THE STORY
三木谷浩史の物語
選んだ道。その先で、起きたこと。
01故郷へ戻った29歳
倒れた高速道路が映った
1995年1月17日、三木谷浩史はアメリカ出張へ向かうところだった。テレビに、阪神高速道路が倒れた神戸の街が映った。自分の育った街だった。岡山へ飛び、そこから神戸へ戻る。阪神・淡路大震災で、叔父と叔母、友人を失った。[1][2]

写真:神戸市(Kōbe city)/出典/CC BY 2.1 jp。表示サイズ調整・圧縮。肖像は表示枠で切り抜き。
29歳。日本興業銀行の行員で、会社の費用でアメリカの経営大学院Harvard Business Schoolへ留学し、帰国後は企業の買収や提携に関わっていた。仕事を続ければ、その経験を使える道がある。それでも故郷へ戻った後、本人の中へ、自分の人生もいつか終わるという実感が入ってきた。仕事の先を考える時の重さが変わった。[1]
その年、銀行を辞めた。次の生活を支える事業は、まだ決まっていなかった。後に本人が語った言葉は、「最大のリスクは食っていけないことではなくて後悔することだ」。銀行へ残る理由を数えられる人が、その理由を持ったまま外へ出た。楽天市場を開くのは、さらに後のことになる。[2]
02言葉が通じない教室へ入る
神戸から大学町へ
地理データ:Natural Earth(パブリックドメイン)。 湖の補助データ:© OpenStreetMap contributors(ODbL)。使用データ。現代の行政区分と都市の代表位置を表示。編集部作図。
浩史は1965年3月11日、神戸に生まれた。父の良一は経済学者で、神戸大学で教えていた。7歳になると、父の仕事に伴ってアメリカへ渡った。アメリカ北東部・コネティカット州の、Yale Universityを中心とする大学都市ニューヘイブン。父が教えていた大学のある街で、息子は現地の学校へ通うことになった。[3][4]
初めから十分な英語を話せたわけではない。本人が覚えている登校前の準備は、数の数え方と、イエス、ノー、トイレなどだった。それでも初日に、4〜5人の友達を家へ連れてきた。相手の言葉を全部理解できるようになる前から、輪の中へ入っていった。[2]
2年間のアメリカ生活では、答えを覚えるだけでなく、なぜそうなるかを考える学び方にも触れた。日本へ帰った後、進んだ私立中学ではつまずき、公立へ移った。そこからテニスへ熱中していく。帰国子女という肩書があっても、日本の学校ではもう1度居場所を見つけなければならなかった。[5][2]
自分の球は自分で拾う
一橋大学では庭球部のキャプテンになった。部には、下級生が球を拾い、上級生が練習する慣習があった。三木谷はそれを変えた。自分の球は自分で拾う。毎日同じ場所で会う先輩や仲間へ、従来とは違うやり方を持ち込んだ。[5]
球を拾う時間が減れば、下級生も練習へ戻れる。毎日の部活動で、誰が何をするかという小さな決まりから動かした。本人は後の一橋大学での祝辞でも、大学での経験や、続いて学ぶHarvardの知識、人とのつながりが、自分の背骨になったと話している。[6]
03銀行の留学制度が外への道を開く
出世以外の仕事を知る
1988年、一橋大学を卒業し、日本興業銀行へ入った。大企業の資金調達や再編にも深く関わる銀行だった。そこで1991年から1993年まで、会社の派遣でHarvard Business Schoolへ留学する。学費も旅費も銀行が負担した。[3][7][1]
アメリカでは、大企業の中で昇進する人だけが尊重されるのではなかった。小さな会社を作る人、まだない事業へ取り組む人にも、社会を動かす役割がある。三木谷は、自分で仕事を始めることを現実の選択肢として考えるようになった。[7][2]
ただし、帰国してすぐには辞めなかった。費用を出して学ばせてくれた銀行で、今度は企業の合併や買収を手伝う。その顧客に、SoftBank創業者の孫正義がいた。独立して事業を大きくする人を、銀行員として近くから見た。留学先で知った起業という道が、帰国後の取引先にも続いていた。[1]
そして1995年、震災が起きた。翌1996年2月にはクリムゾングループを設立し、企業買収や提携を助言する仕事を始める。銀行で身につけた経験を使いながら、その外で自分の仕事を探し始めた。[3][1]
妻も創業の仕事を担う
妻の晴子は、銀行の同僚でもあった。楽天の創業では、管理部門の仕事を担うようになる。三木谷が外へ出て店や人を集める隣で、小さな会社を運営する側を支えた。留学で知り合った人々、銀行時代の経験、家族の協力。三木谷は、そのつながりを新しい仕事へ持ち込んだ。[8]
04楽天になる前にビールがあった
辞めた人に会いに来た学生
クリムゾングループへ、慶應義塾大学大学院の本城慎之介が訪ねてきた。本城が入りたかったのは日本興業銀行だった。そこをわざわざ辞めた人がいる。なぜそんな選択をしたのか、話を聞きたかった。[9]
会った後、本城は三木谷のオフィスへ通うようになった。憧れていた銀行へ入るための就職活動から、その銀行を辞めた人と仕事をする方へ移った。やがて、他のスタッフが抜けて三木谷と本城の2人が残る。1996年秋頃、2人は新たな事業を探していた。[9][10]
候補は3つ。天然酵母パン店のフランチャイズ、地ビールレストランのフランチャイズ、インターネットのショッピングモール。2人は地ビールにも傾いたが、元手が足りない。1番少ない初期費用で始められるのはネットだった。まず試せるものから始める。後に巨大な楽天経済圏と呼ばれる事業の入口に、パンとビールが並んでいた。[9]
四国のうどんを注文する
1996年10月、三木谷はインターネットで初めて買い物をした。四国の小さな店のうどんだった。画面から注文すると、遠くの店の商品が届く。近所の店まで出かけなくても、小さな商店へ全国から注文が入る。その便利さの上へ、店ごとの工夫や客とのやり取りを載せようとした。[11]
ところが当時、ネットの店には、ページを少し直すだけでも外注費がかかるものがあった。小林正忠が覚えているのは、夏になっても新年の挨拶が残る店だ。店主が自分で、今日売りたい商品の値段や説明を変えられたらどうか。商人がコンピューターに合わせて仕事を覚えるのでなく、普段の商売を画面へ持っていける仕組みを作る。[12][7]
05本を渡してもシステムはできない
本城の前へSQLの本が来た
外へ頼んだ開発が、期日までにできなかった。三木谷は『初めてのSQL』を買い、本城へ渡した。SQLは商品や注文のデータを扱うための言語だ。システムができなければ、自分たちで覚えて作る。だが本城が必死で読んでも、それだけでは動くようにならなかった。[10]
開発会社から来たエンジニアに教わり、さらに知人を通じて腕のあるプログラマーにも加わってもらった。その横で、三木谷と本城もC言語を勉強した。システムを組む間には、出店してくれる店を探す営業もある。小さなチームで、作る仕事と頼みに行く仕事を往復した。[10]
お金がないなら貸すから出して
小林正忠も、最初から迷わず加わったわけではない。三木谷に出資を頼まれ、断った。自分も将来は起業するつもりで、他の人の会社へ出すお金はない。すると三木谷は、貸すから出資してほしいとまで持ちかけた。小林には、かえって怪しく聞こえたという。[12]
それでも最後には6人でお金を出し合った。技術に詳しい人、店へ行く人、画面を作る人が集まる。1997年2月、前身のエム・ディー・エムを設立した。5月1日に楽天市場を開く。サーバーは1台、社員は6人。100店舗を集めるはずの売り場へ、実際に来てくれたのは13店舗だった。[13]
06汗をかいて店の扉を開ける
月5万円を信用してもらう
出店料は月5万円。全国へ売れるかもしれない、と話しても、名前を知らない会社へ毎月払う額としては小さくない。ネットの仕組みを理解してもらう前に、目の前の若者を信用してもらわなければならなかった。[13][12]
営業へ行く前に、店の前で腕立て伏せをしたこともあった。汗をかき、懸命に歩いてきたように見せるためだ。後にForbesが取材した、創業期の泥くさい工夫である。銀行員として買収を助言していた男が、今は自分たちの売り場へ1軒ずつ店を誘っていた。[14]
開業時のトップページには、すべての店の名前を文字で並べた。少しでも店の多い場所に見せたかった。小林がHTMLを書き、画像編集ソフトでバナーも作る。大きな市場を名乗りたくても、手元にあるのは13の名前だった。[15]
仕組みより先に人を信じてもらう
開業直後、本城は北海道南部の港町、函館の朝市へも営業に行った。学生時代を過ごした街の海産物店、函館カネニを訪ねる。社長の藤田に説明すると、楽天市場の仕組みはよくわからないが、本城のことは信用できるとして、その場で契約してくれた。月5万円は、年に60万円になる。まだ実績のない会社へ、店の経営者が先に支払ってくれた金だった。[10]
本城は、その期待に応えるために客を呼ばなければと考えた。画面には名前を並べられても、そこへ載る1軒の裏には、自分たちを信じて判を押した人がいる。開いた後の楽天市場には、その人たちの注文を増やす仕事が待っていた。[10]
32万円のうち20万円を自分で買う
楽天市場の初月の取扱高は32万円だった。三木谷は、始めれば注文が殺到すると思っていたが、現実には売れなかったと語っている。会社自身の収入ではなく、店で売れた商品をすべて足して、その金額だった。[16]
しかも、そのうち20万円は三木谷自身が買った分だった。差し引けば12万円。店を集め、システムを作り、画面を開いた後も、自分たちの知らない買い手はなかなか来なかった。[17]
店主は出店料を払い、注文を待っている。社長が買い支えるだけでは続かない。全国から客を呼ぶ売り場を作るはずが、まず、店に最初の客を届けるところからやり直す必要があった。
07最初のネット注文は電話で来た
道端で車を止めた店主
1998年8月、雑貨店NUTSが出店した。最初に並べたのは、横尾忠則がデザインした腕時計など5モデル。3か月ほど、なかなか注文が来なかった。ようやく買いたい人から連絡が入る。電話だった。[18]
サイトで商品を見つけたが、ネットで買うことには慣れていない。電話で注文できないか。店主は車を路肩へ止め、その話を聞いた。画面で知ってもらうことはできた。その人が画面から注文できるかどうかには、まだ別の壁があった。[18]
小さな本社で開く意見交換に、この店も参加した。三木谷は大きな成長を語る。一方、店の実感は3か月に1度売れるかどうかだった。会社の先を大きく描く人と、その月の注文を待つ人が、同じ場で話していた。[18]
ひまわりは箱へ放り込まれていた
本城が楽天市場で買ったのは、30本ほどのひまわりだった。届いた箱を開けると、ラッピングもなく、ごそっと乱雑に入っていた。ネットで注文はできた。しかし花を買った客が喜ぶ形では届かない。売り場を用意するだけでは足りなかった。[10]
写真や説明をどう作るか。注文を受けてから、どんな知らせを送り、どう包むか。店で商売をしていた人も、相手の顔を見ないまま売ることは初めてだった。2000年、楽天大学が始まった。出店者が売り方や届け方を学び、互いの工夫を交換する場所だ。[10]
小売りをよく知らない側にも、思い込みが少ない面はあった。真夏に福袋を売るといった試みもした。既存の小売りの時期や売り方を、そのまま画面へ置くことにこだわらない。店が実際に売り、買った人が反応する。その結果を見て、売り方を増やした。[12]
08売れた店ほど料金が増える
上場の後に変えた約束
2000年4月、楽天はJASDAQに株式を店頭登録した。会社設立から3年余り。小さな商店を集めた会社が、資本市場でお金を集め、別のサービスへ広がる段階へ入った。[19]
2002年には料金体系も変えた。それまでの月額基本料に加え、売上などに応じた追加料金を導入する。店が大きく売れても、楽天が受け取る出店料は同じ。その仕組みへ、売上に連動する取り分を加えた。[19]
出店者は反発した。取材に応じたワイン店は、月5万円だった費用が10倍ほどになる見通しだった。よく売れる店ほど、負担が大きくなる。既に楽天で客をつかんだ店は、条件が変わっても簡単には離れられない。[20]
楽天側はシステムや集客へ投資する必要を説明したが、告知や話し合いに十分な時間がなかったことも認めた。小さな店へ力を貸すために作った売り場が、その店の毎月の支払いを決める側になっていた。[20]
創業の相棒が30歳で去る
同じ2002年、本城が副社長を退いた。三木谷が30歳で銀行を辞めたのを見て、自分も30歳で独立すると決めていた。その時期が来たと伝えると、三木谷は引き止めた。本城は何度も話をし、最後には了承を得た。会社がこれからさらに育つ時にも、自分との約束を優先した。[10]
SQLの本を前に困り、店へ営業に行き、売れない売り場を一緒に動かした相手だった。本城はその後、教育の分野へ進んだ。楽天が料金や戦略を変える頃に、三木谷の隣にいた1人も別の道を選んだ。[10]
13店が1万店になる
2004年10月、出店数は1万店を超えた。商品を載せる仕組みに、客を集める方法や売り方を学ぶ場が加わり、地方の店にも全国から注文を受ける道が広がった。13の名前を大きく見せようとしていたページには、もうその必要がなかった。[21]
店が1万軒になっても、それぞれの商売は楽天の直営店になったわけではない。出店料の条件を変えるたび、ワイン店のように自分の損益を計算する経営者がいる。[21][20]
09323億円で時間を買う
旅の窓口を迎える
2003年、楽天は旅行予約サイトの旅の窓口を運営するマイトリップ・ネットを、日立造船から323億円で買収した。宿泊施設をネットで予約する国内大手だった。楽天にも楽天トラベルはあったが、規模には大きな差がある。三木谷は追いかけ続ける代わりに、先へ進んでいた会社ごと手に入れた。[22]
全国の宿と結ぶ契約、使い慣れた利用者、予約を動かす人々。自分たちで1つずつ積めば、時間がかかる。三木谷は会見で、成長する分野で1位を築けるなら合理的な価格だと説明した。買収の金額は、欲しい会社の値段であると同時に、追いつくまでの時間の値段でもあった。[23]
買い物のポイントが別の仕事へつながる
楽天は2002年にポイント制度を始めていた。買い物で貯め、次の買い物へ使う。グループのサービスが増えれば、その間を人が移る理由にもなる。通販へ来た人が旅行を予約し、別の用事の後にも楽天へ戻ってくる。会社を次々と買うだけでなく、その会社同士の間をつなげていった。[13]
2005年には、傘下へ迎えた国内信販が楽天カードを出す計画を発表した。買い物の決済も担い、使った額に応じてポイントが貯まる。市場の外側にあったお金の流れまで、グループの仕事へ加わった。[24]
後に巨大な設備投資が必要になった時、こうして育てた金融事業は稼ぎ手となり、持っている株を売って資金を得る手段にもなる。この頃の買収で増やした事業が、別の挑戦を支える財産になっていく。[25]
10球団は1年目に97敗した
楽天の名を球場で知ってもらう
2004年11月、東北楽天ゴールデンイーグルスのプロ野球加盟が認められた。通販を使わない人も、試合の結果やスポーツニュースで楽天の名を見るようになる。楽天という会社の姿が、買い物の画面の外へ出た。[26]
最初のシーズンは厳しかった。2005年、38勝97敗1分。勝率は.281で最下位だった。新しいチームへ期待を寄せたファンには、負ける日が何度も来た。会社の知名度が上がっても、球場へ来た人が見たいのは、その日の試合に勝つチームだ。[27]
選手を集め、現場へ託し、次のシーズンを迎える。画面や料金を変えるように、社長が勝敗を動かすことはできない。三木谷が引き受けた新しい仕事には、負けた後も来てくれる人の期待があった。
朝6時半と700円の弁当
その頃の三木谷の働き方を、2004年放送のテレビ番組が追っている。朝6時半に出社し、7時から取締役会、8時に全社員の報告会。昼は700円のそぼろ弁当。夜のレストランの集まりは、その月に誕生日を迎えた社員たちのための会だった。6人で始めた会社は、その時には800人になっていた。[28]
後に入社して働いた研究者の記録には、朝会、机や椅子の脚まで自分たちで掃除する慣習、社長の講話や価値観をまとめた小冊子が出てくる。新しい社員へ、仕事と一緒に、会社の中でどう動くかを伝える。人数が増えても、同じ習慣や言葉を繰り返し届ける組織になっていた。[29]
11テレビ局の株を買って扉をたたく
TBSへ880億円を投じる
2005年10月、楽天はTBS株15.46%を取得したと発表した。880億円。共同の持ち株会社を作り、経営統合することを提案した。テレビ番組や広告とネットサービスをつなげれば、新たな事業を作れる。三木谷は、旅行や金融に続いてメディアへ踏み込もうとした。[30]
しかしTBSは、買収に合意していた相手ではなかった。井上弘社長は、事前の連絡もなく大量の株を買われたことへ不快感を示した。買った側が語る未来の事業と、買われた側が受け止める会社の支配は、同じ話にならなかった。[31]
楽天はさらに買い増した。10月には19.09%、取得額は計1110億円へ上がった。三木谷は会見で、株を買うこと自体の何がいけないのかと反論した。持ち分を増やせば、発言する重さも増える。一方、相手にとっては、その増加自体が圧力だった。[32]
1株1294円で終わった
経営統合は実現しなかった。2009年、TBSが認定放送持ち株会社へ移るのに際し、楽天は反対株主として株の買い取りを請求した。この時点の保有は3777万700株、19.83%。テレビとネットの未来を話していた取引は、株をいくらで引き取ってもらうかという争いへ移った。[33]
2011年、最高裁が楽天の抗告を退けた。買取価格は1株1294円で確定した。売却代金は約488億円。すでに受領していたその額は、最初に公表した880億円よりも少なく、その後にも株を買い足している。楽天はテレビ局を手に入れず、株も手放した。[34]
楽天市場へ店を集め、旅行サイトを買い、カードへ広げた時と同じ勢いでも、相手が応じなければまとまらない。銀行で企業買収を手伝っていた経営者が、自分の会社の大きな買収で失敗した。だが三木谷は、この後も外の会社を迎える方法をやめなかった。
12日本語で働いていた会社を英語へ変える
社員に与えられた2年間
2010年、三木谷は社内の公用語を英語にする方針を打ち出した。海外の会社を買っても、本社が日本語だけで決めるなら、外国の経営者や技術者は会議の中心へ入りにくい。一緒に働く会社へ迎えるために、迎える側の言葉も変えようとした。[35]
求められたのは、いつか話せるようになることではない。2年で必要な力をつけなければ降格する可能性があった。当初、英語を話せる社員は1割ほど。英語を得意として入ったわけではない人も、いつもの仕事に加えて試験へ向かうことになった。[36]
初めは研修の支援が乏しく、勤務外の時間に自費で学ぶことを期待された。会社を変える期限はあるが、学習に使える時間と費用は個人へ乗る。研究者ツェダル・ニーリーが追った改革では、楽天は後に語学研修費の負担など、支援の方法を変えた。強い方針を出した後に、それを実行する人の足元を補っていった。[36]
何を知っているかと何を話せるか
2012年7月の本格実施時、三木谷は会議の8割以上が英語になり、社員のTOEIC平均点は526点から694点へ上がったと説明した。社内の画面や会話が変わり、同じ会社へ入る条件も変わった。[37]
慣れていた仕事の説明にも、英語の準備が要る。研究の取材を受けた技術者は、方針への驚きと英語に苦手意識を持つ社員の多さを語っていた。世界の社員に会議へ入ってもらうための変更が、今までそこで働いていた人の前へ新しい課題を置いた。三木谷は会社を国際化しながら、その中の働き方まで変える必要を生んでいた。[36]
13フランスへ進み中国から退く
2億ユーロ(約351億円)とBaiduの検索網
2010年、フランスのECサイトPriceMinisterを2億ユーロ(約351億円)の予定対価で買収する契約を結んだ。現地の利用者や店を迎え、楽天が持つ店舗支援の方法を重ねる。まだ楽天を知らない国へ、すでに商売をしている会社と入っていく方法だった。[38]

写真:Seng YAM/出典/CC BY 2.0。表示サイズ調整・圧縮。肖像は表示枠で切り抜き。
中国では、検索大手Baidu, Inc.と合弁で楽酷天を開いた。楽天51%、Baidu49%。客を集める大きな入口と、日本でネット商店街を育てた経験を組み合わせる。単独で店を作るより、頼れる相手がいるはずの進出だった。[39]
ところが2012年4月、楽酷天の終了を発表した。開始から約1年半。競争が激しく、計画を下回り、根本的な改善が見込めない。会社が示した楽天の累積投資額は8億6000万円だった。[40]
会社の外へ意見を届ける
海外の競争に出る一方、国内では業界の既存の枠組みとも距離を取った。2011年、楽天は経団連へ退会届を出した。三木谷は、原発事故や電力政策をめぐる対応への不満を公にしていた。代表的な経済団体の中に残るより、自分の立場を示す方を選んだ。[41]
2012年には新経済連盟が発足し、代表理事として政策提言を進めた。ネットの商店街から、金融、放送、海外へ仕事が広がるほど、制度や規制にもぶつかる。会社でできることを増やすだけでなく、会社の外側を変える議論へも参加するようになった。[42]
147980円の端末で本が開けない
Koboを買って日本へ出す
2012年1月、カナダの電子書籍会社Koboの買収を完了した。対価は3億1500万ドル(約496億円)。7月には日本でも電子書籍の販売を始め、端末kobo Touchを7980円で売り出した。薄い機器へ何冊もの本を入れて持ち歩く。その新しい読み方を、価格の低さと楽天の会員基盤で広げようとした。三木谷自身も店頭へ立ち、売り込みに加わった。[43][44][45]

写真:Honza chodec/出典/CC BY-SA 3.0。表示サイズ調整・圧縮。肖像は表示枠で切り抜き。
ところが、買った人が初期設定を終えられない。本が正しく表示されない。読むための製品なのに、最初の1冊へ入れない問題が起きた。担当役員の本間毅は、最終調整前のパソコン用アプリをダウンロードできる状態にしてしまったと説明した。日本語のユーザー名を使うパソコンでの不具合もあった。入っていた青空文庫のサンプルが、最初と最後のページしかないものもあった。[43]
ログインや本を同期する回線にも負荷が集中し、問い合わせ先へ電話もつながりにくくなった。日本とカナダの担当者が24時間体制で問題を共有し、アプリを直す。コールセンターへも現場の社員を送った。大きく売り出した製品の後ろで、使い始められない客への対応が続いた。[43]
買った人の不満は消えない
販売ページのレビューが見られなくなった対応も批判された。[43]
さらに日本語コンテンツ数の表示について、楽天は10月に消費者庁の指導を受けたと公表した。パンフレットでは約3万冊としていたのに、開始時点では1万9164冊だった。[46]
端末を安く出し、大勢に使ってもらう構想はあった。だが、設定ができること、読みたい本があること、困った時に説明してもらえること。その入口でつまずけば、端末を買った客は次の1冊へ進めない。楽天大学で店へ売り方を伝えていた会社が、自分たちの新商品を使い始めてもらうところで批判を受けた。
15父のために別の技術を探す
相談へ戻る神戸の家
父の良一は、少年時代に海外生活の機会を与えただけの人ではなかった。三木谷は銀行を辞める時、楽天を始める時、TBS株を買う時にも、神戸へ意見を聞きに行った。直感で進もうとする息子へ、経済学者の父が理由を問い、理屈を返す。その相手が家族の中にいた。[47]
2012年、父が膵臓がんと診断された。三木谷は治療法を探し、アメリカで研究する小林久隆の光免疫療法に出会った。薬剤をがん細胞へ届け、光を当てる技術で治療する研究だった。自分の父を救いたいという切実な理由から、研究開発の支援へ入った。[48]
その間も父との対話は続いた。2013年4月から、亡くなるまでの7か月間に17回。日本の将来について話し、本へ残した。経営判断の時だけ頼るのでなく、残る時間の中で、父の考えを聞いた。[47]
1697敗した球団が最後の1勝を待つ
田中で負けた第6戦
2013年、楽天イーグルスは初めて日本シリーズへ進んだ。相手は読売ジャイアンツ。創設9年目だった。11月2日の第6戦では、シーズンで勝利を積み重ねてきた田中将大が先発した。楽天はここで勝てば日本一だった。[49]
結果は2対4。最も頼もしかった投手で負け、決着は翌日の第7戦へ持ち越された。1年目に97敗したチームが、最後の1勝を前に、もう1晩待つことになった。[49]
9年目の日本一
2013年11月3日、楽天は3対0で勝った。東北を本拠地に持つ球団が、初めて日本一になった。[49][50]

写真:Comyu/出典/CC BY-SA 3.0。表示サイズ調整・圧縮。肖像は表示枠で切り抜き。
2011年に東日本大震災を経験した地域で、選手とスタッフ、応援してきた人たちが重ねた時間が結果へつながった。楽天の名は、物を買うサービスの名前であるだけでなく、勝って喜び、負けて悔しがるチームの名にもなっていた。[50]
喜びの後の謝罪会見
日本一を記念した楽天市場のセールでは、星野仙一監督の背番号にちなむ77%引きを目玉にした。だが、元の値段を不当に高くし、大幅に安いように見せる問題が発覚した。11月11日、三木谷は会見で謝罪した。優勝の喜びを買い物へつなぐ企画が、信用を傷つける側へ変わった。[51]
翌2014年4月の調査では、社員18人が28店舗へ不当な二重価格表示を提案していたと会社が公表した。組織的な指示を示す事実は確認できなかった、というのが調査の結論だった。一方で、店を支援する楽天の担当者が関与していた事実も残った。[52]
楽天は処分と再発防止策を示し、過去の掲載価格を蓄積して元値を判定する仕組みや、メーカー希望小売価格の根拠を示す方法を導入した。小さな店へネットで売る方法を教えてきた会社は、その売り方が客を誤認させないかも確かめなければならなくなった。[52]
17父に間に合わなかった研究を続ける
日本一の6日後
2013年11月9日、父の良一が83歳で亡くなった。イーグルスが日本一になってから6日後だった。三木谷は治療法を探していたが、父を救うには間に合わなかった。[53][48]
研究への支援は、父を失った後も続いた。後の楽天メディカルが開発を進め、2020年にはアキャルックスと、組み合わせて使うBioBladeレーザー装置が日本で製造販売承認を得た。承認された対象は、手術で取り除けない局所進行または局所再発の頭頸部がんだった。[54]
自分の父に必要だった治療を探すところから、別の患者へ届ける仕事へ。会社やチームを大きくする投資とは違う、個人の喪失に根を持つ支援が残った。父と対話する時間は終わったが、その病気をきっかけに始めた研究開発には、引き続き関わった。[54][47]
18自分のモールの外へ投資する
毎日開くアプリを買う
2014年、楽天はViberを9億ドル(約1418億円)で買収すると発表した。メッセージや音声通話で人がつながるアプリだった。買い物をする日だけでなく、日常の会話の中で開くサービスをグループへ迎えた。[55]
同年10月にはアメリカのEbatesを取得した。発表時の10億ドル(約1576億円)から調整された最終対価は9億8100万ドル(約1546億円)。Ebatesを経由して他社のネットショップで買うと、利用者へキャッシュバックがある。楽天のモールへ店を集めるだけでなく、外の店で起こる買い物の動きにも入った。[56]
日本の楽天市場を、そのまま国ごとに作るだけではなかった。異なる形で人が集まっているサービスを迎え、そこから次の事業を作ろうとした。[55][56]
今度は人を乗せるサービスへ出資する
2015年3月、三木谷が次に選んだのは、配車サービスLyftだった。アメリカの街で、自分の車を持つ運転者と乗りたい客をアプリで結ぶ。楽天は5億3000万ドル(約835億円)の資金調達のうち3億ドル(約472億円)を引き受け、増資後の持分は11.9%になった。楽天市場の店主と客を結ぶ仕組みから、今度は車と人が集まる場所へ資金を送った。[57]
三木谷自身も取締役へ就いた。商品を取り寄せる、旅先の宿を取る、誰かへ連絡する、車を呼ぶ。別々に見えた買収や出資の中で、楽天は日常の用事が起きる場所を増やしていく。Lyftの場合、その運営を日本で楽天の名前に置き換えるのではなく、現地の創業者の会社へ株主として加わった。[57][58]
ただ、参加した時と同じ距離では関わり続けなかった。後の2020年8月、コロナ禍で先行きが不透明になる中、三木谷は楽天グループの経営に専念するとして取締役を退任した。この変更に伴い、楽天は保有株の会計処理も変え、約250億円の投資損失を計上する予定だと発表した。別の会社の成長へ賭けた出資は、経営者としてどこへ時間を使うか、その会社の価値を帳簿へどう映すかという判断にも戻ってきた。[58]
増やした国からも引き返す
しかし2016年、ヨーロッパのEC事業を再編した。イギリスとスペインのマーケットプレイスや拠点を閉じ、オーストリアもドイツ側へ集約する計画を発表した。現地の従業員との話し合いを進め、店や客が取引を終えられるようにする。買収や進出の発表の後に、働く人と店が残る。閉じる時には、その相手へも対応する仕事があった。[59]
当時はフランスとドイツへ投資を集中し、電子書籍や通信アプリ、動画などは続ける方針だった。海外という大きなくくりで一斉にやめるのではなく、残す事業を選び直した。[59]
19サッカー選手が開いた商談の扉
ピケがつないだ食事会
海外で楽天を知ってもらうため、三木谷は商品や会社だけでなく、世界が見るユニフォームにも金を使った。その入口を作ったのは、FC Barcelonaの選手ジェラール・ピケだった。三木谷と知り合うきっかけには、楽天傘下の動画配信会社Wuakiの経営者がいた。スペイン北東部の港湾都市バルセロナに本拠を置くクラブを愛する、その人物を通じ、経営者と選手のつながりができた。[60]
2015年、クラブのアメリカ遠征中、サンフランシスコの三木谷の家でピケが食事会を取り持った。クラブ会長ジョゼップ・マリア・バルトメウは、後にこの会食からスポンサー交渉が始まったと明かしている。海外で買った動画の会社から選手へ、選手からクラブ経営陣へ。会社同士をつなぐ前に、知り合った人が次の相手を連れてきた。[60]
2016年11月に発表された契約は4シーズン。基本額だけで年5500万ユーロ(約96億円)、リーグ優勝なら150万ユーロ(約2億円)、Champions League優勝なら500万ユーロ(約8億円)が加わる条件だった。楽天の文字が、世界のサッカーファンが見る選手の胸へ入る。日本の通販を使わない人にも、試合のたびに会社名が届くための支払いだった。[60][61]
翌2017年7月、契約が始まった。買収で海外の客や技術を迎えるだけでなく、海外で誰もが見るクラブの隣へ自分たちの名前を置く。三木谷のスポーツとの関わりは、国内の球団や故郷のクラブを所有する範囲から、世界向けの看板を持つ仕事へも広がっていた。[61]
20神戸へ世界の名選手を迎える
イニエスタが来た
2018年5月、ヴィッセル神戸はアンドレス・イニエスタの加入を発表した。スペイン代表でワールドカップを制し、FC Barcelonaの中盤を支えた選手だ。三木谷は会見で、チームの戦力だけでなく、日本やアジアのサッカーへ与える影響を語った。[62]

写真:内閣官房内閣広報室/出典/CC BY 4.0。表示サイズ調整・圧縮。肖像は表示枠で切り抜き。
自分の故郷のクラブへ、世界で知られる選手が来る。それでも、その年のリーグ戦は10位だった。加入のニュースで世界から目を向けられても、順位表は書き換わらなかった。[63]
初めてJ1を制したのは2023年だった。優勝会見には三木谷だけでなく、吉田孝行監督や選手たちが並ぶ。人を集める入口には大きな資金を使えても、集まった人が試合で結果を出すまでは、そのチームが積み上げなければならなかった。[64]
21携帯電話の地面から作る
6000億円を見込んだ参入
2017年12月、楽天は自分たちの携帯電話ネットワークを持つ事業へ参入すると表明した。それまでの楽天モバイルは他社の回線を借りていた。今度は、自分たちで基地局を置き、ネットワークを動かす。ドコモ、KDDI、SoftBankへ並ぶ第4の携帯会社を目指した。[65]
計画では2019年からサービスを始め、1500万人の契約者を目指す。2025年までの資金調達残高は最大6000億円を見込んだ。これは参入時の計画上の数字だ。それでも、旅の窓口やTBSへの投資より、さらに大きな資金が必要になる仕事だった。[65]
通販やカード、旅行で楽天を使う人へ、毎日持ち歩く回線も届ける。経済圏の中に、使う日を選ばないサービスを置ける。一方、申し込みが少ない月も、全国の設備を動かす費用はかかる。三木谷は、買収して客や技術を迎える方法から、自分たちで通信の土台を建てる事業へ進んだ。
専用機器をソフトウェアへ置き換える
新しい事業者として、設備の作り方も変えようとした。専用機器が担ってきた機能を、共通のコンピューター上のソフトウェアで動かす。仮想化と呼ばれる方法を通信網へ広く使い、設備とソフトを組み合わせやすくする構想だった。[66]
2019年2月、二子玉川周辺でViberの音声通話やビデオ通話などを使った実証実験に成功したと発表した。グループへ迎えたアプリが、今度は新しいネットワークを確かめる場にも使われた。[66]
ただ、実験で通話ができた後も、街で毎日使える回線を作る仕事が待つ。基地局を置ける場所を探し、機器を組み合わせ、弱い場所を埋める。買った客が使いたい時に、その場所へ電波を届ける必要があった。
225000人から始めた第4の会社
全国へ開く前の試験
2019年10月の出発は、限られた人が使う無料の試験サービスになった。目安は5000人。東京23区、名古屋市、大阪市に住む人を対象にし、誰もが申し込める本格的な商用サービスは先へ送った。自社回線の届かない所などはKDDIの回線で補った。[67]
楽天を知っている人はすでに多い。それでも、使える地域や機種が限られれば、乗り換える人は慎重になる。店を13軒集めた頃には、まず売り場へ人を呼ぶ必要があった。携帯では、人を呼ぶ前から広い範囲の設備を作り、呼んだ後も品質を保つ仕事が必要になった。[67]
300万人に1年無料
2020年3月、楽天は4月8日からの本格サービスを発表した。月額2980円、当時の税別価格だった。先着300万人は1年間無料にする。自社回線の地域ではデータを使い放題にし、専用アプリを使う国内通話にも無料の仕組みを用意した。[68]

写真:IXTA9839/出典/CC BY-SA 4.0。表示サイズ調整・圧縮。肖像は表示枠で切り抜き。
ただし発表時点では、KDDIの回線を使う地域のデータ容量に上限があった。自社エリアと、その外で同じように使えるわけではない。無料という大きな入口を作りながら、回線の範囲と使い勝手も広げていかなければならなかった。[68]
利用料を取らない1年の間も、基地局の建設や運営には支払いがある。まず使ってもらうために下げた料金の分を、会社が先に負担した。回線を知ってもらうための安さが、そのまま会社の資金を試す条件にもなった。
23送料無料を誰が引き受けるか
3980円で変わる店の利益
2020年、楽天市場でも、客を集める施策が店との対立を生んだ。同じ店で1回の注文が原則税込3980円以上なら、送料を別途請求しない共通ルールだ。客には支払う額がわかりやすい。だが、店にとって運送料は消えない。安い品を少量送る店や、重い商品を扱う店では、利益の残り方が変わる。[69]
公正取引委員会は一律導入の一時停止を求め、裁判所へ緊急停止命令を申し立てた。楽天が店舗ごとの適用除外を認めたことで、申立ては取り下げられた。だが、その後も、参加しないと不利になると店が受け取れる説明などが問題になった。[69]
楽天は、参加するか自由に決められ、不利益を与えないようにする対応を示した。公取委は改善措置が疑いを解消すると認め、実施を確認したうえで審査を終える方針を公表した。客を呼ぶための仕組みは、その客へ商品を送る店の仕事と費用に直結する。創業時に頼んで出店してもらった店との関係が、巨大になった後も施策の成否を左右した。[69]
24使わない月も0円で残せる
契約を増やすもう1つの入口
2021年、楽天モバイルは使ったデータ量で料金が変わるプランを発表した。1回線目なら月1GB以下は0円。ほとんど使わない月には、お金を払わず契約を残せる。無料期間が終わったら解約するのでなく、とりあえず持っておける回線になった。[70]
楽天は、その客が買い物やカードも使うことを期待できる。だがグループへ別の効果があっても、モバイルの設備費や回線費はかかる。2021年、モバイルセグメントの損失は4212億円になった。電波の範囲を広げる投資が、収入より先へ出ていた。[71]
契約が増えるたびに将来の収入へ近づく一方、今支払う金額も大きい。続けるには、グループの他の事業が稼いだ金に加え、外から資金を迎える必要があった。
日本郵政が1500億円を出す
2021年3月、楽天は日本郵政やWalmart、Tencent系の企業などを引受先とする増資を発表した。日本郵政の出資は1500億円規模。全国へ物を運ぶ仕組みと、ネットの商売を持つ会社が、資本でも組むことになった。[72]
日本郵政の増田寛也社長には、8%ほどの株へ1500億円を投じる意味を問う質問が向けられた。郵政側は、物流に加え、金融やDXの協業、リスクとリターンを踏まえた投資だと説明した。楽天が次の設備を整える資金には、外の会社の株主からも見られる重さが加わった。[73]
25日本で作った通信網を海外へ売る
ドイツにも第4の会社を作る
2021年8月、楽天はドイツの通信事業者1&1と組むと発表した。相手も、自前のネットワークを整えて第4の携帯会社になろうとしていた。楽天が日本で選んだ、ソフトウェアを中心に通信網を動かす方法を、今度は他社のネットワークへ提供する。基地局の電波を自分たちの客に売るだけでなく、基地局を動かす仕組みそのものを商品にする構想だった。[74]
無線装置、通信の中心部分、クラウド、運用をつなぐ。日本でいくつもの会社の機器を組み合わせてきた経験を、別の国でも使える形へまとめる。Rakuten Symphonyが担うのは、その全体をつなぎ合わせる仕事だった。楽天の巨額投資は国内の料金収入だけでなく、海外へ技術を売る事業として回収する道も探し始めた。[74][75]
2023年12月、1&1はこのネットワークでスマートフォン向けサービスを始めた。まだ自社の電波が届かない場所は他社網で補う。日本と同じく、自前の設備が広がる間も客が移動できるようにしなければならない。楽天はドイツの利用者へ直接請求する携帯会社にはならず、その後ろでネットワークを動かす側へ回った。大きな赤字を伴う国内参入の先に、別の売り先ができた。[75]
26自分で作った0円をやめる
困るという一言
2022年5月、楽天モバイルは0円の区分を廃止するプランを発表した。月3GB以下でも税込1078円が下限になる。移行中の負担を抑える措置はあったが、ほとんど使わず0円で残せる契約は終わることになった。[76]
会見で三木谷は「お金を0円でずっと使われても困っちゃう」と口にした。無料という条件を出したのは楽天だった。利用者は、その条件に従って使っていた。事業の収入を増やしたい経営者の言葉が、条件の変更を告げられた客へ、そのまま届いた。[77]
始める時には、無料で呼ぶ大胆さがあった。続けるには、無料のまま残る人にも線を引かなければならない。外から携帯市場を変えようとした会社が、今度は自分の客に支払いを求める側へ回った。
減る契約と増える料金収入
同年の決算では、契約数が減る一方、有料化で料金収入が増える変化が示された。無料の利用者を含めて数を積む段階から、お金を払って使い続ける人を増やす段階へ移る。前の計画で集めた数字を小さくしてでも、収入を得る必要があった。[78]
価格だけで選ばれた回線を、毎月払ってもよい回線へ変える。つながる範囲と品質を上げるため、まだ設備にもお金を使う。無料をやめた日が、重い投資の終わりではなかった。
27建設費の請求書から不正が見つかる
金を集める隣で流出も止める
設備へ金を投じる間に、その支払いをめぐる不正も発覚した。2022年9月、楽天モバイルは元従業員と取引先による不正請求の疑いを公表した。内部で判明し、警察へ相談して告訴状を出したという。元従業員は8月に懲戒解雇されていた。値下げや無料期間のように、経営者が公に決めた支出ではない。会社が気づかない形で余分な金が流れていた。[79]
翌2023年3月、元従業員らが詐欺の容疑で逮捕された。会社の説明では、基地局関連資材の保管や運送にかかる費用を水増しし、虚偽の報告も使って、取引先へ払われた金の一部を還流させていた。社内調査が示した期間は2019年7月頃から2022年7月頃。本格開業へ向けて設備を増やしていた時期と重なる。[80]
楽天は、購買担当者がどこまで決められるかを見直し、承認までの流れと監視を強めるとした。資金を調達しても、予定した設備へ正しく使われなければ、通信網はその分だけ強くならない。三木谷が全国へ基地局を急いだ事業には、客を増やすこと、回線を改善することに加え、社内の請求と取引先を見抜く課題も突きつけられた。[80]
28育てた銀行の株を売る
今使う資金へ変える
2023年4月、楽天銀行が東証プライム市場へ上場した。楽天グループは保有株の一部を売り出した。育ててきた金融事業を外の投資家にも評価してもらい、資金を得る。持ち続ければ受け取れる将来の利益の一部を、今使えるお金へ変えた。[25]
5月には楽天グループ自身も、公募と第3者割当による増資へ動いた。使い道は楽天モバイルへの投融資、社債やコマーシャル・ペーパーの返済。新しい株を発行すると会社へ資金が入る一方、以前から株を持つ人の割合は薄まる。三木谷が挑戦を続けるために、既存の株主にも負担を引き受けてもらう方法だった。[81]
2023年の事業報告には、銀行株の売却、新株の発行、社債の発行が並んだ。公募などに伴う資本金と資本剰余金の増加合計は2947億8500万円。通信の設備へ投じるだけでなく、前の資金調達で約束した返済も続く。次の支払いまでに、別の資金を用意する。三木谷の仕事は、顧客へ新しい使い方を示す会見と、資金が入る日をつなぐ経営の両方になっていた。[82]
29競争相手の回線で弱点を埋める
KDDIともう1度組む
2023年5月、KDDIと新たなローミング契約を発表した。楽天の客がKDDIの回線を使える範囲を、東京23区、大阪、名古屋などでも広げる。自社の基地局を急いで建てるだけでなく、他社の設備で使い勝手を改善する。料金では競いながら、届きにくい場所を埋めるためには相手の力も借りた。[83]
2024年6月、700MHz帯のプラチナバンドによる商用サービスを始めた。建物の中などへ届きやすい性質を持つ周波数だ。電波が届きにくい所を優先し、順に整備する。新しい帯域を使えるようになっても、全国の客が一斉に改善を感じるわけではない。使う基地局を1つずつ整える必要があった。[84]
次に持ち込んだのはAI
同じ2024年、三木谷はHarvardで、英語化に続く全社的な取り組みとしてAIの活用を語った。売買、金融、旅行などにあるデータを使い、仕事と顧客体験を変える構想だった。朝会でもAIを大きく扱う。[85]

写真:掬茶/出典/CC BY-SA 4.0。表示サイズ調整・圧縮。肖像は表示枠で切り抜き。
社員の仕事、マーケティング、出店者の支援をそれぞれ20%改善するTriple20も掲げた。実績として得た数字ではなく、これから会社を動かす目標だった。店主が自分でページを直す仕組みから始めた会社で、今度は店主と社員の仕事をAIで変えようとした。[85]
30黒字と赤字が同じ決算に並ぶ
129億円の黒字の下に残る設備
2025年、楽天モバイルは携帯キャリア事業へ参入して初めて、通期のEBITDAを黒字にした。129億円。会社が重視する、減価償却費などを差し引く前の利益の指標だった。一方、同じ年のNon-GAAP営業損失は1660億円。客から入る収入で運営を支える段階へ近づいても、投じた設備などの費用がまだ重く残っていた。[86]
グループ全体の2025年売上収益は2兆4965億7500万円。営業利益は143億8200万円だった。しかし親会社の所有者に帰属する最終損益は1778億8600万円の赤字となった。事業が売上を伸ばす隣で、最終的な利益を残す仕事は続いていた。[87]
1075万回線へ進んだ後
2026年6月末、楽天モバイルの全契約回線数は1075万になった。個人向けだけでなく、法人や事業継続の備えに使う回線なども含む、会社定義の合計だ。第2四半期の売上収益は1013億円、EBITDAは59億円の黒字、Non-GAAP営業損失は323億円だった。[88]
同じ2026年第2四半期、グループ全体では、親会社の所有者に帰属する四半期利益が77億円の黒字へ転じた。2020年以来、6年ぶりだった。5月には保有有価証券の一部を売って約2000億円を調達し、会社は2026年の社債償還に必要な資金を全額手当て済みと説明した。収益の改善と、支払うための資金づくりが並行して進んでいた。[88]
最初の市場では、社長が20万円分を買っても取扱高は32万円だった。そこから旅行、金融、球団、海外の会社を迎え、通信の設備を建てるところまで来た。相手へ頼みに行く仕事に、相手の条件を決める仕事が加わり、自分で育てた株を売って次を支える立場にもなった。
銀行を辞める時、楽天市場はまだなかった。やる事業を選び、必要な人を集め、動かなければやり直してきた。今は、その選択が社員や店、利用者、外の株主にも届く規模になっている。三木谷は、既に作った大きな会社の中で、次の客を迎える仕事と、次の支払いを終える仕事を続けている。
参考文献・出典 88件
本文の番号に対応する資料です。本人・関係者のインタビュー、当時の取材、企業の発表を参照しています。
- 青山学院大学寄付講座・三木谷浩史登壇記録(2011) ↩ 本文
- 賢者の選択・三木谷浩史インタビュー(2004、全7頁同一番組) ↩ 本文
- 楽天役員紹介・三木谷浩史略歴 ↩ 本文
- HBS Entrepreneurship: Hiroshi Mikitani, MBA 1993 ↩ 本文
- ベンチャー通信・三木谷浩史インタビュー(2013) ↩ 本文
- 一橋大学入学式・三木谷浩史祝辞(2021) ↩ 本文
- 楽天採用・三木谷浩史メッセージ ↩ 本文
- Harvard Business School 2012 Alumni Achievement Awards booklet・三木谷掲載部分 ↩ 本文
- 本城慎之介「0.9と1.1」企業家研究6号(2008年大会報告、2009刊) ↩ 本文
- 楽天25周年・本城慎之介さんの楽天履歴 ↩ 本文
- 三木谷浩史「楽天は『おもてなし』をeコマースで実現する」 ↩ 本文
- 月刊ネット販売・創業メンバー小林正忠インタビュー ↩ 本文
- 楽天グループ・楽天の歴史 ↩ 本文
- 楽天・ミッキーが挑む「ミッション・インポッシブル」(米Forbes2012取材の2014抄訳) ↩ 本文
- 楽天市場の日商が50億円突破・創業時ページの小林正忠説明 ↩ 本文
- ナイス新春経済講演会・三木谷浩史講演(2026年1月21日) ↩ 本文
- Rakuten Optimism会見・初月32万円と本人購入20万円の登壇記録 ↩ 本文
- NUTS店主インタビュー「誰もがネット初心者だった1998年」 ↩ 本文
- 楽天2004年アニュアルレポート ↩ 本文
- Internet Magazine2002年5月号・出店料変更で出店者が猛反発 ↩ 本文
- 楽天市場出店数1万店突破(2004年11月9日) ↩ 本文
- マイトリップ・ネットを323億円で完全子会社化(2003年9月4日) ↩ 本文
- 楽天旅の窓口買収・三木谷緊急記者会見 ↩ 本文
- 国内信販発行による楽天カード誕生(2005年6月20日) ↩ 本文
- 楽天銀行・東証プライム上場(2023年4月21日) ↩ 本文
- 日本プロフェッショナル野球組織への加盟(2004年11月2日) ↩ 本文
- 日本野球機構・2005年度公式戦勝敗表 ↩ 本文
- TBSがっちりマンデー・三木谷浩史の一日密着(2004年5月30日) ↩ 本文
- 渡辺泰宏「組織文化の構造化に関する考察―新卒社員の組織エスノグラフィー」 ↩ 本文
- 楽天TBS株15.46%取得・統合提案の記者会見(2005年10月13日) ↩ 本文
- TBS井上社長・事前連絡のない大量取得への会見(2005年10月14日) ↩ 本文
- 楽天TBS株19.09%へ・三木谷会見(2005年10月26日) ↩ 本文
- 楽天がTBS株買い取り請求(2009年4月1日) ↩ 本文
- TBS株買い取り価格確定、一株1294円・488億円受領済み ↩ 本文
- 三木谷・外国特派員協会講演「楽天が7月から英語公用語化」 ↩ 本文
- HBS Cases: Overcoming the Stress of Englishnization(ニーリー研究) ↩ 本文
- 三木谷会見・英語公用語化本格開始、TOEIC526→694 ↩ 本文
- PriceMinister買収契約・2億ユーロ予定対価 ↩ 本文
- 楽天と百度の楽酷天サービス開始(2010年10月19日) ↩ 本文
- 中国合弁モール終了・累積投資8.6億円(2012年4月20日) ↩ 本文
- 楽天が経団連を退会・本人の公開発言(2011年6月24日) ↩ 本文
- 新経済連盟10周年・団体の成立と政策提言 ↩ 本文
- Kobo担当本間執行役員・初期設定不具合の説明(全3頁同一記事) ↩ 本文
- Kobo買収完了・315百万米ドル(2012年1月11日) ↩ 本文
- Kobo日本サービス開始・端末7980円(2012年7月2日) ↩ 本文
- 楽天が消費者庁の日本語コンテンツ数に関する指導を公表 ↩ 本文
- 三木谷本人「My economist father turned me into an entrepreneur」(2016) ↩ 本文
- 神戸新聞・三木谷本人の父のがんと研究支援のインタビュー(2021) ↩ 本文
- 日本野球機構・日本シリーズ2013試合記録 ↩ 本文
- イーグルス初の日本一(2013年11月3日) ↩ 本文
- 三木谷が不当な二重価格表示問題を説明・謝罪(2013年11月11日会見) ↩ 本文
- 不当な二重価格表示への楽天従業員関与・調査報告(2014年4月25日) ↩ 本文
- ヴィッセル神戸・三木谷良一の訃報(2013年11月9日) ↩ 本文
- アキャルックスとBioBlade・対象限定の国内製造販売承認(2020年9月25日) ↩ 本文
- Viber全株取得決議・9億ドル(2014年2月14日) ↩ 本文
- Ebates買収完了・981百万ドルへ調整(2014年10月10日) ↩ 本文
- 楽天 Lyftへ3億USD出資 ↩ 本文
- Lyft株式会計と三木谷退任 ↩ 本文
- 欧州EC再編・英国、スペイン、オーストリア閉鎖計画(2016年6月8日) ↩ 本文
- Barça sponsor agreement origins and terms ↩ 本文
- Rakuten sponsorship starts July2017 ↩ 本文
- イニエスタ加入記者会見・三木谷と本人登壇(2018年5月24日) ↩ 本文
- ヴィッセル神戸・2018シーズン公式記録 ↩ 本文
- ヴィッセル神戸初J1優勝会見・三木谷と監督選手(2023年11月25日) ↩ 本文
- 携帯キャリア事業参入計画・調達残高想定最大6000億円 ↩ 本文
- 仮想化ネットワーク通信実証実験成功(2019年2月12日) ↩ 本文
- 楽天モバイル5000人無料試験・2019年9月6日会見 ↩ 本文
- 2020年3月発表の商用開始計画・2980円、300万人一年無料 ↩ 本文
- 公正取引委員会・楽天送料込みライン被疑事件の処理(2021年12月6日) ↩ 本文
- UN-LIMIT VI・1GB以下一回線目0円、2021年4月開始 ↩ 本文
- 2021年度決算ハイライト・モバイルセグメント損失4212億円 ↩ 本文
- 日本郵政・テンセント系・ウォルマート等への第三者割当(2021年3月12日) ↩ 本文
- 日本郵政社長会見・1500億円出資の目的(2021年3月30日) ↩ 本文
- 楽天 ドイツ1&1ネットワーク構築 ↩ 本文
- ドイツ1&1携帯サービス開始 ↩ 本文
- UN-LIMIT VII・月0円区分廃止(2022年5月13日) ↩ 本文
- 三木谷・新料金プラン質疑応答全文「0円でずっと使われても困る」 ↩ 本文
- 2022年第2四半期決算会見・0円廃止と解約、ARPUの変化 ↩ 本文
- 楽天モバイル 不正請求の公表 ↩ 本文
- 元従業員の逮捕と購買見直し ↩ 本文
- 公募増資等の価格決定と資金使途(2023年5月24日) ↩ 本文
- 楽天第27回定時株主総会招集通知・2023年の資金調達実績 ↩ 本文
- KDDIと楽天モバイルの新ローミング契約(2023年5月11日) ↩ 本文
- 700MHzプラチナバンド商用サービス開始(2024年6月27日) ↩ 本文
- HBS・三木谷とニーリー対談、AI活用とTriple20目標(2024年5月7日) ↩ 本文
- 2025年度決算ハイライト・楽天モバイルEBITDA129億円、Non-GAAP営業損失1660億円 ↩ 本文
- 2025年12月期業績差異・連結売上収益と営業・最終損益 ↩ 本文
- 2026年第2四半期決算・回線1075万、楽天モバイル営業損失323億円 ↩ 本文
写真の作者・利用条件・撮影年は各画像の下に記載。取材資料と写真の出典は別々に確認できます。
※ 円換算は2026年11月2日確認のWise表示値(1米ドル=157.6円、1ユーロ=175.9円)を使用。取引当時の為替や物価・購買力を再現するものではありません。 為替出典:USD / EUR
本文更新:2026-11-02



