されたいかを考えたと語っている。売上が戻ったときの計画だけでなく、戻るまでにしたことも残る。生き残るための決断と、その決断で傷つく人への対応を、同時に求められた。[36]
19戻ってきた客は近くを選んだ
以前と違う旅行
需要が戻り始めても、以前と同じ旅行ばかりではなかった。遠い国の大都市より、車で行ける近場へ。混み合う場所より、広さのある家へ。会社は利用の変化を見ながら、長めの滞在や身近な旅行を探しやすくした。[33][36]
旅先で仕事をする人が増えると、休暇と日常の境目も変わる。短い観光だけでなく、普段の暮らしを別の場所へ移す滞在が生まれた。チェスキーが残そうとした個人の家の強みは、ホテルのようにすべてをそろえることとは違う形で、需要に結びついた。[36]
2020年10月、Airbnbはジョニー・アイブが率いるデザイン組織LoveFromとの複数年の協業を発表した。アイブはAppleで数々の製品を手がけたデザイナーだ。新しいロゴを頼むだけでなく、次の製品やデザインの組織を一緒に考える相手として迎えた。[37]
失速した年に上場する
2020年12月10日、AirbnbはNasdaqへ上場した。数か月前には仲間を減らし、資金を調達して生き残りを図っていた会社が、株式市場へ進んだ。年の前半と後半で、同じ会社の行き先が大きく変わった。[38]
上場に向けて創業者たちは、ホストを支えるための基金へ株式を拠出する計画も示した。Airbnbの価値を作ったのは、サイトを開発した社員や出資者だけではない。家を登録し、客を迎える人たちにも、その成長をどう返すかが問われた。[39]
創業者が最初の3人に朝食を出していたころ、相手の顔はいつも目の前にあった。上場企業になると、株主の期待も資本市場の評価も加わる。それでも宿泊を提供する人が離れれば、Airbnbに売る部屋は残らない。[9]
20自分も宿を転々とする
日付を決めない検索
2021年、Airbnbは日付や行き先を柔軟に探せる検索を広げた。旅行の日程が先に決まっていて、空室を探す人ばかりではない。行ける週末を選び、気に入った家に合わせて旅先を決める人もいる。その探し方を、予約画面の側が受け止めるようにした。[40]
2022年、会社は多くの社員が自宅やオフィスを選んで働ける制度を発表した。同じ国内なら住む場所を変えても、それだけで給与を下げない方針も示した。条件の範囲で、別の国から働くことも認める。[41]
旅をしながら仕事をする人を客として迎えるだけでなく、社員自身にも働く場所の選択を広げた。チェスキーも各地のAirbnbを使い、滞在しながら働き始めた。経営者自身が宿泊先を探し、客の立場でサービスを使う生活へ入った。[42]
自由に動ける人の外側
働く場所を選べる制度は注目を集めたが、すべての仕事が同じように移動できるわけではない。病院にも工場にも、現場にいることが必要な人がいる。旅と仕事を組み合わせる構想が、最初から全員に開かれたものではないことも、彼は取材で問われた。[42]
それでも、会社が自ら使い方を広げたことで、休暇のためだけではない宿泊を考えることになった。寝られれば十分だったエアマットレスの時代とは違い、働き、食事をし、何日も暮らす場所として家が選ばれる。その変化は、新しい不満も目立たせた。[41]
21安いはずの部屋が高い
最後に加わる清掃料
検索画面では手頃に見えたのに、予約へ進むと清掃料などが加わって高くなる。さらに出発するときには、細かな片づけまで求められる。Airbnbの不満は、知らない人の家へ泊まる怖さだけではなくなっていた。[43]
2022年、会社は総額を分かりやすく見せる方針を打ち出した。宿泊料金だけを目立たせ、支払う段階で追加費用に驚かせるのを避ける。チェックアウト時に求められる作業も、予約前に把握できるようにする。客が気になるのは、細かく名目を分けた説明より、結局いくら払い、何をしなければならないかだった。[43]
翌2023年には、ホストが近くの物件の価格と比べやすい道具なども整えた。自分の家だけを見て価格を決めるのではなく、旅行者にどんな選択肢が見えているかを貸す側にも示す。予約を増やすための仕事は、物件を集めるところから、選ばれ方を直すところへ進んでいた。[44]
黒字になっても直す場所がある
2022年、Airbnbは初めて通期で純利益を計上した。カードの支払いをシリアルでつないでいた会社が、年間で利益を残せるようになった。その一方で、使うたびの細かな不満は成長の陰に隠れなかった。[45]
会社は2023年の株主向け説明で、総額表示などを進めるなか、清掃料を下げるか廃止した物件が増えたと報告した。画面の表示を変えることが、ホストの価格判断にも影響する。数字が立派になったあとも、利用者が最後の支払い画面で戻る理由を潰していく仕事は続いた。[46]
22家賃を助ける会社が街に問われる
始まりの街で予約が止まる
ニューヨークは、創業者がカメラを持ってホストの家を訪れた街だった。その街で2023年9月、短期賃貸の登録を予約サイトが確認する仕組みの運用が始まった。原則として住宅の30日未満の貸し出しにはホストの同居が必要で、客は2人まで。既存の規則を守っていることが、予約を受け付ける条件になった。[47]
市が守ろうとしたのは、旅行者向けに転用される住宅だった。空き部屋を貸して家賃を払う人を助けることと、住戸を丸ごと短期の観光客へ回して稼ぐことは、街に同じ影響を与えない。予約できる家を増やせば、そこに長く住むための家が減る場合もある。[47][48]
Airbnbが家賃を払いたいホストの力になるという創業期の話は、市の側から見ると別の問題にもつながっていた。誰かが家を守るための収入を得る一方で、別の住民は家賃の高い街で部屋を探している。会社がどちらの生活にも関わる規模になったのだ。[48]
予約に参加しない人の暮らし
短期貸し出しと住宅価格や家賃の関係は、研究の対象にもなった。効果は地域や住宅の条件によって異なるが、利用者同士の便利さだけで話を終えられない。ホストも旅行者も満足した予約が、隣の住民にとって望ましいとは限らなかった。[48]
市は登録の確認をサイト側にも求めた。Airbnbが家の場所と日程をつなぐだけなら、その街の住宅政策は別の話で済ませられるかもしれない。しかし、実際に予約と支払いを成立させる会社として、扱える物件の条件まで確認する役割を負うようになった。[47]
23創業者が細部へ戻る
任せるほど別々になった
会社が大きくなれば、専門の責任者を採り、担当部門を任せる。チェスキーもその方法を取り入れた。だが、各部門が自分の目標で動くほど、利用者にとっての1つの体験を作りにくくなったと振り返っている。[49]
パンデミック後、彼は製品の細部へ入り直した。何を作るのか、どこを直すのか、いつ出すのか。個別の部門の計画を、会社全体の計画として合わせていく。デザイナーだったころのように、一部分だけでなく全体のつながりを見る仕事へ戻った。[49]
参考にしたのはスティーブ・ジョブズのAppleでもあった。専門家を置くことと、創業者が知らないままになることを同じにしない。部門ごとに小さな会社ができる状態を避けるため、チェスキー自身が製品の方向と仕事の組み合わせに深く関わった。[49]
Founder Modeと呼ばれる
2024年、グレアムはチェスキーの講演をきっかけにFounder Modeという文章を書いた。創業者が組織図の上から報告を待つだけでなく、細部に関わりながら会社を動かす。その違いが、大きな議論になった。[50]
チェスキーが経営を学んだのは、経営学部ではなかった。200枚の自画像を作り、ホッケーチームの観客を集め、家賃が足りなくなれば床を売った。会社が大きくなったあとも、不便を見つけて設計し直すという入り方を変えなかった。[6][49]
一方で、創業者の判断が深く入る会社には、その人の優先順位が強く反映される。かつて絞った周辺事業へ、もう1度広がると決めたときも、チェスキーは製品の形を自ら説明する役に立った。[51]
24もう1度部屋の外へ
泊まらない日にも使う
2025年、Airbnbはサービスと体験を組み直した。Airbnb Servicesでは料理人、写真家、マッサージなどを探せるようにし、地元の人と過ごすAirbnb Experiencesも刷新した。宿泊とは別に、現地で頼めることを増やす構想だった。[51]
ホテルなら頼めるサービスを、誰かの家に泊まる旅行者にも届ける。さらに宿泊予約をしていない人も、住んでいる街で利用できるようにする。旅行のたびに開くアプリから、旅行しない日にも開くアプリへ。そのために宿、サービス、体験をまとめた。[51]
2016年にも部屋の外へ広がり、2020年には生き残るために事業を絞った。それから5年、再び広げる。会社は2025年末に向け、サービスを提供するホストを増やし、買い物の配達なども試した。体験の予約のうち、宿泊に結びついていないものが大きな割合を占めるようになったと報告した。[52]
売上122億ドル(約1兆9227億円)の先
2025年の年間売上は122億4100万ドル(約1兆9291億円)、純利益は25億1100万ドル(約3957億円)だった。旅行者が払った予約総額をそのまま会社の売上にしているわけではない。宿泊などに伴う手数料を中心に、それだけの収入が生まれていた。[38]
最初の家賃は1150ドル(約18万1240円)で、自分の預金は1000ドル(約15万7600円)だった。今は会社が各国で受け付ける予約を通じて、年間100億ドル(約1兆5760億円)を超える収入を得ている。それでも、貸し出す家を会社自身が一括で所有しているわけではない。各地の人が家を載せ、客を迎えるという最初の仕組みが、なお中心にあった。[9][38]
25AIの先で人に会う
自然な言葉で宿を探す
2026年、AirbnbはAIを使った検索やサポートを広げている。予算や人数、設備だけでなく、どんな旅がしたいかを言葉で伝える。物件や周囲の場所について質問する。会社はそうした検索を段階的に試し、サポートでもAIによる対応を増やした。[52]
客の質問をすべて人が読むのは難しくなったが、返事の速さだけでは予約を安心して任せられない。場所、設備、支払いなど、実際に泊まるための条件をきちんと扱わなければならない。2026年8月の発表でも、会社はAIとともに、地図や支払い、ホストの価格設定を直していることを説明した。[53]
AIなどを使い、重要な取り組みで構想から提供までの期間を最大60%短縮したというのも、会社が示した数字だった。人と泊まる場所を結びつける会社の裏側では、作る仕事も大きく変わりつつある。[53]
誰がデータを扱うのか
新しい技術には、別の問いもついてくる。2026年4月、アメリカ下院の委員会は、中国で開発されたAIモデルのAirbnbでの利用について、データ管理などの説明を求めた。議員側の照会であり、情報流出や違法行為が確認されたという発表ではない。[54]
最初の予約では、どんな人が家へ来るかが心配だった。事業が世界へ広がると、被害への補償、差別、近所の安全、住宅の不足が問題になった。今度は、客が伝えた情報を何が処理するのかまで、会社への信頼に含まれるようになった。[18][54]
チェスキーは、人と人が現実に出会うために技術を使うと説明している。最も新しい道具を持ち込んでも、目指す先は、画面の中で会話を終わらせることではない。最初のアパートで起きたように、知らない場所へ出向き、誰かと時間を過ごすことだった。[52]
26可能性を渡す側へ
卒業生へ語る
2017年、チェスキーはRISDの卒業式へ戻り、今度は卒業生に向けて話した。2004年にガウンを脱いで踊った学生は、世界へ広がる会社の共同創業者になっていた。美大で学んだことを使って、デザイナーという職業の範囲そのものを広げてきた。[5]
前年の2016年には、財産の過半を公益のために使うGiving Pledgeに参加した。手紙で挙げたのは、自分を信じた人たちだった。両親、高校の教師、RISDの教授、そしてゲビア。初めから成功を知っていた特別な少年としてではなく、周りに可能性を見せてもらった人として、自分の歩みを書いた。[55]
2022年にはオバマ夫妻とともに、公共のために働くことを目指す学生へのVoyager Scholarshipを始めた。チェスキーの1億ドル(約157億円)の寄付をもとに、学費や旅を通した学びを支える。子どものころ、母の仕事についていった旅で外の世界を見た彼が、今度は学生へ旅の機会を渡す側になった。[56]
鍵の向こうに生活がある
家賃を払うために開いたアパートには、3人の客が来た。創業者は全員の顔を知り、食事をし、街を案内した。会社が大きくなると、ホストの家へCEOが1軒ずつ行くことはできない。だから、行けない相手にも何を届けるのかを、仕組みで決めなければならなくなった。[10][9]
ニューヨークで撮り直した写真、家を荒らされた人への保証、差別を防ぐために変えた顔写真の表示、仕事を失う社員への支援。チェスキーの選択は、きれいな成功談だけでは並ばない。最初に作ったやり方が足りなかったとき、当事者から突きつけられ、会社の側を変えることもあった。[15][19][27][35]
今も、予約の先には誰かの家がある。ホストには暮らしがあり、旅行者にはその旅の事情があり、隣には予約をしていない住民がいる。1150ドル(約18万1240円)の家賃を払えなかった青年は、その全員に影響する会社を率いるようになった。少年が描き直していたおもちゃや街より、ずっと多くの人が、その設計の中で日々を過ごしている。[9][47]
参考文献・出典 56件
本文の番号に対応する資料です。本人・関係者のインタビュー、当時の取材、企業の発表を参照しています。
- Brian Chesky — biography and education ↩ 本文
- The Art of Hospitality — Andrew Lewis, Sequoia Capital, 7 December 2021 ↩ 本文
- Design Matters: Brian Chesky — Debbie Millman interview transcript, 26 January 2026 ↩ 本文
- Brian Chesky Shares His Childhood Obsession for Design — original interview excerpt, May 2017 ↩ 本文
- Class of 2017 Set to Shape the Future — RISD, 2017 ↩ 本文
- An Unbelievable Journey — Sarah Lacy interview with Chesky in 2013, republished 2 January 2017 ↩ 本文
- Do things that don't scale — Masters of Scale, Brian Chesky interview, 3 May 2017 ↩ 本文
- The Airbnb Story — official timeline, August 2018 ↩ 本文
- Airbnb Form S-1 — 16 November 2020 ↩ 本文
- An Important Announcement from Airbnb — Brian Chesky to host community, 30 October 2020 ↩ 本文
- The Airbnbs — Paul Graham, December 2020 ↩ 本文
- Airbnb's Surprising Path to Y Combinator — WIRED, February 2017 ↩ 本文
- The Economic Club of New York — Brian Chesky, 13 March 2017, transcript ↩ 本文
- Subject: Airbnb — Paul Graham, March 2011, released contemporaneous email exchange ↩ 本文
- Do Things that Don't Scale — Paul Graham, July 2013 ↩ 本文
- How great leaders respond in a crisis — Masters of Scale, Brian Chesky, 9 May 2023 ↩ 本文
- Airbnb: Building (and Rebuilding) User Trust to Revolutionize Travel — Crucible Moments, primary participant interviews ↩ 本文
- How Airbnb designs for trust — Joe Gebbia, TED, 2016 ↩ 本文
- Airbnb Apologizes and Offers $50,000 Guarantee to Home Owners — AllThingsD, 1 August 2011 ↩ 本文
- Airbnb Fact Sheet — official 2012 fact sheet ↩ 本文
- How Snow White Helped Airbnb's Mobile Mission — Fast Company, 8 November 2012, interviews with Chesky and Gebbia ↩ 本文
- About us — Airbnb.org, nonprofit origin and emergency housing model ↩ 本文
- Don’t Fuck Up the Culture — Brian Chesky, employee letter 21 October 2013, published April 2014 ↩ 本文
- Airbnb CEO: Bias and Discrimination Have No Place Here — TIME, 8 September 2016, reproduces Chesky letter ↩ 本文
- Racial Discrimination in the Sharing Economy: Evidence from a Field Experiment — Edelman, Luca, Svirsky, September 2016 ↩ 本文
- Airbnb Hosts Discriminate Against African-American Guests — HBS Working Knowledge, researchers on their field experiment ↩ 本文
- An Update on Airbnb's Work to Fight Discrimination — 10 September 2019 ↩ 本文
- A six-year update on Airbnb's work to fight discrimination — 13 December 2022 ↩ 本文
- Airbnb Expands Beyond the Home with the Launch of Trips — 17 November 2016 ↩ 本文
- HotelTonight and Airbnb Finalize Acquisition — 15 April 2019 ↩ 本文
- Airbnb officially codifies party ban — 28 June 2022 ↩ 本文
- 5th victim dies after shooting at Halloween party at Airbnb in Orinda ↩ 本文
- We died and were reborn — Masters of Scale, Brian Chesky interview, 2021 ↩ 本文
- A Letter to Hosts ↩ 本文
- A Message from Co-Founder and CEO Brian Chesky — 5 May 2020, employee letter ↩ 本文
- The 21st-century corporation: A conversation with Brian Chesky of Airbnb — McKinsey, 2021 ↩ 本文
- Designing the Future of Airbnb — Brian Chesky, 21 October 2020 ↩ 本文
- Airbnb Form 10-K, year ended 31 December 2025, filed 12 February 2026 ↩ 本文
- What Makes Airbnb, Airbnb — founders letter included in 2020 S-1 ↩ 本文
- Airbnb 2021 Release: 100+ innovations and upgrades across our entire service ↩ 本文
- Airbnb's design to live and work anywhere — 28 April 2022, CEO employee letter ↩ 本文
- The Office As We Know It Is Over — TIME interview with Brian Chesky, 8 May 2022 ↩ 本文
- Airbnb is introducing total price display and updating guest checkout — November 2022 ↩ 本文
- Airbnb 2023 Summer Release highlights — May 2023 ↩ 本文
- Airbnb Q4 2022 and full-year financial results — February 2023 ↩ 本文
- Airbnb Q4 2023 Shareholder Letter ↩ 本文
- NYC Steps Up Enforcement of Illegal Short-Term Rental Activity — Mayor’s Office of Special Enforcement ↩ 本文
- The Effect of Home-Sharing on House Prices and Rents: Evidence from Airbnb — Barron, Kung, Proserpio, 4 March 2020 ↩ 本文
- Brian Chesky’s new playbook — Lenny Rachitsky interview, 12 November 2023, full transcript archive ↩ 本文
- Founder Mode — Paul Graham, September 2024 ↩ 本文
- 2025 Summer Release: Now you can Airbnb more than an Airbnb — 13 May 2025 ↩ 本文
- Airbnb Q4 2025 financial results — 12 February 2026 ↩ 本文
- Airbnb Q2 2026 financial results — 6 August 2026 ↩ 本文
- US House Homeland Security and China Select Committees — letter to Brian Chesky, 29 April 2026 ↩ 本文
- Brian Chesky — Giving Pledge letter, 1 June 2016 ↩ 本文
- The Obamas and Brian Chesky announce the Voyager Scholarship for Public Service — 16 May 2022 ↩ 本文
写真の作者・利用条件・撮影年は各画像の下に記載。取材資料と写真の出典は別々に確認できます。
※ 円換算は2026年11月2日確認のWise表示値(1米ドル=157.6円)を使用。取引当時の為替や物価・購買力を再現するものではありません。 為替出典:USD
本文更新:2026-11-02



