THE STORY
ピーター・ティールの物語
選んだ道。その先で、起きたこと。
017か月と3日で出ていく
勝ち取った席を捨てる
ニューヨークの法律事務所Sullivan & Cromwellには、入る前と入った後で、まるで違う評判があった。外の人間は入りたがり、中の人間は出たがっている。スタンフォードで哲学と法律を学び、選抜をくぐってきたピーター・ティールも、そこで働くようになった。[1][2]
7か月と3日で辞めた。同僚は、そんなに早く抜け出せるとは知らなかったと驚いた。刑務所のアルカトラズからも脱出できるのか、という冗談まで出たと本人は振り返る。競争に勝って手に入れた席を、自分から空けたのだった。[1]
その後のティールは、競争から遠い穏やかな人生を選んだわけではない。PayPalではイーロン・マスクと同じ車で事故に遭い、同じ会社で経営の主導権を争った。Facebookへ50万ドル(約7880万円)を出し、ロケット会社へ資金を送り、秘密裏に支援した裁判ではメディア企業が破産した。[3][2][4][5]
「競争は負け犬のすることだ」と説く男は、なぜそれほど争いの近くにいるのか。その矛盾のような人生は、数学とチェスで勝つことが得意だった少年から始まる。[6][7]
027つの小学校
国境の向こうで育つ
地理データ:Natural Earth(パブリックドメイン)。現代の地理と都市の代表位置。出生宅・移動経路ではありません。編集部作図。
1967年10月11日、ピーター・アンドレアス・ティールは、西ドイツ中西部の金融都市フランクフルトに生まれた。父クラウスは化学技術者で、鉱山に関わる仕事もした。一家は翌年アメリカへ移り、その後も父の仕事に合わせて暮らす国を変えた。[8]
アメリカ中西部・オハイオ州の工業都市クリーブランドから、南アフリカ、現在のナミビア西部の海沿いの街スワコプムントへ。ピーター少年は小学校だけで7校に通った。南西アフリカの学校では制服と厳しい規律があり、間違えると定規で手をたたかれたと、後に語っている。[8][9]
1977年、一家はアメリカ西部・カリフォルニア州のフォスターシティに落ち着く。サンフランシスコ湾沿いの住宅都市だ。国をまたぐ移動が終わり、少年は学校の勉強やチェスで頭角を現した。[8][10]
チェスでは同年代の全米上位に入り、高校では数学のチームでも活躍した。盤上なら、自分の選んだ手がよかったかどうかは勝敗で分かる。学校でも成績がつく。ティールは、その順位の上へ進む側にいた。[7][10]
一方、熱中して読んだのはSFやJ・R・R・トールキンの『指輪物語』だった。後に彼が関わる会社の名には、遠くを見通す石Palantir、特別な金属Mithrilが登場する。会社の名札にするほど、少年時代の物語が残った。[8][11]
03大学で新聞をつくる
少数派の発行人
1985年、ティールはスタンフォード大学へ進んだ。数学を得意としていた青年が選んだ専攻は哲学だった。キャンパスでは教養教育、多文化主義、発言の規制をめぐって論争が続いていた。[10][12]
1987年、仲間と学生新聞The Stanford Reviewを創刊した。大学の主流派へ対抗する保守的な新聞である。授業で意見を言うだけではなく、自分たちの原稿を紙面にし、配布する場所を作った。後にPayPalで働くデビッド・サックスとの関係も、この学生新聞の周辺で育った。[12][13]
ティールとサックスは1995年に『The Diversity Myth』を共著で出す。大学が多様性を掲げながら、異論へ不寛容になっていると批判した本だった。だが、その中の性暴力に関する記述などは、後にティール自身が謝罪する問題になる。若い頃に発した言葉も、成功後の彼について回った。[13][14]
ジラールの授業
大学で出会ったルネ・ジラールは、人が他人の欲望をまねる仕組みを考えた思想家だった。誰かが欲しがっているから、自分も欲しくなる。同じものを求める者同士が、やがて相手に負けないことへ熱中していく。ティールはこの考え方に強い影響を受けた。[15][16]

写真:Vicq/出典/Public domain。サイズ調整。
1989年に学部を卒業すると、スタンフォードのロースクールへ進み、1992年に修了した。大学を出た後も、連邦控訴裁判所のジェームズ・ラリー・エドモンドソン判事の下で働き、さらに最高裁の法務助手を目指す。アントニン・スカリア、アンソニー・ケネディ両判事の面接へ進んだが、採用されなかった。[2][10][17]
名門の法律事務所へ入ったのは、その後だった。そこも7か月と3日で辞めると、Credit Suisse系の仕事で金融派生商品の取引へ移った。進路を変えるたび、それまでに積んだ学歴と経験は残った。だが、肩書きをさらに上へ進めるだけの道からは外れ始めていた。[1][2]
046人の講義
金融と暗号が出会う
1996年、ティールはカリフォルニアへ戻り、Thiel Capitalを始めた。元手は家族や友人から集めた100万ドル(約1億円)だった。弁護士や金融取引の経験を持つ20代のティールが、今度は自分で投資先を選ぶ。[18][10]
戻ったのは、アメリカ西部・カリフォルニア州の、テクノロジー企業が集まるシリコンバレーだった。インターネットを使う新事業が相次いでいた。そこで出会ったのが、暗号技術に詳しいマックス・レヴチンである。[19][20]
レヴチンが初めてティールの講義へ来たとき、聴衆は6人しかいなかった。少人数の講義の後で話し、さらに会って議論するうちに、金融と暗号を組み合わせる事業が形になっていった。ティールには資金と金融の知識があり、レヴチンには安全に情報をやり取りする技術があった。[20]
最初に考えたのは、PalmPilotという携帯端末で使う電子の財布だった。まだスマートフォンではなく、予定や連絡先などを管理する小型の機械だ。端末同士を近づけ、赤外線で情報をやり取りするように、お金を送れないか。[20][2]

写真:MrLion626/出典/CC BY-SA 4.0。サイズ調整。
1998年12月、Confinityを共同創業した。ティールがCEO、レヴチンが技術を率いた。自分たちの仕組みを使えば、現金を手渡す代わりに、端末の中のお金を渡せる。まずは、その姿を投資家へ見せることにした。[2]
05カメラが来る朝
動かない実演装置
最初の大きな資金調達では、投資家から会社への資金を、PalmPilot同士で送る実演を計画した。テレビの取材も呼んだ。会社を説明する言葉だけでなく、出資そのものに製品を使う宣伝だった。[21]
ところが、実演まで3日という段階でプログラムに問題が続出した。前夜になっても、赤外線通信を支える重要部分を書き直していた。予定の時刻には投資家とカメラが来る。動かないままなら、製品の将来を見せるはずの発表が、失敗の記録になってしまう。[21]
成功したように見せる案も出たが、本当に動かすことを選んだ。開発側は当日の朝まで調整を続け、端末をそろえ、通信を確かめた。実演は成功する。会場の端末から別の端末へ、お金が送られた。[21]
後にこの実演を振り返ったレヴチンは、発表の直前まで技術が危うかったことも隠さなかった。Confinityは製品が完成してから営業を始められる会社ではない。資金を集める約束と、製品を動かす仕事が、同時に進んでいた。[21][22]
06財布よりメールが売れる
客が決めたPayPal
電子の財布の隣で、会社はメール送金も作っていた。送る相手のメールアドレスがあればいい。相手がまだ会員でなくても通知を受け取り、お金を受け取るために登録する。特別な端末を持っているかどうかは関係なかった。[23][24]
伸びたのは、こちらだった。送金する人が、次の利用者へお金を届ける。広告を見てもらう前に、受け取ってほしい金銭が相手の前にある。利用者が増える行為そのものが、さらに新しい利用者を連れてきた。[23]
とりわけネットオークションのeBayで需要が強かった。商品は画面で落札できるのに、代金は小切手などで送らなければならない。売り手は入金を待ち、買い手は発送を待つ。メールで支払えれば、その待ち時間を短くできる。[24][1]
Confinityが作りたかった財布より、売り手たちが繰り返し使う送金が伸びた。会社は、その利用者をさらに増やそうとした。登録や紹介への特典として10ドル(約1,576円)を配る。入ってきた人がまた友人を誘う。口座数は勢いよく増えるが、会社の現金も減っていった。[25][24]
2000年初めに1万2000だったアカウントは、半年後に220万へ増えた。2001年末には1280万口座。そのうち事業用は260万だった。画面の上の登録者数を喜んでいる間にも、特典と取引を支える支出は口座から出ていった。[26]
07マスクの会社と合体する
敵を外から中へ入れる
送金を使いたい客には、別の選択肢もあった。マスクが1999年に始めたX.comである。マスクはネット上で銀行口座や投資などをまとめて扱う構想を持っていた。ConfinityとX.comが同じ客へ特典を配り続ければ、両社の資金が削られる。[24][26]
2000年3月、X.comとConfinityは合併した。会社の名前はX.com。Confinity側の株主は合併直後の議決権の約46.5%を持った。ティールはいったん経営の現場を離れる。[2]
合併は、意見の統一まで保証しなかった。ネット銀行全体を大きくするのか、伸びている送金へ集中するのか。システムをどう動かすのか。外で戦っていた相手が、同じ会社の進路を決める相手になった。[26][27]
合併直後はビル・ハリスがCEOだった。5月にマスクへ替わり、9月にはティールへ替わる。半年で3人のCEO。急増する送金と利用者を抱えた会社の中で、経営の主導権も落ち着かなかった。[2]
08カードが止まった決済会社
残り6週間で金を集める
合併へ進んだ2000年3月、会社には1500万ドル(約23億円)が残っていた。大きな金に見えても、毎月の資金流出は1000万ドル(約15億円)ほどに達していた。ティールたちが計算すると、このままでは6週間で尽きる。[28]
エンジニアたちは成長を止めたくなかった。送金する人がさらに新しい利用者を呼び込んでいる。ここで機能や特典を引っ込めれば、ようやく回り始めた仕組みを自分たちで止めることになる。ティールは、その勢いを支える資金を外へ探しに行った。[28]
訪ねた韓国では、投資家たちが自分の金を受け取ってほしいと競うような状況だった。ところが、帰国便を手配しようとしたティールのクレジットカードが通らない。インターネットの決済を変える会社の経営者が、航空券を買うための支払いで止まった。本人は後に、利用限度に達していたのかもしれないと振り返った。[28]
投資家側は、その場でファーストクラスの航空券を買った。さらに翌日、会社の法律事務所へ送金先を尋ね、書類へ署名する前に500万ドル(約7億円)を送り込んだという。資金が消える会社の内側と、そこへ急いで金を入れたい投資家の外側で、熱気はまるで違っていた。[28]
3月31日金曜日、1億ドル(約157億円)の資金調達を終えた。後の開示書類にも、合併の翌日に実施した優先株の発行として、この調達が残る。ティールは、この直後に相場が崩れたと講演で語っている。調達した金は、不正を抑え、送金に利益を残す方法を探す時間になった。[28][26]
09マクラーレンが跳ぶ
投資家へ行く途中で
2000年、ティールはマスクのMcLaren F1に乗り、Sequoia Capitalの投資家マイク・モリッツとの面会へ向かっていた。走っていたのは投資会社が集まるサンドヒル・ロードだ。車の性能を尋ねられたマスクが、アクセルを踏んで車線を変える。後輪が滑り、車は回り始めた。[3]
マスクの回想によれば、斜面に衝突した車体は空中へ跳ね、回転して路面に落ちた。車輪やガラス、車体に大きな損傷が出た。それでも2人は車から降りた。保険はかけていなかったという。[3]
ティールは別の車に乗せてもらい、先にSequoiaへ向かった。マスクは消防車や救急車の対応を待ち、車の処理を終えてから後を追う。2人は結局、投資家との面会を続けた。会社の資金を話しに行く途中で命を落としかけても、予定していた仕事へ戻った。[3]
10旅行中のCEO交代
大きな銀行をやめる
マスクが旅行に出ている間に、取締役会はCEOを替えた。2000年9月、ティールは経営へ復帰する。合併した会社の中心にいたマスクは、株主と取締役には残ったが、日々の経営を率いる席を失った。[27][2]
ティールの下で、会社は広げていた金融事業を絞る。10月にはネット銀行業務から退き、PayPalへ集中する方針を決めた。利用者が増えていたのは送金だった。預金も投資もまとめて変える構想より、すでに客が繰り返し使う機能へ資源を向けた。[26]
2001年2月、会社名もPayPalへ変えた。マスクのX.comという名は表から消える。かつて別々に作った会社を合併し、その後さらに、残す事業と率いる人を選び直した結果だった。[2]
だが、競合との消耗戦が終わっても、送金する金を狙う相手は消えなかった。[29]
11送金が盗みの道になる
詐欺師にも便利だった
盗まれたカードの情報を登録し、別の口座へ金を送り、引き出して逃げる。カードの本当の持ち主が気づく頃には金がない。PayPalは取引を増やすほど、不正に使われる危険も抱えた。[29][26]
レヴチンたちは対策を作り直した。すべてを人の目で追えば間に合わない。すべてを自動判定へ任せれば、手口を変える詐欺師に追いつけない。不審な取引を機械で絞り、分析する人の判断へつなぐ。正しい客へ速く金を送る会社は、不正な送金を止める会社にもならなければならなかった。[29]
止めすぎても問題になる。売買代金を受け取れない利用者からすれば、自分のお金を取り上げられたのと変わらない。本人確認、問い合わせ、凍結した口座への対応が増えた。利用者数の伸びと一緒に、会社が処理する苦情も重くなっていった。[26][25]
資金の入り方でも費用が違った。PayPal内の残高を動かすのか、銀行口座から引き落とすのか、カードで払うのか。手数料を得ても、決済費用と不正損失がそれを上回れば、送金するたびに赤字になる。ティールらは、顧客を増やすだけの時期から、取引の費用を下げて収益を残す時期へ進んだ。[26]
2001年の売上は1億483万1000ドル(約165億円)だった。一方、取引を処理する費用だけで4758万9000ドル(約75億円)、取引損失への引当は1476万ドル(約23億円)に上った。さらに問い合わせに答え、機械を動かし、社員へ報酬を払う。相手へ渡す送金額が大きくなっても、その全部がPayPalの収入になるわけではない。[26]
同年の純損失は1億780万ドル(約169億円)。そこには、買収に伴う無形資産の償却や株式報酬など、多額の非現金費用も含まれた。発表された赤字の額がそのまま毎年口座から流れ出る現金ではないが、経営者が利益を出す仕事を終えたわけでもない。株式公開へ向かう会社は、この数字も投資家へ見せなければならなかった。[26]
さらに、利用者の多くがいるeBayには、Billpointという独自の決済手段があった。PayPalが便利になるほど、自社の売り場で他社の決済が育つeBayとの関係も緊張していった。[30]
1210億ドル(約1576億円)を断る
先に上場して値段をつける
2001年末、eBayの買収提案は10億ドル(約1576億円)に近づいていた。上場を準備していたPayPalには、売るという選択肢が迫る。売れば会社同士の長い対立が終わり、社員や投資家へ利益を返せる。独立を続ければ、次の資金と成長を自分たちで確保しなければならない。[31]
財務責任者ルーロフ・ボータは、上場すれば市場が会社を評価する、その意味も大きかったと振り返っている。相手の提示額だけで会社の値段を決めず、まず公開市場へ出る。PayPalは買収に応じず、上場へ進んだ。[31]
2002年2月、直前の特許訴訟による延期も乗り越え、PayPalはNASDAQへ上場した。公開価格は1株13ドル(約2,048円)。540万株を売り、7020万ドル(約110億円)を調達した。初日の終値は20.09ドル(約3,166円)だった。[32][33]
インターネット企業なら何でも値がついたバブルは崩れていた。PayPalは不正対策と赤字を抱えながら、それでも資金を調達し、独立した会社の値段を得た。eBayとの交渉を続ける足場ができた。[31][24]
1315億ドル(約2364億円)で売る
会社を出ても残る人脈
2002年7月、eBayはPayPalの買収を発表した。公表した規模は15億ドル(約2364億円)。PayPal株1株につきeBay株0.39株を渡す株式交換で、10月3日に買収は完了した。ティールはCEOを辞任し、eBay側のマット・バニックが後を継いだ。[30][34]
創業者の全員が、そのまま同じ仕事を続けるわけではなかった。リード・ホフマンはLinkedInへ、ジェレミー・ストップルマンたちはYelpへ、スティーブ・チェンやチャド・ハーリーたちはYouTubeへ進む。マスクはSpaceXを率い、ティールは次の起業と投資へ向かった。後にPayPalマフィアと呼ばれる人々である。[19][35]
同じ会社にいたから、意見が同じだったわけではない。経営を巡って衝突した相手もいる。それでも、資金が減り、不正に追われ、製品を直し続ける時期に、誰が何をできるかは見ていた。会社の売却で得た資金が、そうした相手の次の会社へ流れた。[36][37]
ティールの最初の電子通貨構想は、国家の通貨を置き換えるものにはならなかった。代わりに残った送金の事業と人々のつながりが、次の仕事を始める足場になった。[35][19]
14次の客は政府
遠くを見通す石
2003年、ティールはPalantirの共同創業に加わった。名は『指輪物語』で遠くを見るために使う石から取った。作ろうとしたのは、ばらばらの情報を結びつけ、人間の分析を助けるソフトウェアだった。[38][39]
PayPalでは、大量の送金記録から詐欺のつながりを探した。別の名前の口座や、離れた取引の間に、同じ不正の痕跡がある。それをテロ対策に応用できないか。共同創業者スティーブン・コーエンは、2004年半ばにティールからその構想を持ちかけられたと語っている。[40]
機械が答えを出し、人間が信じるだけの製品にはしない。違う形式で集まる情報を並べ、つながりを探し、仮説が違えば調べ直せるようにする。PayPalで人と機械を組み合わせて不正に対抗した経験を、今度は安全保障の情報へ持ち込んだ。[38][41]
カープをCEOにする
経営を率いる人物として加わったのが、アレックス・カープだった。ティールとはスタンフォードで法律を学んだ頃からの知人で、考えが合わなくても議論を続ける関係だった。哲学を語り合う相手が、今度は顧客へ製品を売る会社を率いる。[42]
カープは2005年からCEOを務めた。顧客の現場に入り、導入の難しい案件を動かし、長い時間をかけて事業を伸ばすのは、カープと技術者たちだった。ティールは会長として資金や方向性、経営を続ける仕組みに関わった。PayPalのCEOだったときとは役割が違う。[39][41]
国家が大量の情報を結びつける力を得れば、調べられる人の生活へも届く。安全保障を助ける製品であると同時に、誰へどこまで使わせるかが問われる製品だった。政治から個人を自由にしたいと考えるティールが、国家の情報分析を支える会社の会長になる。彼の仕事には、その緊張も組み込まれた。[38][43]
1550万ドル(約7880万円)の学生
売り込みの下手な創業者
2004年、ショーン・パーカーやホフマンらを介し、ティールはFacebookを作ったマーク・ザッカーバーグと会った。大学生が友人とつながるためのサイトだった。[4][17]
会っても、ザッカーバーグはあまり話さない。机を見つめるような若者だったと、ティールとホフマンは後に振り返った。立派な事業計画を滑らかに話す経営者とは違った。それでも学生たちはそのサイトへ何度も戻り、利用する大学も増えていた。[1]
ティールが注目したのは、実名で現実の人間関係を持ち込む点だった。別の自分を演じるのではなく、学校で知っている相手とつながる。その輪へ入れば、ほかの友人も入りたくなる。PayPalで見た、人の集まりがさらに人を呼ぶ力があった。[17][36]
50万ドル(約7880万円)を出した。最初期の外部資金で、ティールは会社へ深く関わることになる。後に巨大な会社になるFacebookも、この時点では、どこまで広がるかまだ分からない学生の事業だった。[4]
10分で終えるつもりの取締役会
Facebookへ50万ドル(約7880万円)を投じた2年後、ティールは今度は売却を考える側にいた。2006年7月、Yahoo!が提示したのは10億ドル(約1576億円)。学生向けサイトとして始まった会社には、まだ利益が出ていなかった。そこへ、若い経営陣の人生を一気に変える買い取りの話が来た。[44]
月曜日の朝、3人の取締役が集まった。ザッカーバーグ、ティール、投資家ジム・ブライヤー。後にティールが語ったところでは、自分とブライヤーは売る方へ傾いていた。ところが22歳の創業者は、売らないことは決まっているのだから、会議は10分もかからないという態度で現れた。[44]
ティールたちは、持分を売ればできることが山ほどあると説いた。ザッカーバーグが返した考えは、金を得てもまた交流サイトを作るだろうし、いま作っている会社が気に入っている、というものだった。資産を現金に替える勧めに、仕事を続けたいという答えが返ってきた。[44]
Yahoo!の提案は断った。ティールには不安もあったが、創業者を支える側へ回った。自分がPayPalで選んだのは、上場の後に会社を売る道だった。Facebookでは、自分と同じ結論を求めず、売らない創業者と株主として残る。その判断が後の大きな保有資産を残した。[44][34]
買わなかった株
最初の投資が成功しても、その後の判断がすべて当たったわけではない。Facebookの企業価値が上がり、次の投資の値段が大きく高くなると、ティールは追加投資を見送った。[36]
最初の安い値段を知っている。そこから上がった値段を見ると、もう高すぎるように感じる。しかし、利用者も事業も変わっていた。ティールは後に、この追加投資をしなかったことを、大きな投資上の失敗に数えた。大当たりした会社を、もっと持てた機会を逃したのだった。[36]
2012年にFacebookが上場すると、保有株は実際に売却できる資産になった。同年夏の売却では2000万株を超える株を手放し、約4億ドル(約630億円)を得た。50万ドル(約7880万円)から始まった持分は、桁違いのお金を生むようになった。[4]
16Founders Fundを作る
創業者の隣に座る
2005年、ティールはケン・ハウリー、ルーク・ノゼックらとFounders Fundを設立した。若い会社へ資金を出すベンチャーキャピタルだ。自分がCEOになるだけでなく、別の創業者が率いる会社を支える側へ回る。[19][39]
会社を始めた本人が、なぜ続けるのか。何を実現しようとしているのか。創業者には、採用された経営者とは違う執着や長い時間軸があると考えた。ティールがPayPalの売却で得た資金と経験は、新しい会社の側に置かれた。[45][35]
Founders Fundは複数のパートナーで投資を進めた。案件を見つける人、取締役として支える人、次の資金調達を助ける人がいる。その仕事の中で、かつてPayPalでぶつかったマスクの名が再び現れる。[46][37]
17ロケットへ2000万ドル(約31億円)
かつてCEOを替えた相手
2008年、Founders FundはSpaceXへ2000万ドル(約31億円)を投じた。マスクが率いる会社で、Falcon 1という小型ロケットの打ち上げに失敗を重ねていた。安定して利益を出す会社へ払う資金ではない。[47][48]
PayPalでは会社の進め方を巡って対立した。それでも今度は、マスクの宇宙開発へ金を置く。ノゼックも取締役として資金調達に関わった。[37]
同年9月、Falcon 1は4回目の打ち上げで軌道投入に成功した。成功までの機体を設計し、失敗を修正したのはSpaceXのチームだった。投資家は、そのチームが次の試みへ進むための資金を出した。以前の会社でどちらがCEOになるかと、新しいロケット会社を支えるかは、別の判断だった。[48][37]

写真:SpaceX/出典/CC0。サイズ調整。
18相場では外れる
Clariumが縮んでいく
PayPalの後、ティールはClarium Capitalというヘッジファンドも育てていた。金利や為替、原油など、経済全体の動きを読んで取引する。Facebookの成長を何年も待つ投資とは違い、値段がいつ、どちらへ動くかが収益を左右した。[49][18]

写真:TechCrunch50-2008/出典/CC BY 2.0。サイズ調整。
運用資金は一時、数十億ドル(円換算では数千億〜1兆円超の規模)へ膨らんだ。しかし2008年から損失が続き、2010年にも年間23%のマイナスを出した。市場の大きな変化を予想しても、その時期や方向を外せば、口座の数字は減っていく。[18][49]
出資者の引き揚げも重なり、2011年初めに運用残高は4億6200万ドル(約728億円)へ縮んだ。すべてを取引で失った額ではない。損失が出るファンドから客が金を戻していくと、次に運用する資金も小さくなる。[50]
同じティールが、Facebookでは大きな成長を捉え、マクロ取引では連続して外した。Clariumは非公開の技術企業への投資も広げる方向を示した。ティールの活動の中心は、相場全体を当てる仕事より、特定の会社と創業者へ賭ける仕事へ移っていった。[50][19]
19海の上に逃げ道を探す
自由と民主主義への疑い
2009年、ティールはCato Unboundへ文章を寄せた。自分は今も個人の自由を重く見るリバタリアンだ、とした上で、自由と民主主義が両立するとはもう信じていないと書いた。大学時代から議論を重ねても、政治全体を思う方向へ動かせたとは感じていなかった。[43]
文章では、福祉の受給者が増え、女性へ参政権が広がったことにも言及し、それらを自由主義的な政治に難しい条件として扱った。多くの人が持つ権利と、自分が求める自由が、同じ方向を向くとは限らないという考えが公になった。[43]
前年の2008年、彼はSeasteading Instituteの設立を資金面で支えていた。パトリ・フリードマンらが進める、海上で新しい共同体を試す構想である。すでにある国の大多数を説得する代わりに、別の制度で暮らす場所を作れないか。[51]
インターネット、宇宙、海。ティールはそれらを、政治の外へ新しい可能性を開く場所として挙げた。ただ、海上の新国家がすぐに現れたわけではない。必要なのは住居だけでなく、人が暮らし続ける制度と事業だった。[43][51]
20ニュージーランドの市民権
居住期間の例外を使う
2011年1月、ティールはニュージーランドの市民権を申請した。6月30日に、特別な事情を考慮する法律の条項で大臣が承認する。8月には、カリフォルニア州サンタモニカの領事館で宣誓した。[52]
普通に現地で暮らし、必要な居住期間を満たした申請ではなかった。後に公開された記録では、滞在日数の短さが注目された。行政監察官も、例外的な承認の理由を知る公益があると判断した。[53]
その国との関係は、市民権だけではなかった。承認の前年、2010年10月、ニュージーランドの会計ソフト会社Xeroが、ティールから400万ニュージーランドドル(約3億円)の出資を受けると発表していた。Valar Venturesを通じた投資で、同社にとって最初の案件だった。[54]
小さな国からアメリカを狙う
Xeroは、企業や会計担当者がインターネット上で帳簿を扱うサービスだった。経営者ロッド・ドルーリーが次に狙ったのは、QuickBooksという有力な会計ソフトがあるアメリカ市場。国内で顧客を増やすだけでなく、大きな市場の既存企業へ挑む資金と人脈が必要だった。ティールはアメリカ事業の助言組織にも加わる。[54]
Valarが掲げたのは、すでに売上のあるニュージーランド企業を世界市場へ送り出す仕事だった。ドルーリーは出資の発表で、ティールたちの人脈がQuickBooksに挑む上で大きな助けになると説明した。製品を作る仕事を進めてきた経営者が、今度は売り込む先へつながる関係を得た。[54]
2012年3月、ニュージーランド政府は、Valarと政府系のNew Zealand Venture Investment Fund、民間投資家による4000万ニュージーランドドル(約35億円)のファンドを発表した。政府系が2000万、ティールが1500万、その他の現地投資家が500万ニュージーランドドル(約4億円)を拠出する構成だった。[55]
政府が期待したのは、国内だけでは早く成長しきれない会社を、海外市場へつなぐことだった。ティールの金だけでなく、海外の客と資本へ届く関係を買う。国家の仕組みに疑いを書く投資家と、輸出する技術企業を増やしたい政府が、ここでは同じファンドを支えることになった。[55][43]
同年11月、XeroはValarとMatrix Capital Managementから6000万ニュージーランドドル(約53億円)の新しい資本を調達したと発表した。2社が出した総額8200万ニュージーランドドル(約72億円)のうち、2200万は既存の大株主が持つ株の購入へ回る取引だった。新株で会社へ入る金と、すでに持つ株を売る人へ渡る金を組み合わせた。[56]
Valarが支出するのは2400万ニュージーランドドル(約21億円)で、持分は3.9%から7.0%へ増えた。最初に出資した会社へ、次の成長段階でもう1度金を置く。Xeroは半期の赤字を抱えながら、海外の会計ソフト市場へ進むために資本を厚くしていた。[56]
さらに2013年10月、Xeroは1億5000万米ドル(約236億円)の増資を発表し、ティールやMatrixなど既存の大株主も支援を続けた。最初の地元企業への投資から、世界の投資家へ持ち込む資金調達へ。共同創業者たちが自分で事業を始めるのを助け、次はその会社が自分の国を出るのを支える。ティールの仕事の範囲は、シリコンバレーにとどまらなくなっていた。[57]
21大学へ行く代わりの10万ドル(約1576万円)
若者に時間を買う
2010年、ティール財団は20歳未満の若者を支える計画を発表した。2011年に最初の24人が選ばれたThiel Fellowshipである。支援は当初、2年間で10万ドル(約1576万円)。大学へ行く代わりに、あるいは休学して、自分の技術や事業を進めるための金だった。[58][59]
学費の高騰や資格競争を批判するだけでは、大学を離れた若者の家賃も開発費も払えない。制度は資金に加え、起業家や投資家、研究者のネットワークも渡した。ティール自身が家族や大学の縁で足場を得たように、参加者にも次の仕事へつながる相手を用意した。[60][18]
2014年、この制度に選ばれた1人が、ヴィタリック・ブテリンだった。カナダ南東部・オンタリオ州の大学都市ウォータールーでコンピュータ科学を学び、暗号技術の研究助手もしていた青年だ。2013年には、Ethereumという新しい仕組みを提案する文書を書いていた。[61]
Ethereumは、送金記録だけでなく、プログラムを動かす共通の土台としてブロックチェーンを使う構想だった。ブテリンは10万米ドル(約1576万円)の支援を得た後、大学を離れ、この開発へ専念した。2015年7月、開発チームと共に動かしてきた基盤が公開される。教室を出る選択へ渡した金が、実際に新しい技術へつながった例だった。[62]
一方、参加者の後を追った取材には、試行錯誤を重ねる人や大学へ戻る人も登場する。採択が、その後の成功を決めるわけではない。ブテリンには支援前から自分の構想があり、実装する仲間がいた。制度は、その仕事へ時間を使えるようにする足場だった。[63][61]
2026年に確認した制度では、2年間の支援額は25万ドル(約3940万円)へ増えている。大学で教えることと、大学へ行かない選択へ資金を出すことを、ティールは両方続けた。[60][64]
22飛ぶ車を待っていた
手に入ったのは140文字
2011年、Founders Fundは技術の未来についての文章を公表した。書いたのはブルース・ギブニー。飛ぶ車を望んでいたのに、手に入ったのは140文字だったという一節で知られる。当時のTwitterの文字数を使った挑発だった。[65][45]
コンピュータやネットの外で、移動、エネルギー、医療は十分に変わったのか。画面の中で大きな企業が生まれても、現実の重い問題が残る。ティールは、そうした停滞への不満を繰り返し語った。[66][10]
2006年には、老化研究を支えるメトセラ財団へ350万ドル(約5億円)を拠出すると表明している。老いを研究の対象にし、病気や損傷へ対抗する活動に資金を出した。SpaceXへの投資も、こうした生命科学への寄付も、短期間で利用者を増やすネット事業とは違う時間を必要とした。[67][68][47]
2012年にはアジェイ・ロヤンとMithril Capitalを設立した。成長段階の会社に資金を出す投資会社で、ロヤンはClarium時代からの仕事相手だった。創業直後に最初の金を渡すだけでなく、会社が次の段階へ進むための財布も作った。[11][69]
Founders Fundの投資先にはStripeも加わった。ネットで代金を受け取る仕組みを提供する会社だ。PayPalを売った後も、決済の仕事が終わったとは考えず、新しい会社の成長を支えた。[70]
23教室に戻った投資家
ノートからZero to Oneへ
2012年春、ティールはスタンフォードで起業の授業CS183を教えた。学生のブレイク・マスターズが授業のノートを公開し、それが広く読まれた。[64]
2014年、2人の共著『Zero to One』が出版された。既存のものを増やす仕事と、まだ存在しないものを作る仕事を分け、次の起業家が何を目指すべきかを問いかけた。大学へ行かない若者を支えた人物の考えが、大学の講義と学生のノートを通じて世界へ広がった。[71]
次のビル・ゲイツになりたくて、もう1つ同じOSを作っても、彼がした仕事を繰り返せない。成功者の形をなぞる間に、すでにある会社との競争へ入ってしまう。ティールが勧めたのは、まだほかの人が見つけていない問題を見つけることだった。[71][72]
競争は負け犬のすることだ
2014年、ティールは講義や文章で競争への疑いを強い言葉にした。競合より少し安く、少し速く作る競争は、顧客が増えても利益を残しにくい。他にない製品を作り、簡単に代わられない会社を目指せ、と説いた。[6][36]

写真:Dan Taylor/出典/CC BY 2.0。サイズ調整。
PayPalでは、送金した相手が次の会員になった。Facebookでは、友人がいることが別の友人の参加理由になった。そうしたつながりを先に作れば、毎回ゼロから客を奪い合わずに済む。彼の投資と経営で起きたことが、事業戦略の言葉になった。[23][36]
教室で学生へ投げかけるのは、ほとんどの人が気づいていない重要な真実は何か、という問いだった。その答えを、誰かが使いたい製品へ変えなければならない。自分もClariumでは、独特の予測を持ったまま損失を出している。珍しい考えを持つことだけで成功を約束する講義にはしなかった。[72][49]
24忘れなかった見出し
私生活を公にされた男
2007年、Gawker Media傘下のブログValleywagは、ティールが同性愛者であることを本人の意向によらず公にした。ティールは、その会社が自分のほかにも人々の私生活を傷つけていると考えるようになった。[73][74]
数年後、彼は同社を訴える人々へ、表に出ずに資金を出し始める。その中に、プロレスラーのハルク・ホーガン、本名テリー・ボレアがいた。Gawkerが、本人の同意なく性的な映像の一部を公開したとして争った訴訟だった。[73]

写真:Megan Elice Meadows/出典/CC BY-SA 2.0。サイズ調整。
法廷で訴えるのはホーガンだ。ティールは裁判を続ける費用を支えた。相手に十分な資金があると、長く争うだけでも原告の負担になる。その負担を別の資産家が引き受けたことは、裁判の継続を支える力になった。[75][73]
25陪審が1億4010万ドル(約220億円)を認める
支援者の名が表へ出る
2016年3月、フロリダ州の陪審はホーガン側に有利な判断を出した。補償的損害賠償1億1500万ドル(約181億円)に、会社と関係者への懲罰的損害賠償が加わり、合計は1億4010万ドル(約220億円)になった。Gawkerは、会社の存続に関わる規模の負担を突きつけられた。[74][5]
5月、ティールが背後で訴訟費用を出していたことが報道で明らかになる。ティールは関与を認め、私生活を侵害された人々を支えるためだったと説明した。[73][75]
Gawkerの創業者ニック・デントンは、裕福な人物が資金を使って批判的な媒体を黙らせる危険を指摘した。ティール側から過去に支援を受けていたジャーナリスト保護委員会CPJも声明を出した。私生活を侵害された人が民事救済を求める権利は支持する。一方で、特定の媒体を罰し、破産させるために手続きを濫用する行為は支持しない、という立場だった。性的映像の公開への判断と、資産家の訴訟支援が報道へ及ぼす影響は、別の争点として残った。[76][77]
6月、Gawker Mediaは破産手続きに入った。事業の多くはUnivision側へ1億3500万ドル(約212億円)で売却されたが、Gawker.comは買収の対象から外れ、旗艦サイトは閉鎖された。傘下の媒体すべてが消えたのではなく、売却後も続く媒体と閉じるサイトが分かれた。[5]
和解で定めたホーガンへの支払いは3100万ドル(約48億円)などだった。陪審が認めた総額が、そのまま全額支払われたわけではない。表で争った原告と、裏で費用を支えた人物。その組み合わせが、出版社の行く先を大きく変えた。[5]
26共和党大会で名乗る
トランプの壇上へ
2016年7月、ティールは共和党大会の壇上に立ち、ドナルド・トランプへの支持を訴えた。同性愛者であり、共和党員であり、アメリカ人であると語った。テクノロジー業界の多くが距離を置く候補へ、自分の名を出して支持を表明した。[78]

写真:Voice of America/出典/Public domain。サイズ調整。
演説で強調したのは、アメリカがかつて抱いていた未来への期待と、現在の停滞だった。技術も政治も、このままでいいのか。政府の外へ自由を探す文章を書いたティールが、今度は政府を動かす候補へ肩入れした。[78][75]
10月には、トランプの言動のすべてに賛成するわけではないとしつつ、支持を続ける理由を説明した。スタートアップの創業者を選ぶときと違い、その候補が得る権限は国民全体へ及ぶ。彼が資金と名声を使う場所は、企業だけではなくなっていた。[75]
同じ月、1995年の『The Diversity Myth』の記述について謝罪した。性暴力を軽く扱うように読める言葉に批判が集まり、不用意で粗雑な議論だったと認めた。レイプはどの形でも犯罪であり、別の意味に受け取られる文章を書いたことを後悔すると述べた。若い頃の出版物も、現在の政治的な発言と一緒に読まれるようになった。[14]
2717年越しの上場
創業者の議決権を残す
2020年9月30日、Palantirがニューヨーク証券取引所で取引を始めた。設立から17年。ティールは会長、カープはCEOとして会社に残っていた。新株を売って資金を調達する通常の公開とは違い、保有株を市場で売れるようにする直接上場だった。[79][38]

写真:FASTILY/出典/CC BY-SA 4.0。サイズ調整。
株式には、議決権の違う種類を設けた。Class F株などの仕組みを通じ、一定の条件の下でカープ、コーエン、ティールら創業者側が強い影響力を保つ。株式を買った外部投資家が増えても、経営の支配が簡単には移らないようにした。[38][39]
創業者が長い時間をかける仕事を続けやすくする一方、外部の株主はその創業者を替えにくい。政府や大企業へ情報分析を売る会社は、株式を公開しても、創業者の意思を強く残した。[39]
2026年の開示では、本人や関連主体を通じたClass A株とClass B株の保有は合計9800万株。同じ資料が記す2025年の会長としての現金報酬と株式報酬はゼロだった。毎月受け取る給与より、会社の成長で値段が変わる保有株が、彼の資産を動かした。[39]
28退職口座の50億ドル(約7880億円)
富が制度へ問いを返す
ProPublicaは2021年、ティールの退職口座が2019年に50億ドル(約7880億円)へ膨らんだと報じた。[80]
Roth IRAと呼ぶこの退職口座には、拠出の条件や限度があり、要件を満たせば運用益などを非課税で受け取れる。会社の初期株式が大きく値上がりすると、小さな拠出額から桁違いの資産が生まれる。報道後、こうした制度を巨大な富にどこまで使えるようにするかが、議会でも議論になった。[81][82]
資産形成を支える制度へ、創業者の株式が生む大きな利益を入れたとき、どこまでを意図した恩恵と考えるか。事業と投資の成果は、税をどう集めるかという政治の問題にもつながっていた。[82]
29Metaを去る
教え子たちが選挙へ進む
2022年2月、Metaはティールが次の株主総会で取締役の再選を求めないと発表した。取締役としては2005年から17年。大学生のFacebookへ資金を出した後、世界規模の会社になるまで関わった席を離れた。[83]

写真:Gage Skidmore from Surprise, AZ, United States of America/出典/CC BY-SA 2.0。サイズ調整。
同じ2022年、彼はJ・D・ヴァンス系とブレイク・マスターズ系の政治団体へ、それぞれ1500万ドル(約23億円)を出した。ヴァンスにはMithrilで働いた経歴があり、マスターズは授業ノートをまとめて『Zero to One』を共著にした相手だった。仕事で知った人々が、今度は議会を目指していた。[84][85][71]
ヴァンスは上院議員に当選した。2024年にはトランプの副大統領候補となり、2025年に副大統領へ就任した。投資会社で働いた人物が、選挙を経て国家の中枢へ進んだ。ティールが支えた人間関係は、会社の経営陣だけにとどまらなくなった。[86][85]
2024年のアスペンでの対話では、ティールはトランプに投票する意向を示しつつ、献金とは分けて話した。支持する相手に、毎回同じ額を出すわけではない。だが、それまでに出した金と、育ってきた人脈は、すでに政治の中でも力を持っていた。[87][84]
30国家と会長
自由の外側を探した後で
2024年、経済学者タイラー・コーエンとの対話で、ティールは政治神学を論じた。権力と宗教、社会が何を信じるかという問題を、技術の未来から切り離さない議論だった。AIの性能が上がれば未来はよくなる、という話だけで終わらせなかった。[88]
2026年3月5日、ティールは日本の首相官邸で高市早苗首相を表敬訪問した。肩書きはPalantirの共同創業者兼会長だった。国家の通貨から自由な電子のお金を目指した人物が、国家へソフトウェアを売る会社の会長として、政府の指導者に会っていた。[89][43]
同じ3月、イタリアの首都ローマでは、反キリストを扱う招待制の講演企画が話題になった。キリストに敵対する存在という宗教の概念を、科学技術や権力と結びつけて語る企画だ。関係が伝えられたカトリック系の教育機関は、正式な主催や関与を否定した。[90]
かつて争ったマスクの会社へ投資し、民主主義への疑いを書きながら選挙へ資金を出す。大学を批判しながら講義を続け、個人の自由を語りながら国家の分析力を支える。1つの短い肩書きでは、その仕事は収まりきらない。[47][43][84][64][38]
法律事務所を7か月と3日で出たときには、自分の席を選び直した。いま彼が選ぶのは、どの創業者が次の資金を得るか、どの候補が戦い続けられるか、どの訴訟が途中で途切れずに済むかという、他人の未来にも及ぶ選択になった。ティールの富は、持って眺める財産ではなく、次の出来事を起こす力として使われている。[1][19][75][84]
参考文献・出典 90件
本文の番号に対応する資料です。本人・関係者のインタビュー、当時の取材、企業の発表を参照しています。
- Masters of Scale — Escape the competition(Thiel/Hoffman本人対談) ↩ 本文
- PayPal SEC S-1/A(2002年2月、合併・役員・事業・損失) ↩ 本文
- Sarah Lacy — Elon Musk本人対談(2012年実施、2020年再掲。2000年事故を本人が説明) ↩ 本文
- Forbes Ryan Mac — Early Facebook Investor Sells Majority of Shares(2012年8月20日) ↩ 本文
- Gawker破産裁判所提出 Executed Bollea Settlement(2016年12月、Doc590-1) ↩ 本文
- Y Combinator — Competition is for Losers with Peter Thiel(Stanford講義2014、公式動画) ↩ 本文
- San Francisco Chronicle — Entrepreneur Peter Thiel talks Zero to One(本人取材、2014年) ↩ 本文
- German Historical Institute — Peter Thiel(家族・移住・経歴。創業年等はSECで補正) ↩ 本文
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- Stanford Lawyer — ThielとMark Lemleyの対話(2011年5月31日) ↩ 本文
- AllThingsD Liz Gannes — Mithril Capital創設(2012年6月19日) ↩ 本文
- The Stanford Review — A Brief and Non-Exhaustive History(発行元の沿革) ↩ 本文
- Independent Institute — The Diversity Myth: 30 Years Later(初版1995年確認) ↩ 本文
- Forbes Ryan Mac — Peter Thiel Apologizes For Past Book Comments(本人声明、2016年10月25日) ↩ 本文
- Stanford Report — René Girard追悼、模倣と対立の理論(2015年) ↩ 本文
- Peter Thiel on René Girard(本人インタビュー字幕) ↩ 本文
- Conversations with Bill Kristol — Peter Thiel全文(2014年) ↩ 本文
- Forbes — Life After Facebook(2011年、家族友人からの起業資金・Clarium実績) ↩ 本文
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- Stanford eCorner — Paypal Cofounders Met in Terman at a Seminar(2004年1月21日) ↩ 本文
- Stanford eCorner — Selling Investors: Beaming at Bucks(2004年1月21日) ↩ 本文
- Stanford eCorner — Selling Employees, Selling Investors, and Selling Customers(2004年) ↩ 本文
- Stanford eCorner — Viral Marketing(Levchin/Thiel、2004年1月21日) ↩ 本文
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- Sequoia Capital — PayPal:A Merger of Enemies(Levchin/Botha本人対談、2023年9月) ↩ 本文
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- Axios Pro Rata — VanceのMithril勤務とシリコンバレーの人脈(2024年7月) ↩ 本文
- White House — Vice President JD Vance公式経歴 ↩ 本文
- Aspen Ideas — Thiel本人インタビュー、2024年投票と献金の区別 ↩ 本文
- Conversations with Tyler — Peter Thiel on Political Theology(2024年4月公開、本人対談) ↩ 本文
- 外務省:ティール・Palantir共同創業者兼会長による高市総理大臣表敬(2026-03-05) ↩ 本文
- Associated Press — Thielローマ反キリスト講演と宗教機関の反応(2026年3月12日) ↩ 本文
写真の作者・利用条件・撮影年は各画像の下に記載。取材資料と写真の出典は別々に確認できます。
※ 円換算は2026年11月2日確認のWise表示値(1米ドル=157.6円、1ニュージーランドドル=88.70円)を使用。取引当時の為替や物価・購買力を再現するものではありません。 為替出典:USD / NZD
本文更新:2026-11-02



