THE STORY
ベルナール・アルノーの物語
選んだ道。その先で、起きたこと。
01木曜日は祖父の現場へ
ルーベの建設会社の息子
1949年3月5日、ベルナール・アルノーはフランス北部の繊維産業で栄えた街ルーベに生まれた。家業は建設業だった。まだ小さかった彼が毎週木曜日に祖父について行ったのも、服のショーや宝飾品の店ではなく建設現場だった。7〜8歳の少年は、祖父の会社が人を動かし、建物を造る仕事を見た。[1][2]
地理データ:Natural Earth(パブリックドメイン)。現代の地理と都市の代表位置。出生宅・移動経路ではありません。編集部作図。
家には音楽もあった。母はピアノに親しみ、少年も芸術に触れて育つ。母が使っていた香水の1つはDiorissimoだった。後に巨大な取引の対象になるDiorの名は、その前に家の中にあった。[3][4]
アルノーは地元から、近くの産業・商業都市リールの進学校へ進み、フランス屈指の理工系教育機関École polytechniqueで学んだ。教育を受ける環境があり、卒業後には入れる家業がある。その会社をどう動かすかが、若い彼の最初の勝負になった。[5]
自分の家業から先に売る
1971年、アルノーはFerret-Savinelで技術者として働き始めた。建設会社で役職を上げ、1976年には建設事業を売却して、不動産開発へ軸足を移す。祖父と訪ねた現場の仕事を、そのまま守り続ける道は選ばなかった。[1][6]
1978年、まだ30歳になる前に会長へ就いた。自分で商品を発明して会社を起こすより先に、すでにある会社を受け取り、残す仕事と手放す仕事を選んだのである。後に老舗ブランドの持ち主たちと向き合う男は、まず自分の家の商売を変えていた。[1]
02タクシー運転手はDiorを知っていた
国境を越える名前
アルノーは米国でも不動産事業を経験した。初めてニューヨークへ行ったときの思い出として語ったのが、タクシー運転手とのやり取りだった。フランスの政治家は知らなくても、Christian Diorは知っている。遠く離れた国で、フランスの服の名前が通じた。[7]
その名前が、フランスで売り物になっていた。繊維グループBoussacは経営危機に陥り、その事業の中にDiorがあった。生地を作る工場、衣料品、働く大勢の人。その大きな会社の塊から、アルノーはDiorを核にする道を選ぶ。[5]
4億フラン(約107億円)を集める
1984年、アルノーはFinancière Agacheの再編へ踏み込んだ。1985年の再建に投じる新しい資金は4億フラン(約107億円)。そのうちArnault et Associésが出すのは1億フラン(約26億円)で、残りはLazardなどの金融機関や投資家を組み合わせた。家族のお金に外の資金を重ね、巨大な企業の再編を動かした。[6]
Diorを作ったデザイナー本人は、すでに世を去っていた。買い手が受け取るのは自分が育てたことのない名前と、その名前で選ばれてきた商品だった。アルノーはその歴史へ経営者として入っていく。[8][9]
03Diorの外で消えていく仕事
残す物を決める人
Diorを中心に据える一方で、Boussacの工場部門は縮んでいった。従業員は1984年末の1万6000人から1986年末に9800人へ減る。売却先へ移った人も含むため、6200人が全員解雇されたという数字ではない。それでも、買い手が残そうとする事業と、外へ出していく事業は分かれた。[6]
Diorを成長の核に据える一方で、繊維工場を売却していく。再建されたグループが利益を出すようになったとき、その外へ仕事が移った人々もいた。[5][6]
アルノーは建設会社の進路を変えた手を、今度は自分の家の外へ伸ばした。巨額の資金を集め、価値があると見た事業を残す。その方法で得たDiorが、次の争いへ入る足場になる。
04味方が会社の頂点へ座る
2つの陣営に入る男
1987年、Louis VuittonとMoët Hennessyが合併し、LVMHが生まれた。旅行鞄や革製品と、シャンパンやコニャック。10のブランド、1万2000人の従業員を持つグループの中で、Louis Vuitton側のアンリ・ラカミエと、Moët Hennessy側のアラン・シュヴァリエが対立した。[8][10]
そこへDiorを足場にしたアルノーが入った。ラカミエにとっては、相手側を抑えるために組める人物だった。しかしアルノーは援軍の立場にとどまらず、酒類大手Guinnessと連携し、株式を取得して経営を握る側へ進んだ。[11]
40歳になる前の勝利
1989年1月13日、アルノーがLVMHの経営トップに選ばれた。40歳の誕生日を迎える前だった。[10]
当時の報道で彼の直接持分は25%。ほかにVuitton家が24%、Guinnessが17.6%を持っていた。自分1人で過半数を買い占めたのではなく、株主同士の関係と提携によって、会社を動かす地位を得た。[11]
家業で不動産へ進み、不振グループからDiorを残し、老舗同士の合併会社では支配権を取った。手に入れたブランドには、彼が生まれる前からの歴史がある。その看板の下で、今度は彼が人事と投資を決めることになった。
05月曜日に服の計画が変わる
117店から始めた仕事
Louis Vuittonには、アルノーと別に、ブランドを日々動かす経営者がいた。1990年に責任者となったイヴ・カルセルである。後に振り返れば、就任時117店だった店舗網は2012年に462店へ広がった。買収者が持つ株の価値は、こうした人々が運営する店の仕事によって育った。[12]

写真:Tim Evanson/出典/CC BY-SA 2.0。表示用縮小。商標への権利は各権利者に帰属。
1991年の北京へ
アルノーは1991年、中国の首都北京を訪れた。今のような大きな高級品市場になる前から、Louis Vuittonの中国展開へ動いた。後の本人取材でも、この市場へ入る判断を振り返っている。ヨーロッパの老舗の名前を、ヨーロッパ以外で新しく買う人へ届ける仕事だった。[13]
Marc Jacobsへ電話をかける
Louis Vuittonは長くトランクや鞄を作ってきた。服を少し加えるとしても、靴や上着から慎重に始める。1996年末の計画は、まだそのくらいだった。ところが週明けにアルノーが出した答えは、一部の商品を増やすだけでなく、服の部門を作り、最初からショーを開くというものだった。[12]
カルセルはMarc Jacobsへ電話をかけ、その週にニューヨークへ会いに行った。1997年、JacobsがLouis Vuittonへ入り、1998年から服のコレクションを送り出す。鞄を売る店の後ろで、季節ごとに新しい服を発表する仕事が始まった。[12][14][15]
旅行鞄の歴史があっても、新しい服のコレクションは別に作らなければならない。アルノーはその役目を、ブランドと同じ顔をしていないデザイナーへ渡した。
06モノグラムに落書きを重ねる
老舗の模様を崩す
Jacobsは服だけでなく、鞄の見た目も変えた。2001年にStephen Sprouseと組んだ商品では、見慣れたモノグラムの上に、グラフィティを思わせる文字が走った。長い歴史のある模様を、街の落書きのような表現で覆う。守るために何も変えない、という扱いではなかった。[14]
2003年春には村上隆との協業が店頭へ出た。色とキャラクターが加わったバッグと並行し、ニューヨークのMarianne Boesky Galleryでは、協業の図像とつながる村上の絵画や彫刻が紹介された。商品を買う店と、美術作品を見る画廊の両方に、同じ作家の仕事が現れる。[16]
07Diorへ招いた才能
ダイアナ妃が着たDior
Diorでも、アルノーは別の才能を選んだ。1996年10月14日、John Gallianoがデザインの責任者になる。同年12月、ニューヨークでのDior50周年展の幕開けに、ダイアナ妃がGallianoのDiorでの最初のドレスを着て現れた。会社の人事が、世界に見られる1着へ変わった。[9]
08客が買う場所も手に入れる
Sephoraの売り場へ
1996年末、LVMHは免税店DFSの58.75%を24億7000万ドル(約3892億円)で取得した。空港や観光地で、高級品を買う旅行客と接する事業だった。[17]
1997年には化粧品の小売チェーンSephoraも傘下に迎える。こちらはさまざまなブランドの商品を並べ、客が試して選べる店だった。アルノーのグループは、欲しがられるブランドを所有すると同時に、客がどれを買うか決める場所も増やしていった。[18]

写真:Harrison Keely/出典/CC BY 4.0。表示用縮小。
すべての国でそのまま売れるわけではなかった。日本のSephora店舗網は閉め、ドイツでも競合が需要を押さえていた。2002年の本人取材では、南欧や米国では店の規模が合えば利益が出ても、別の国では同じ形が通用しないと説明している。商品を並べる広さから、現地の客との関係まで、変えなければならなかった。[19]
DFSから旅行客が消える
買収した直後のアジアには金融危機が来た。旅行客が減ると、免税店の売上も落ちる。1998年上半期、DFSは2億3600万フラン(約63億円)の営業赤字を出したと報じられた。何十億ドル(円換算では数千億〜1兆円超の規模)も払って手に入れた売り場へ、客が来なくなる。[20]
DFSは市中のGalleria店舗へ投資する一方、空港の事業を選び直した。仕入れと計画のチームを、米国西部・カリフォルニア州の港町サンフランシスコへ集め、需要に合わせて商品を届ける体制を変える。買収価格を決めた後には、店と在庫の配置を直す仕事が続いた。[21]
それでも人の移動に頼る弱点は残る。2003年にはSARSで再び旅行が落ち込み、LVMHはDFSへの影響と費用削減を開示した。名門ブランドの名前を持っていても、空港へ来る客の数までは増やせなかった。[15]
09Gucciが競合の手へ渡る
買い手に向かって株を増やす
1999年1月、LVMHはGucci株の34.4%を手にしていた。鞄や服を立て直した経営者ドメニコ・デ・ソーレとデザイナーTom Fordの会社へ、巨大な株主が入ってくる。しかし経営陣は、そのままアルノーの傘下へ加わろうとはしなかった。[22][23]
2月、Gucciは従業員の株式保有制度へ2015万4985株を新たに発行した。これはLVMHが持っていた株と同じ数だった。既存の株を誰かへ売ってもらう争いに、会社が新しい株を作る手が加わる。総数が増えると、LVMHが買い集めた持分の割合は下がる。その制度をめぐって、両者は訴訟へ進んだ。[22]
そして3月19日、Gucciが選んだ別の相手が現れる。フランソワ・ピノー側のPPRだった。Gucciはその傘下の会社へ3900万7133株を発行し、対価として30億ドル(約4728億円)規模を受け取る戦略提携を結んだ。PPRが約42%を握る構図ができ、Gucciを足場に、高級品の巨大な競争相手が育つ。[22][23]
買収へ動くLVMHを迎えるかどうかは、株を売る人だけの判断ではなかった。Gucciの経営陣も、会社の仕組みを使い、自分たちが組む相手を選んだ。LVMHはこの提携についても、オランダの裁判所で争った。[22]
戻ってきたのはブランドではなく資金
2001年9月10日、Gucci、PPR、LVMHは包括的な和解に合意した。PPRは、LVMHが持つGucci株857万9337株を1株94ドル(約1万4814円)で買い取る。さらに12月、LVMHは残る1156万5648株をCrédit Lyonnaisへ1株89.6381ドル(約1万4126円)で売り、10億3672万2345ドル(約1633億円)を受け取った。Gucciの開示では、この売却でLVMHの持分はなくなった。[22]
会社へ投じた金は、株を手放すことで戻ってくる。しかしGucciの店舗も商品も、その先の成長も、LVMHのものにはならなかった。2004年にはPPR側の持分が99.39%へ進む。勝ち残った競争相手が、同じ高級品市場で次のブランドを探すことになる。[24]
10手放す看板もある
Christian Lacroixを売る
買った名前を持ち続けるとも限らない。2005年1月、LVMHはChristian Lacroixのオートクチュールと既製服の事業をFalic Groupへ売却した。主力ブランドへ力を集中させる判断だった。[25]
DiorやLouis Vuittonと同じグループにいることは、どのブランドにも同じ将来があることを意味しなかった。成長へ金を入れ続ける相手を選び、そうしない相手は外へ渡す。アルノーはその判断も繰り返す側にいた。
eLuxuryの買い物機能を止める
2000年に始まったeLuxuryは、Dior、Fendi、Marc Jacobsなどを画面上で買えるサイトだった。2009年、その小売事業をやめ、ファッションや暮らしの情報を届ける媒体へ変える計画が出た。インターネットへ早く出た事業でも、最初の売り方は続かなかった。[26]
現実の店を増やしてきたグループは、画面の中でも同じ答えを見つけられるわけではない。商品を売る機能を止め、読んでもらう接点は残す。後にはブランドによって、ネットで売る範囲を変える道も取った。
11バッグ1個の色を止めて見る
750ドル(約11万8200円)のトート
2009年のDiorの商品会で、アルノーは750ドル(約11万8200円)のトートバッグに掛かりきりになっていた。赤い縁取り、持ち手の丸い飾り。自分にはDiorらしくないと判断し、飾りを取り外せるか確かめる。巨大企業を率いる本人が、バッグ1個の色や部品まで止めて見る姿だった。[2]

写真:Thomas van de Weerd/出典/CC BY 2.0。表示用縮小。商標への権利は各権利者に帰属。
ブランドを大胆に変えるデザイナーを呼び、出来上がった商品では細部に口を出す。創造性を尊重するという言葉だけで、すべてを任せ切る経営者ではなかった。
値下げすると贈り物の意味も変わる
同じ2009年、高級品の売り場には金融危機が押し寄せていた。アメリカでは大幅な値下げが広がる。母や恋人へ鞄を贈った後、翌週に同じ物が6割引きで並んだらどうなるか。アルノーは取材で、そんな例を挙げて値下げの影響を説明した。[2]
今ある在庫を売り切れば終わる商売ではない。贈られた人も、代金を出した人も、次にそのブランドを選ぶ。中国では新しい鞄を求める客がいる一方、ニューヨークでは買い物袋を目立たせたがらない客もいた。同じ年、同じ看板でありながら、街によって売り場の空気は変わっていた。[2]
12Hermès株が突然現れる
現金の契約を株に変える
高級な鞄やスカーフで知られる家族企業Hermèsへは、銀行との金融契約を通じて近づいた。LVMHは株価に連動する利益を受け取る契約を持っていた。当初は現金で決済する形だったが、2010年10月には株式を受け取る方向へ変わる。銀行が裏側で持っていた大量の株が、LVMHへ移った。[27]
10月23日にLVMHが発表した持分は、すでに14.2%。さらに別の契約も株式へ変える意向を示す一方、買収提案や支配権取得、監査役会への参加要求は考えていないと説明した。Hermès側には、突然大株主として現れた巨大グループと向き合う時間が始まった。[27]
13招いたデザイナーを解雇する
Gallianoの映像が広がる
2011年2月、DiorはGallianoの職務を停止した。パリのバーでの反ユダヤ主義的な発言などが問題になったためだった。さらに別の映像が公になると、3月1日に解雇方針を発表する。CEOのシドニー・トレダノは、その発言がDiorの価値観に反すると表明した。[28]
当時Miss Dior Chérieの広告に出ていた俳優ナタリー・ポートマンも、映像の発言を強く批判した。ブランドを変えるために迎えた才能が、今度はその看板を傷つける問題となる。作品を評価し続けることと、会社の顔として置き続けることは、別の判断になった。[28]
9月には公開の侮辱に関する2件で、合計6000ユーロ(約105万5400円)の執行猶予付き罰金の判断が出た。会社が関係を断つと決めたのは、その結末を待つ前の3月だった。Diorは新しいデザインの責任者を探すことになる。[29]
14売り手の一族を経営に残す
Bulgariの家族へLVMH株を渡す
同じ2011年、イタリアの宝飾品会社Bulgariを迎える取引では、売り手の創業家へLVMHの新株を渡した。支配持分を売った家族は、今度は買い手のグループ全体の株主になる。現金を受け取って事業から去るだけの構造にはしなかった。[30]
Bulgariを率いたフランチェスコ・トラパーニは、LVMHの時計・宝飾品部門を率いる立場と、取締役の席を得る。6月には競争当局の承認を得て、少数株主の株にも公開買付けを進める。買った会社の経営者へ、今度はグループのほかの事業まで任せた。[30]
Loro Pianaにも2つの家族が並ぶ
2013年にはカシミヤなどの上質な素材に強いLoro Pianaの80%を取得した。大きな柄やロゴで人目を引くだけでなく、素材を選ぶ力で客を持つイタリアの衣料品会社だった。[31]
売り手のセルジオとピエル・ルイジのロロ・ピアーナ兄弟は副会長に残り、会長には息子のアントワーヌが入る。製品を知り、仕入先との関係を築いてきた一族を残し、そこへアルノー家の次世代を置く形だった。買収は、ブランドの看板をそろえる仕事であると同時に、家族と家族の間で経営の役割を組み替える仕事にもなった。[31]
15ミラノの菓子店も買う
入口を変えずに残す
2013年6月、LVMHが傘下へ迎えたのは、鞄でも服でもなく、イタリア北部の商業都市ミラノにある老舗菓子店Covaだった。1817年に始まり、高級店の集まるモンテナポレオーネ通りで、コーヒーや菓子を出す店である。LVMHは80%を取得した。[32][33]
売り手のファッチョーリ家は、株主にも経営にも残る。公表した方針は、今の場所にある店を保ち、そのうえで海外へ事業を広げることだった。買い物の間にカフェで休む客や、以前から同じ店へ通う客。ブランドの価値は、商品だけでなく、その通りで積み重なった習慣にもあった。[33]
買い手の候補にはPradaもいたと現地紙は伝えた。同紙によれば、店の入口や隣の売り場との関係を変える案が、売り手との折り合いを難しくしたという。LVMHが選ばれた理由を、その店を残すという条件と結びつけた報道だった。高く買う力だけでなく、売る家族が何を変えたくないかが、ここでも取引の一部になった。[34]
16まだ小さい才能を支える
30万ユーロ(約5277万円)と12か月
2013年、LVMHは若いファッションデザイナーのためのLVMH Prizeを発表した。対象は40歳未満で、少なくとも2つのコレクションを販売した人だった。すでに自分の服を世に出し、その先へ進もうとしている作り手を選ぶ。[35]
当初の大賞は30万ユーロ(約5277万円)と12か月の支援。権利、調達、製造、販売、宣伝などを専門家が助ける。デルフィーヌが関わるこの賞では、完成した会社を買う前の段階から、服を商売にする人と接することになった。[35]
17Hermèsを手放す
800万ユーロ(約14億円)の制裁
2013年、フランス金融市場当局AMFは、取得へ至る各段階の情報を公表しなかったことを問題とし、LVMHへ800万ユーロ(約14億円)の制裁金を科した。株を集める過程をいつ市場へ知らせるべきだったかが問われた。[36][27]
2014年9月、両グループは和解を発表する。LVMHが持つHermès株を自社の株主へ分配し、LVMH、Dior、Groupe Arnaultはその後5年間Hermès株を新たに取得しないと約束した。同年12月、LVMH株41株にHermès株2株の割合で分配が実行される。[37][38]
Hermèsを子会社にして終えることはできなかった。アルノーは自分の家族企業を土台に他社へ広がり、別の一族の会社を前に、積み上げた株を手放すことになった。
18ガラスの帆を建てる
最初の模型から動かない
2001年から建築家フランク・ゲーリーと進めた構想が、2014年10月、パリの美術館Fondation Louis Vuittonになった。パリ西部の大きな公園、ブローニュの森へ、ガラスの帆が重なるような建物を造る計画だった。2006年に公表し、市と土地使用の契約を結び、2008年に着工。構想から開館まで13年かかった。[39][39]
ゲーリーは何度も模型を変えながら設計を育てる。ところがアルノーは、2006年に見た初期の案を気に入って離さなかった。新しい案が出るたびに、最初の模型への愛着を伝える。ブランドの見た目を刷新する経営者が、自分の美術館では、初めに心をつかまれた姿を守ろうとした。[40]
公共の緑地に大きな私設の建物を置くため、地元の反対もあった。好きな形を選べば建てられる土地ではない。公園の中で認められる姿と、建築家の表現、依頼主が残したい形を、実際の建物へ合わせる仕事が続いた。[40]
3600枚のガラスを使う
12枚の帆を形にするガラスは3600枚。それぞれの形が違う。内側には、1万9000枚のコンクリート製パネルで覆った本体がある。透明な帆と、その奥で作品を展示する部屋は、別の役割を持っていた。[41]
アルノーが求めたのは、自由な外観だけでなく、実際に展示へ使える内部だった。彫刻のような建物へ客を呼び、部屋の中では作品を見せる。建設会社の家で現場へ通った少年は、自分が率いるブランドの名で、人が建物そのものを見に来る場所を造った。[13]
同じグループでもネットで売らない
この頃も、売り方をすべてのブランドで統一したわけではない。2014年、Fashion Groupを率いたピエール・イヴ・ルーセルは、当時のCélineの商品をネット販売していないと説明した。店で素材に触れ、接客を受ける経験を重んじる。その一方、ほかのブランドが別の道を選ぶことは認めた。[42]
ネットでは、国をまたいで値段を比べられる。ルーセルは、以前日本で高く売れた商品も、世界の価格差が縮む方向にあると語った。同じ商品をどこでいくらで売るかまで、客の選び方によって変わる。店を守りたいブランドにも、その変化は届いていた。[42]
19息子とアルミの旅行鞄
80%に6億4000万ユーロ(約1125億円)
2016年、LVMHが取得を発表したのはRIMOWAだった。ドイツ西部の都市ケルンで1898年に始まり、溝のあるアルミのスーツケースで知られる会社である。80%を6億4000万ユーロ(約1125億円)で取得する計画は、グループ初のドイツのブランドを迎える取引になった。[43]
創業家のディーター・モルシェックは20%を残し、経営にも関わる。共同CEOとして入るのは息子のアレクサンドルだった。本人も長く愛用していた鞄の会社で、父の傘下の事業を動かすことになる。[43]
販売先を減らして育てる
アレクサンドルは、むやみに売り先を増やす仕事から始めなかった。2019年の取材では卸売先を減らし、中国の販売権を取り戻したことを語っている。短期間で売上を3倍にしろという圧力はなく、商品と売り場を組み替える時間があった。[44]
父が買うと決めた会社で、息子はどこで売るかを絞る。LVMHの拡大の中では、会社を買い増す仕事と、商品の売り方を減らす仕事が同時に進んでいた。
20Diorをもう1度買う
香水と服を同じ器へ
2017年、Diorをめぐる大きな再編が発表された。香水の事業はすでにLVMHにあったが、服や革製品のChristian Dior Coutureは別の会社の下に残っていた。同じDiorの名前でも、事業を持つ会社が分かれていた。[45]
LVMHはそのCoutureを買い、ブランドの事業をまとめる。同時に家族側は、持株会社Christian Dior SEの一般株主の株を買い取る。服の会社をLVMHへ入れる取引と、家族側の所有を固める取引が、並んで進む再編だった。[45]
Coutureの株式代金は60億ユーロ(約1兆554億円)で、2017年7月3日に譲渡が完了した。負債なども含む発表時の企業価値は65億ユーロ(約1兆1433億円)。最初にDiorを足場にしてから30年以上を経て、アルノーは複雑になった所有の形をつなぎ直した。[46][45]
売るのが早すぎた会社
2017年、失敗について問われたアルノーは、ある化粧品の事業を早く売りすぎたと答えた。5年間持ち続け、うまくいかず、苛立って売った。その後、その事業は好調になったという。取材では会社名を明かしていない。[13]
待つべき時に待てなかった。買収で勝ち続ける人の成功談ではなく、売った後に自分の判断を見直す話だった。彼は自分を、もともとせっかちな人間だと説明した。長い時間をかけてブランドを育てると語る経営者の側にも、結果が出ない事業を持ち続ける忍耐が必要だった。[13]
21鞄の次に旅の時間を買う
6つの最終提案
2018年末、ホテルや観光列車を運営するBelmondの売却手続きで、6つの最終提案が集まった。12月5日に示された価格は1株16.50ドル(約2,600円)から25ドル(約3,940円)。最も高い25ドル(約3,940円)を出したのがLVMHだった。別の有力候補は20.50ドル(約3,230円)を示した。[47]
LVMHの案には、買収資金を借りられるかどうかや、さらに調べてから決めるといった条件が付いていなかった。相手の取締役会は、値段とともに、本当にその取引を終えられるかを比べた。別の候補が23.50ドル(約3,703円)への引き上げを検討した後も、選ばれたのはLVMHとの契約だった。[47]
32億ドル(約5043億円)で迎える45の施設
2019年4月、取引が完了した。負債を含む企業価値は32億ドル(約5043億円)。45のホテル、レストラン、観光列車、川のクルーズなどを所有・共同所有・運営する会社が加わり、Belmondは上場を終えた。[48]
客が鞄を買った後に乗る列車や、泊まるホテルまで、グループの仕事になる。すでに展開していたCheval Blancに加え、別の歴史を持つ宿泊や移動の事業を持った。商品を持ち帰る店の外でも、高級な体験へ客が金を払う時間が広がっていた。[48]
22大聖堂へ2億ユーロ(約351億円)を約束する
ライバルも同じ建物を救う
2019年4月、パリのノートルダム大聖堂が火災に遭った。アルノー家とLVMHが表明した修復への拠出は2億ユーロ(約351億円)。Gucciをめぐって争ったピノー家も、別に1億ユーロ(約175億円)を約束した。ブランドを競う両家の金が、同じ建物を直すために並ぶことになった。[49]
アルノー側は9月24日に約束を正式な形にした。支払いは、修復工事の進み具合に応じた資金要請に合わせ、数年にわたって続く仕組みだった。表明した日の1度の送金で終わらず、建物が直るまでの長い仕事に関わった。[49]
23大統領を迎えた革の工房
テキサスへ5000万ドル(約78億円)
2019年10月、米国南部・テキサス州の町アルバラドに開くLouis Vuittonの工房へ、トランプ大統領が来た。アルノーと、トランプの娘イヴァンカらも立ち会う。革製品を作る施設は、米国独立戦争を支援したフランスの将軍にちなんでRochambeauと名付けられた。[50]

写真:The White House from Washington, DC/出典/Public domain。原画像をそのまま使用。
式典では5000万ドル(約78億円)の投資と、1000人への雇用拡大を目指す計画が紹介された。フランスの高級ブランドを米国で作り、働き手を育てる。その工房の開設は、雇用や産業を語る大統領の舞台にもなった。[50]
24162億ドル(約2兆5531億円)の青い箱
Tiffanyが受け入れた価格
2019年11月25日、LVMHはTiffany & Co.の買収で合意した。1837年にニューヨークで始まり、宝飾品と青い箱で知られる会社に、1株135ドル(約2万1276円)を払う。発表した株式価値は162億ドル(約2兆5531億円)だった。[51]
アメリカで長く育った名前が、フランスの高級品グループへ入る。Bulgariを加えてきた時計・宝飾品部門に、今度は世界で知られる贈り物の箱が加わる契約だった。当初は2020年半ばに完了する予定だった。[51]
香水工場で消毒用ジェルを作る
ところが2020年、新型コロナウイルスの感染が広がった。店が閉まり、旅行が止まり、高級品の客も移動できなくなる。グループが持つ香水や化粧品の工場では、いつもと違う物を作り始めた。病院で足りない消毒用ジェルである。生産設備の一部を切り替え、フランスの医療現場へ無償で届けた。[52]
契約期限より後に買えという書簡
9月、LVMHはフランス外相からの書簡を持ち出した。米国がフランス製品へ関税を課す動きに対応するため、買収を2021年1月6日より後へ延ばすよう求める内容だった。ところがLVMHは、契約の期限を2020年11月24日より先へ延ばすことには応じないとする。そのままなら、延期の終わりが契約の終わりより後へ来る。LVMHは現状で取引を完了できないと発表した。[53]
Tiffanyは9月9日、米国東部・デラウェア州の裁判所へ訴えた。約束どおり買収を実行させてほしい。外相の書簡は契約を守らない理由にならず、LVMHは当局への申請を遅らせていたと主張した。一方のLVMHは、Tiffanyの事業への重大な悪影響などを挙げ、契約上の義務が残るかを争った。[54]
高級品の需要が揺らぐ中で、1度決めた買値を守るかどうかが法廷へ移った。裁判所の最終判断を待つ前に、両社は再び値段を詰めることになる。
1株3.50ドル(約551円)を削る
2020年10月29日、両社は条件変更で合意した。1株135ドル(約2万1276円)を131.50ドル(約2万724円)へ下げる。訴訟も和解する。差は1株3.50ドル(約551円)。Tiffanyの株主が受け取る金額と、LVMHの支払額をそれぞれ引き下げる決着だった。[55][56]
Tiffany側は取引を確実に終えられることを重んじ、LVMH側も改めて統合へ進む。改定合意は158億ドル(約2兆4900億円)規模と報じられ、2021年1月7日に買収が完了した。青い箱を手に入れるまでに、条件をめぐる対立と値下げ交渉を挟むことになった。[57][56]
25契約完了の日に人を替える
元Tiffany社員をCEOに戻す
買収完了と同じ日、Tiffanyの新しい経営陣が発表された。CEOはアンソニー・ルドリュ。Tiffanyで北米を担当し、その後Louis Vuittonで働いていた人物だった。元の会社と、買い手の会社を両方知っている。[57]
RIMOWAを率いた息子アレクサンドルは、商品とコミュニケーションを担当する副社長へ移る。Louis Vuittonのマイケル・バークは取締役会長になる。前CEOは短期間の引き継ぎ後に退き、クリエイティブ部門などの責任者も交代する。[57]
看板と青い箱は残したまま、誰が商品を決め、どう伝えるかを変える。株を受け取ったその日から、買った会社を動かす仕事へ人を置いた。
Rihannaの服は止める
翌2月には、逆方向の発表が出た。歌手Rihannaと2019年に始めた高級ファッションのFentyを休止する。世界的な有名人と巨大グループを組み合わせた服の事業は、2年にも満たないうちに止まった。[58]
化粧品、スキンケア、ランジェリーなどは別に続く。LVMH側は、より成功した分野へ集中すると説明した。前年の財務責任者も、服では適切な商品提案を見つける途中だと話していた。有名な人を選べても、その人の名前で買いたい服へたどり着くとは限らなかった。[58]
2616年閉じた百貨店を開く
7億5000万ユーロ(約1319億円)の再出発
2021年6月23日、パリ中心部、セーヌ川に近い老舗百貨店Samaritaineが再び客を迎えた。LVMHが55%を取得したのは2001年。2005年には安全の問題で店を閉じ、それから16年が過ぎていた。1870年に小さな売り場から始まった百貨店を、買った時の姿で営業し続けることはできなかった。[59]
改修へ投じられたのは7億5000万ユーロ(約1319億円)。建物にあったアスベストを取り除き、安全性を高める。そのうえで古い装飾を修復し、日本の建築家ユニットSANAAが、新しいガラスの外観や光を入れる空間を作る。店へ来る人は、古いパリの建物と、波打つような新しいガラスの両方を見る。[60]
鉄の細工、壁の絵、ガラスの床。それぞれを直す仕事は、フランス各地の職人や工房へ渡った。百貨店を所有していても、その建物を使える状態へ戻すには、違う技術を持つ人々を集めなければならない。工事だけでなく、再開を待つ時間そのものにも資金をつなぐ必要があった。[60]
もともとは2020年の再開を目指していたが、パンデミックによって延びた。ようやく開く時も、世界の観光客が以前と同じようにパリへ来られる状況ではない。旅行客の消えたDFSを立て直してきたグループは、今度は自国の中心で、客を再び呼ぶ店を開いた。[59][20]
買い物の上に暮らす人もいる
新しいSamaritaineには、売り場だけを詰め込まなかった。2万平方メートルの商業空間に加え、オフィス、80人を受け入れる保育所、96戸の社会住宅が組み込まれた。高級ホテルCheval Blancも入る。高い商品を買う人、働く人、暮らす人が、同じ大きな街区を使う計画だった。[60]
昔の建物をそのまま保存するだけでも、古い部分をすべて壊して売り場を増やすだけでもない。街の歴史、現代の建築、商業と生活を組み合わせた。その中でLVMHが店を運営し、高級な滞在の時間も提供する。アルノーが買う対象は、ブランドの株式から、街の一角をどう使い直すかという長い仕事にも広がっていた。[59][60]
271000万ユーロ(約17億円)の司法合意
公的機関への働きかけをめぐる手続き
2021年12月、LVMHはパリ検察との司法上の合意で、1000万ユーロ(約17億円)を国庫へ支払うことになった。対象となったのは、2008〜2016年に人々が公的機関や当局へ介入した行為をめぐる件だった。検察は影響力の不正利用に当たり得るとし、会社との合意を結んだ。[61]
合意の承認は有罪の宣告ではなく、期限内の支払いなどを条件に会社に対する訴追を終える仕組みだった。アルノー個人がこの合意で有罪になったわけではない。ブランドを束ねる会社は、店頭とは離れた公的機関との関係についても、巨額の支払いを伴う対応を迫られていた。[61]
28飛行機の行き先まで見られる
社用ジェットを売る
2022年、LVMHの飛行機の移動を追うSNSアカウントが注目を集めた。富裕層の専用機がどこへ飛び、どれだけ二酸化炭素を出すのか。公開された移動の情報が、会社や富豪への批判へつながった。[62]
10月、アルノーと息子アントワーヌは、Radio Classiqueのインタビューで、社用機を売ったと明らかにする。説明した理由は、事業の機密性と安全の確保だった。飛行機を追えなくなっても、世界の事業へ移動する必要がなくなるわけではない。必要に応じて借りる形へ移ると報じられた。[62]
その放送局も、LVMHのメディア事業に属していた。鞄や香水だけでなく、自分の移動手段、何を語るか、どの媒体で話すかまで、巨大になった経営者の日々は公の関心を集めるようになっていた。[62]
29次の才能が賞を取る
桑田悟史へ40万ユーロ(約7036万円)
2023年、10回目の大賞を得たのは、ブランドSetchuを持つ39歳の日本人デザイナー桑田悟史だった。賞金は40万ユーロ(約7036万円)となり、1年間の支援が付く。卒業生3人にも各1万ユーロ(約175万9000円)と、DiorまたはLouis Vuittonの制作現場で1年間働く機会が贈られた。[63]
30パリの橋で音楽家に服を任せる
Pont Neufがランウェイになる
2023年6月、Louis Vuittonのメンズの新しい仕事を見せる舞台は、パリのセーヌ川に架かる歴史ある石橋ポンヌフだった。新しい責任者は音楽家として世界的に知られるPharrell Williams。橋に市松模様を使うランウェイを設け、歌や演奏も加えたショーを開いた。[64]
商品ではDamierという市松模様に迷彩を組み合わせ、過去のロゴも呼び戻す。Jacobsを招き、村上の図像を鞄へ載せた後にも、同じ老舗の名を違う世代へ見せる仕事は続いた。今度は音楽家が、その見せ方を担った。[64]
31勝利を入れるトランク
エッフェル塔の鉄を宝石のように留める
2024年のパリ五輪とパラリンピックでは、競技で勝った人の首に掛かるメダルにも、LVMHの仕事が入った。デザインを担ったのは、傘下の宝飾ブランドChaumetだった。金、銀、銅の真ん中に、エッフェル塔に使われていた鉄を六角形にして入れる。パリの象徴の一部を、選手が持ち帰れる形へ変えた。[65]
鉄は、もとの茶色い塗装を落とした色で見える。周囲には光が放射するような線を置き、中央の鉄を宝石のように留める。オリンピックとパラリンピックの両方に共通する面を作る。値段の高い宝石を売る会社が、競技者にとって別の意味で代えのない物を作る仕事へ入っていた。[65]
468個のメダルを収める引き出し
そのメダルを入れるトランクを作ったのはLouis Vuittonだった。中央と左右の扉を開くと、内側にはメダル用の引き出しが現れる。468個を収めるために設計され、外側はMonogram、内側は黒い革。客が持ち歩く鞄を、ただ大きくした物ではなかった。[66]
聖火のトーチ用にも別のトランクを作った。トーチを固定する受けを設け、運ぶ時は守り、扉を開いた後には見せる台へ変わる。旅の持ち物に合わせて箱を仕立ててきたブランドの技術を、大会の象徴へ使う。メダル、聖火、運ぶ箱が、それぞれ別の作り手の仕事としてつながった。[66]
さらにフランス選手団の開会式の装いはBerluti、メダルを運ぶ人々の衣装やトレーにもグループが関わった。世界が競技へ目を向ける大会で、商品を店頭へ並べる以外の方法で、ブランドの作る力が映る。[67]
アルノーのグループは、この提携へ1億5000万ユーロ(約263億円)を投じたと報じられた。2024年7月26日の開会式を、彼はパリの建物上階に設けられたLouis Vuittonのトランクを模した空間から見たという。競技の結果を決める側ではないが、勝利を迎える場面と、世界の画面に映る物の側へ、会社の仕事を入り込ませた。[68]
32高級な鞄は誰が縫う
見習いから職人へ
グループは職人を育てる仕組みも作った。2014年に始めたInstitut des Métiers d’Excellenceでは、若者や転職する人が学校と現場で学ぶ。宝石を加工し、革を縫い、時計を作る。それぞれの技術を、次の人へ教える仕事である。[69]
2024年の10周年にはアルノーも出席した。初期の卒業生で、Chaumetの宝飾の仕事に就いたマキシム・フラダンも紹介される。19歳でフランスの優れた見習いとして認められた人だった。ブランドの名前を買うだけでは、その商品を作れる手を同じ速さで増やせない。グループの成長の後ろには、教える人と、覚える人の時間が要った。[69]
Diorの下請けに入る監督
同じ2024年6月、Diorのイタリア生産子会社が司法管理に入った。取引先の労働環境と、それを把握する監督体制が問題になったためだった。美しさと職人の技を売る商品の背後で、どんな働き方がされているかが問われた。[70]
監督体制を改善した後、司法管理は2025年2月に早期解除された。別に倫理的な表示を調べたイタリア競争当局AGCMも、5月に改善の約束を受け入れて手続を終える。この手続では違反を認定せず、Dior側は労働搾取の被害者支援へ5年間で200万ユーロ(約3億円)を拠出することなどを約束した。[70][71][72]
どの商品がDiorらしいかを商品会で確かめる目と、その商品が作られる下請けの状況を把握する仕組み。高級ブランドには、その両方が必要になっていた。
テキサスの工房は式典で終わらない
2019年に大統領を迎えたテキサスの工房でも、数年後には別の姿が報じられた。2025年のReuters取材で、元従業員たちは熟練者の確保や訓練、生産時の不具合を語った。革の無駄が多かったという証言もあった。[73]
Louis Vuittonの産業部門幹部も、新工房の立ち上げが想定より難しかったと認めている。カリフォルニアの既存拠点からテキサスへ人を移すことも簡単ではなかった。投資額と雇用目標を並べた後で、実際に売れる鞄を誰が作るかという問題が続いた。[73]
村上隆との鞄が戻ってくる
Jacobsと村上隆が2003年に始めた協業も、2025年には200点を超える再版コレクションとして戻ってくる。かつて古い模様へ加えた新しさが、今度は懐かしさとともに欲しがられる過去になっていた。[74]
33再びDiorの作り手を替える
本の表紙を鞄へ載せる
2025年、Diorの新しい創造の責任者にJonathan Andersonが就いた。メンズだけでなく、女性の既製服とオートクチュールまで、全コレクションを率いる仕事だった。6月の最初のメンズのショーには、過去の服の形や、美術作品と、本の表紙が同じ場へ入ってきた。[75]
会場は、ドイツの首都ベルリンにある絵画美術館Gemäldegalerieを思わせる空間だった。壁にはシャルダンの絵が掛かり、Diorの歴史を代表するBarジャケットにはツイードを使う。Book Toteという鞄には、フランスの作家フランソワーズ・サガンの小説『悲しみよこんにちは』などの表紙を載せた。[75]
着る人にとっては新作でも、会社には、前の責任者が作った商品の売り場も在庫もある。Gallianoを迎えた1990年代から数十年が過ぎ、アルノーと経営陣は、もう1度別の才能へ、最も重要なブランドのこれからを渡していた。[75][9]
34家族が持つ会社の次
5人の子どもへ渡る仕事
アルノーには5人の子どもがいる。買収したブランドやグループの経営に、次の世代が入ってきた。Loro Pianaへアントワーヌを置き、RIMOWAからTiffanyへアレクサンドルを動かす。長女デルフィーヌはLouis Vuittonで商品を担当した後、2023年にChristian Dior Coutureのトップとなった。[1][31][57][76]
家族は会社の外で配当を待つだけの人々ではない。2025年末、アルノー家と支配会社群はLVMHの資本の49.77%、行使可能な議決権の65.89%を持っていた。株の半分に少し届かない持分で、経営を決める票は約3分の2を握る。[76]
若いアルノーが家の建設会社を引き継いだ頃とは、渡す物の規模が違う。子どもたちは、別々の会社で商品と人を動かす経験を積む。父が持つ議決権を誰がどう受け継ぎ、経営を担うかは、巨大なブランド群の先を決める話になった。
株の上に家族の仕組みを置く
2022年には、家族の持株会社Agacheの法的な形も変えた。株式を持つだけでなく、会社を支配する役割を、別に置く仕組みである。Agache Commanditéという会社には、5人の子どもが等しい割合で出資した。父はAgacheの経営を担う立場に残る。[77]
Louis VuittonやDiorの役職へ、それぞれを配置するのとは違う準備だった。売り場の仕事を誰が率いるかと、グループの支配権を家族がどう持ち続けるか。その両方へ、別々の器を用意した。父が子どもの誰か1人へ会社の全部を渡したという発表ではなく、家族が長く支配を保つための組み直しだった。[77]
子ども5人を囲む昼食
家族を会社の中へ置く一方、父はその子どもたちを同じ机へも集めた。2023年の報道では、本社の私的な食堂で月に1度、5人と昼食を取る。話題は商品の売れ方や会社の運営、幹部についての意見だった。父がそれぞれに考えを聞く場である。[78]
別々のブランドで働く子どもたちも、この場では同じ質問へ自分の答えを出す。父の役割を将来誰が受け継ぐかという関心も強まった。報道当時、側近のシドニー・トレダノは、子どもを後継にしなければならないと本人から言われたことはないと説明していた。[78]
東京で椅子を数える
2026年の取材で経営陣が語ったのは、東京のTiffanyで客用の椅子の数を何分も確かめるアルノーの姿だった。巨額の取引を終えた後も、その店で客をどう迎えるかを本人が見る。[79]
750ドル(約11万8200円)のバッグの飾りを気にした経営者は、宝飾店を手に入れた後も、店内の小さな判断へ下りてくる。グループの総売上と、目の前の客が座る椅子は、彼にとって別々で終わる問題ではなかった。
35808億ユーロ(約14兆2127億円)の先でも探す
売上は前年を下回る
2025年、LVMHの売上は808億700万ユーロ(約14兆2139億円)だった。前年の846億8300万ユーロ(約14兆8957億円)から減った。服や革製品だけでなく、酒類、化粧品、宝飾品、小売などを束ねても、市場や通貨、客の買い方の変化は事業へ届く。[76]
2026年7月の会社説明では、Diorの新しいデザインや、Louis Vuittonの北京とソウルの新店舗、TiffanyとBvlgari、Sephoraなどを成長の手掛かりとして挙げた。買収して何年たっても、次の商品と次の客を探す仕事は続いていた。[80]
30年前に買った売り場の一部を渡す
2026年1月、DFSは、香港とマカオの旅行小売事業、大中華圏に関わる無形資産をChina Tourism Group Duty Free側へ売る契約を発表した。DFSを持つLVMHとロバート・ミラーの側が、地域の事業を別の運営者へ渡す合意だった。[81]
1996年には24億7000万ドル(約3892億円)で株式の過半数を取得し、その後にアジア危機、SARS、パンデミックを経験した。店へ来る旅行客が止まるたび、運営の仕組みを直してきた。その事業で、今度は持つ地域を選び直す。ここで公表されたのは売却の契約であり、最初に買ったDFSのすべてを処分する発表ではなかった。[17][81]
株でできた巨大な富
Forbesが2026年10月31日時点で示した、本人と家族の資産推計は1174億ドル(約18兆5022億円)だった。その富の中心は、グループへの持分にある。株価で大きく動く推計額だが、商品を売る会社を支配することが、一族の富を作っていた。[56]
ルーベで建設現場を見ていた少年は、自分の家業を変え、Diorを残し、LVMHの頂点へ座った。GucciとHermèsは思いどおりにならず、抱えたブランドを手放すこともあった。招いた才能を守るだけでなく、関係を断つ決断もした。
77歳のアルノーは、なおグループを率いる。次の季節の商品を選び、店を見て、人を置く。手に入れた老舗の名を、これから買う人の欲しい物へ変える仕事は、まだ彼の日々の中にある。[1][80]
参考文献・出典 81件
本文の番号に対応する資料です。本人・関係者のインタビュー、当時の取材、企業の発表を参照しています。
- LVMH official biography ↩ 本文
- Alessandra Galloni / WSJ:Being Bernard Arnault2009-03-20, Mint正式転載 ↩ 本文
- Leslie Camhi本人・Claverie等取材Vogue2014-09-09 ↩ 本文
- BloombergBusinessweek Arnault profile July2024 ↩ 本文
- LVMH biography French ↩ 本文
- Josée Doyère, De Ferinel à Dior (1987-03-21) ↩ 本文
- Jean-Claude Trichet welcoming speech, 2026-01-12 ↩ 本文
- LVMH — Group history ↩ 本文
- Galerie Dior official history ↩ 本文
- Le Monde — Arnault prend la tête de LVMH, 1989-01-14 ↩ 本文
- Le Monde, le luxe à l’arraché (1989-01-21) ↩ 本文
- System — Interview with Yves Carcelle ↩ 本文
- Forbes Q&A with Arnault, 2017-09-26 ↩ 本文
- Louis Vuitton official heritage ↩ 本文
- LVMH FY2002 Form20-F filed2003 ↩ 本文
- Marianne Boesky Gallery Murakami2003-04-11→05-10 exhibition release ↩ 本文
- IlanaDeBare/SFChronicle1996-12-19 DFS仲裁・買収 ↩ 本文
- LVMH Sephora profile ↩ 本文
- Bernard Arnault本人インタビュー:Sephoraの地域別の成否(2002年9月22日) ↩ 本文
- IrishTimes1998-09-25 Asiancrisisresults ↩ 本文
- LVMH AnnualReport1999 (UAB universityarchive) ↩ 本文
- Gucci Group FY2004 Form20-F — Settlement of LVMH litigation ↩ 本文
- Kering group history ↩ 本文
- PPR 2005 Reference Document ↩ 本文
- MartinMoodie2005-01-25 Lacroix sale, LVMH statement reproduced ↩ 本文
- Diamond World:eLuxuryの小売撤退・オンライン媒体転換に関する2009年報道 ↩ 本文
- AMF:Décision de la Commission des sanctions du 25 juin 2013 à l’égard de la société LVMH Moët Hennessy Louis Vuitton ↩ 本文
- ABC News:John Gallianoの反ユダヤ主義的発言とDior解雇に関する2011年3月1日報道 ↩ 本文
- Le Monde:John Galliano condamné pour injures publiques(2011年9月8日) ↩ 本文
- LVMH:2011年6月30日プレスリリース(Bulgari取引承認および時計・宝飾品部門の経営体制) ↩ 本文
- LVMH:LVMH GROUP ACQUISITION OF LORO PIANA GAINS FINAL APPROVALS(GlobeNewswire掲載) ↩ 本文
- LVMH FY2014 annual accounts on French AMF repository ↩ 本文
- Corriere della Sera / Alberto Berticelli — Cova bought,27Jun2013 ↩ 本文
- la Repubblica / Sara Bennewitz — LVMH batte Prada,27Jun2013 ↩ 本文
- LVMH:LVMH Launches the LVMH Young Fashion Designers Prize(PR Newswire掲載) ↩ 本文
- AMF Annual Report2013 ↩ 本文
- LVMH/Hermès settlement2014-09-03 ↩ 本文
- LVMH exceptional distribution2014-12-17 ↩ 本文
- FondationLouisVuitton official history ↩ 本文
- Architectural Record:Fondation Louis Vuitton(建築・設計過程の取材) ↩ 本文
- Fondation Louis Vuitton:The Building(公式建築紹介) ↩ 本文
- McKinsey:The business of creating desire: An interview with the CEO of LVMH Fashion Group ↩ 本文
- LVMH:RIMOWA, global leader of high-quality luggage, joins the LVMH Group ↩ 本文
- Vogue Business:Rimowa CEO Alexandre Arnault on heritage, sustainability and expansion in China ↩ 本文
- LVMH/ChristianDior/Arnault共同構造簡素化発表2017-04-25 ↩ 本文
- ChristianDior AnnualReportFY2017 ↩ 本文
- Belmond:LVMHとの合併に関する株主向け委任状資料・取引経緯(2019年、SEC提出) ↩ 本文
- LVMH:LVMH completes the agreement with Belmond ↩ 本文
- Fondation Notre Dame:De grands mécènes finalisent leur engagement dans la durée pour Notre-Dame ↩ 本文
- 米国大統領府:Remarks by President Trump at the Opening of the Louis Vuitton Workshop–Rochambeau, Alvarado, TX ↩ 本文
- LVMH acquisition agreement2019-11-25 ↩ 本文
- LVMH:2020年社会・環境責任報告書(香水工場による消毒用ジェル供給の記録) ↩ 本文
- LVMH公式発表2020年9月9日(GlobeNewswire):外相書簡と買収期限 ↩ 本文
- Tiffany2020年9月9日Form8-K:買収実行を求める提訴、両社主張と書簡 ↩ 本文
- Tiffany/LVMH revised agreement2020-10-29 ↩ 本文
- Forbes Bernard Arnault & family profile ↩ 本文
- LVMH:Tiffany買収完了および新経営陣に関する2021年1月7日発表(SEC掲載) ↩ 本文
- Reuters:LVMH, Rihanna close Fenty luxury fashion line(Investing.com掲載) ↩ 本文
- FHCM — Reopening of La Samaritaine,25Jun2021 ↩ 本文
- Ville de Paris — Samaritaine rouvre ses portes,21Jun2021 ↩ 本文
- Paris prosecutor CJIP notice2021-12-17 ↩ 本文
- WWD / Miles Socha — 社用の自家用機売却,18Oct2022 ↩ 本文
- LVMH:The winners of the tenth edition of the LVMH Prize for Young Fashion Designers ↩ 本文
- LVMH:Pharrell Williams lights up Paris for Louis Vuitton ↩ 本文
- IOC — Paris2024 medals reveal,8Feb2024 ↩ 本文
- LVMH — Medals and torches trunks,27Mar2024 ↩ 本文
- LVMH — Outfits and medals trays,2Jul2024 ↩ 本文
- Le Monde — La parade olympique de Bernard Arnault,27Jul2024 ↩ 本文
- LVMH:LVMH célèbre les 10 ans des Métiers d’Excellence(2024年、職人教育の10周年発表) ↩ 本文
- Reuters Dior judicial administration lifted2025-02-28 ↩ 本文
- AGCM PS12805 commitments decision2025-05-13 ↩ 本文
- Reuters AGCM Dior resolution2025-05-21 ↩ 本文
- Reuters:LVMH finds making Louis Vuitton bags messy in Texas(StreetInsider掲載) ↩ 本文
- LVMH Vuitton×Murakami再版発表2025-01-09 ↩ 本文
- LVMH — Jonathan Anderson debut collection,30Jun2025 ↩ 本文
- LVMH Universal Registration Document FY2025 ↩ 本文
- Reuters — Arnault restructures Agache,21Jul2022 ↩ 本文
- ABC Australia — Arnault succession,14May2023 ↩ 本文
- Bernard Arnault: Inside the court of France’s richest man(2026年7月19日) ↩ 本文
- LVMH July2026 shareholder letter ↩ 本文
- DFS/LVMH — Greater China retail sale agreement,19Jan2026 ↩ 本文
写真の作者・利用条件・撮影年は各画像の下に記載。取材資料と写真の出典は別々に確認できます。
※ 円換算は2026年11月2日確認のWise表示値(1米ドル=157.6円、1ユーロ=175.9円)を使用。取引当時の為替や物価・購買力を再現するものではありません。 フランは法定単位換算(6.55957新フラン=1ユーロ)を経た名目額です。 為替出典:USD / EUR / Eurostat / フランの法定換算
本文更新:2026-11-02


