NOBRILO起業家たちの原点と、その物語。

ハワード・シュルツ

Howard Schultz

公共住宅で育ち、給料のない起業を経て小さな豆屋を買収。スターバックスを年間売上379億1,060万ドル、四万店を超える企業へ育てた。急拡大で失った店の魅力を取り戻すため、三度にわたり経営の先頭へ戻る。

1953年生まれ / アメリカ出身 / コーヒー・飲食

物語を読む
ハワード・シュルツ(2019年1月30日)。
ハワード・シュルツ(2019年1月30日)。
写真の出典写真:Gage Skidmore/出典/CC BY-SA 2.0。表示用にサイズ調整・切り抜き。

成功は、分かち合うことで最良のものになる。

Success is best when it’s shared.

2017年清華大学講演で、医療保険・従業員持株制度と企業の責任を説明。 原文 · 日本語は編集部訳

資産と事業

WEALTH & BUSINESS

推定資産

36億ドル

約5,673億円

主な保有資産

  • Starbucks株

Starbucks

Il Giornale創業者・Starbucks元CEO

コーヒーやフラペチーノ、軽食を販売する店舗と、家庭向けの商品を世界で展開する。

年間売上

379億ドル

約5兆9,747億円

Maveron

共同創業者

1998年にDan Levitanと設立。消費者向けの商品・サービスをつくる企業へ投資するベンチャーキャピタル。

第8号ファンド規模

2億ドル

約354億円

出典・詳しい補足

個人資産と会社売上は別の指標。現在の事業規模には、創業後の経営陣や社員による成長を含む。

シュルツは元のStarbucksの創業者ではなく、1987年に同事業を買収して世界展開した。2023年に経営と取締役を離れ、2026年度の数字は後継経営下のもの。

円換算は2026年11月2日確認のWise表示値(1米ドル=157.6円)を使用。取引当時の為替や物価・購買力を再現するものではありません。 元通貨の端数処理前の値から計算し、1億円未満を切り捨て。

金額の対象時点・集計範囲

  • Starbucks — 年間売上 / 2026年9月期・通期売上高 / 会社公表(決算表)
  • Maveron — 第8号ファンド規模 / 2022年公表・Fund VIII / 会社公式サイト・同時代報道。単一ファンドの規模。会社売上や運用資産総額ではない。

主な保有資産・持分の出典

  • Starbucks株:Forbes — Howard Schultz ↗ — 2026年10月31日 確認 / 2026-10-31 / プロフィールのStarbucksに対するHolds stake in Starbucksを確認。過去のCEOという経歴だけから推定していない。as_ofは保有記述の閲覧確認日で、株主名簿の基準日ではない。

掲載する割合は、会社の株式に対する各開示基準での保有比率です。本人の資産全体に占める割合ではなく、議決権比率とも異なります。家族・信託・報酬株・オプションなどの算入範囲は各出典に記載しています。生前の持分は当時の時点を示し、現在の遺族・財団の財産とは区別します。

関連事業の確認日:2026-10-31。財務数値の確認日:2026-10-31。金額表示は1億通貨単位未満を切り捨てています。円換算には切り捨て前の元数値を使います。個人資産は保有株式などを含む推計値です。会社の売上は本人の収入や現金残高ではありません。円換算は金額感をつかむための参考で、取引当時の為替や物価を再現したものではありません。投資先・親子会社の売上を合算せず、売却済みの企業は現在の本人保有とは区別します。

THE STARTING CONDITIONS

2つのガチャから見る出発点

高いほど、選べる道や支えが多い。人生の価値ではなく、環境の有利さを表す編集評価です。

時代・場所ガチャなぜこの点数? +81 / 100

1953年のニューヨークには、学校、病院、公共住宅、企業で働く機会があった。世界で安全な住まいや通学、都市の仕事が得にくい境遇と比べ、社会の基盤は厚かった。一方、1950〜70年代の医療・都市の安全や権利は、現在の最も整った環境と同じには置かない。

成人後は大きな消費市場、株式市場、全国への流通を利用できる米国で事業を展開した。父の負傷で家計が崩れた個別事情は親・環境側で扱い、都市の平均的な基盤と混同して二重に差し引かない。

詳しい評価方法はこちら →
親・環境ガチャなぜこの点数? +61 / 100

父は低賃金の仕事を転々とし、負傷して働けなくなると家計を支える余裕が乏しかった。富裕な専門職家庭や、家の資金で失敗を何度も試せる境遇より、経済的な安全網は弱い。母から将来を肯定する支えを受け、学びと進学の道を得た点は、支援が何もなかった扱いにしない。

成人後は妻シェリと移住や無給の創業期を共にした。事業の成功で得た本人の資産を、親から得た豊かさへ逆算しない。買収で助けた弁護士や雇用した幹部の仕事も、すべてを家族由来の人脈として足していない。同時代の世界80%と共通尺度20%で、幼少期の制約と後の身近な支えを分けて評価した。

詳しい評価方法はこちら →

THE STORY

ハワード・シュルツの物語

選んだ道。その先で、起きたこと。

01父が働けなくなった日

会社というものの最初の記憶

ニューヨークで育ち、シアトルで働く。全体図と、海・湖・主な河川・市街地を示す拡大図
ニューヨークで育ち、シアトルで働く。
地理データ:Natural Earth(パブリックドメイン)。 湖の補助データ:© OpenStreetMap contributors(ODbL)。使用データ。現代の行政区分と都市の代表位置を表示。編集部作図。

1953年、ハワード・シュルツはニューヨーク市のブルックリンに生まれた。育ったのは同地区東部、カナーシーの公共住宅だった。父フレッドは第2次世界大戦の退役軍人。戦争から戻っても家計を安定させる仕事には恵まれず、低賃金の仕事を渡り歩いて家族を養った。[1]

その父が、布おむつを交換して回る配達中に氷の上で滑り、股関節を折った。学校から帰った幼いハワードが見たのは、ソファに横たわる父だった。働けなくなり、仕事も失った。医療保険も十分な保障もなく、怪我の治療と、収入の途絶えた暮らしを同時に支えなければならなかった。[1]

後に何万人もの人を雇う立場になっても、シュルツはこの光景へ戻る。自分の父が働く機会を得なかったような会社を作りたかった、と語った。利益を出すことと、そこで働く人が生活を失わないこと。その両方を会社に求めた。2023年に上院へ提出する証言にも、彼は父の話を書き込むことになる。[1][2]

ブルックリンを出る

母は息子へ、今いる場所の外に出てほしいと望んだ。シュルツは、母に連れられてジョン・F・ケネディの選挙の集まりへ行った記憶を、後年の演説に残している。家計に余裕はなくても、将来への期待までない家庭ではなかった。目の前の支払いに追われる父と、息子の先を見ようとする母。その両方が家にいた。[3]

進学したのは、ニューヨークから遠いアメリカ中北部・ミシガン州のNorthern Michigan Universityだった。1975年に卒業し、複写機メーカーXeroxへ就職する。コーヒー豆の産地でも焙煎所でもなく、会社員として営業を始めた。相手の仕事場へ入り、話を聞いてもらい、まだ買うと決めていない商品に金を出してもらう。後に投資家を訪ね歩く男が、先に覚えたのは、その仕事だった。[4][5]

次に移ったのはスウェーデン系の家庭用品メーカーHammarplast。ここでコーヒー器具の注文を追ううちに、規模の割に多くの器具を買う客が目に留まった。アメリカ北西部・ワシントン州の港町シアトルにあるStarbucksである。大きな百貨店でも全国チェーンでもない、小さな豆屋だった。[5]

なぜ、そんなに売れるのか。シュルツは自分で見に行った。注文書の上で数が増える理由を、相手の店に入って確かめる。後に世界へ広げる商売との出会いは、器具を売る会社の営業活動の途中にあった。自分の店を開く場所を探して、西海岸へ来たわけではなかった。[5]

02カップで売らないStarbucks

創業者ではない男

Starbucksは1971年、ジェリー・ボールドウィン、ゼヴ・シーグル、ゴードン・バウカーが始めた会社だった。売っていたのは良質なコーヒー豆。客は豆と器具を買い、家へ帰って淹れる。今のように、出勤前の客がラテを受け取って出ていくチェーンではなかった。[6][5]

1977年頃のスターバックス店内。シアトル市公文書館の年代表示による。創業した1971年の最初の所在地とは特定しない。
1977年頃のスターバックス店内。シアトル市公文書館の年代表示による。創業した1971年の最初の所在地とは特定しない。
写真:Pike Place Market. See File talk:Pike Place Market - Starbucks circa 1977.jpg for further discussion./出典/CC BY 2.0。表示サイズ調整・圧縮。肖像は表示枠で切り抜き。

器具の注文が多い店には、豆を選ぶ客へ、その違いや淹れ方を伝える人たちがいた。シュルツは取引先として通ううちに、自分もこの会社で働きたくなった。大きな消費市場へ器具を納める側から、まだ数店しかない会社へ移る。1982年、小売運営とマーケティングの担当として加わった。[5][7]

創業者たちには、良いアラビカ種の豆を小売で届けるという中心の仕事があった。シュルツが加わったのも、その商売だった。彼が後に持ち込むカフェの構想は、最初からStarbucks全員が望んでいた将来ではない。会社へ入った男は、そこで働き始めてすぐ、その会社の進路を変えたくなる。[7]

ミラノのカウンターを渡ってきたもの

1983年、シュルツは見本市のため、イタリア北部の商業とデザインの中心地ミラノへ行った。会場へ向かう道に、次々とコーヒーバーが現れる。カウンターに客が立ち、エスプレッソを飲み、また街へ戻っていく。翌日も同じ店へ通うと、同じ顔ぶれがいる。毎日の短い立ち寄りが、その場所を人の集まる拠点にしていた。[2][7]

シアトルで売っている豆は、家へ持ち帰った後に飲む。その場で1杯を飲んでもらえば、店の人とやり取りする時間も一緒に届けられる。客が豆の種類を覚えて帰るだけの店から、仕事や家の間で立ち寄る場所へ。シュルツはアメリカへ戻り、その構想を創業者たちへ持ち込んだ。[5][7]

1984年には店内でエスプレッソを出す実験を行った。手応えはあったが、創業者たちは、豆を売る中心の事業から力を分散させようとはしなかった。飲み物を作る設備と人員を増やし、注文を受けてその場で渡す仕事へ変える必要がある。袋の豆に新商品を1つ足すのとは違う決断だった。[7]

シュルツには、入ったばかりの会社へ残る道があった。だがカフェを作るなら、その会社の外で自分が責任を負わなければならない。1985年にStarbucksを離れ、別の店を始める方へ進んだ。良い豆に惚れ込んで職を変えた男は、その豆を客へ渡す形を変えるため、もう1度職を変えた。[7]

03給料のない店主

オペラと椅子のない店

1985年に立ち上げた会社はIl Giornaleと名付けた。イタリアのコーヒーバーを持ち帰ろうとする店で、豆の仕入れと品質を担うデーブ・オルセンも加わった。構想を語り、資金を集めるシュルツの隣で、毎日カップへ入れるコーヒーを支える人がいた。[7]

初期の店には椅子を置かず、音楽はオペラだけだった。ミラノの店で見た形を強く残していたのである。だがアメリカの客は、経営者が旅先で好きになった景色を再現するために来るわけではない。シュルツは後に、自分を喜ばせるための商売ではなかったと振り返る。客の望む店と、自分が作りたい店を、日々の営業の中で合わせ直した。[6]

この新会社へ最初に出資したのは、カフェ展開に進まなかったStarbucksだった。豆も供給した。社内では同じ方針を採らなかった人々が、会社を出た男の挑戦は支えたのである。Il Giornaleの客が飲んだエスプレッソにも、以前の職場の豆が使われていた。新しい看板を掲げても、その関係は切れなかった。[7]

今日払える請求書を選ぶ

店を始めた頃、妻シェリは妊娠していた。シュルツに給料はない。取引先への支払いを全部同時に済ませられず、どこへ先に払い、どこへ事情を話して待ってもらうかを決めた。数年後の成長を語る言葉では、今日の仕入れ代は払えない。店を開け続けるための交渉が、家族の生活と重なっていた。[8]

資金を頼む相手にも、コーヒーを高く売る理由を説明しなければならなかった。シュルツは後に、イタリア語の発音しにくい名が付いた1杯に2〜3ドル(約315円〜472円)払う客がいるのか、と多くの個人や機関から疑問を向けられたと話す。さらに従業員へ保険と株式の権利を用意する構想も伝えた。まず投資家から金を集め、その金を働く人にも渡すという計画だった。[9]

投資家が買うのは、コーヒー豆だけではない。この小さな店を増やし、働く人へ費用を払いながら、利益も出せるという見込みだった。シュルツには、その実績をこれから作る必要があった。カウンターで1杯ずつ売る仕事の外で、会社の未来を何度も説明し直した。[10][7]

Il Giornaleが3店になった頃、事業の桁を変える話が来た。1987年3月、Starbucksの創業者たちが、名前、焙煎所、シアトルの6店舗を売る方針を示した。豆を仕入れている会社そのものを買える機会だった。必要な金は380万ドル(約5億円)。自分の店の支払う順番を考えていた男が、今度は会社を丸ごと買う金を集めることになった。[7]

04380万ドル(約5億円)の買い手になる

味方の出資者が競争相手へ変わる

買収の金を集めている間に、別の買い手が現れた。シュルツが後に明かした経緯では、Il Giornaleの出資者だった人物が、彼を外し、Starbucksへ現金で買う提案をした。自分が出資を募っている横で、すでに代金を用意できる人が、同じ会社を買おうとしていた。[6]

シュルツは、バスケットボール仲間の弁護士を頼った。そこから紹介されたのが、ビル・ゲイツ・シニア。Microsoft創業者の父にあたる、シアトルの法律と事業の世界で信用を持つ弁護士だった。彼が競合する出資者との交渉へ入り、資金集めも支えた。小さなカフェの店主にはなかった力が、交渉の席に加わった。[6]

相手が引いても、380万ドル(約5億円)の支払いは残る。シュルツと仲間は金をそろえ、1987年8月、Il GiornaleがStarbucksの資産を取得した。会社の名はIl GiornaleからStarbucksへ変わる。自分が考えたイタリア語の看板を残すより、創業者たちが積み上げてきた豆の品質と名前を受け継ぐ道を選んだ。[7]

彼が引き受けたのは6つの店だけでなく、その店で働いてきた人と、豆を買いに来ていた客との関係でもあった。[7]

052人のハワードとオリン

夢に追いつく仕事をする人

新しい場所へ出店するたび、豆を焼く量を増やし、材料を運び、働く人を採り、注文された飲み物を同じ品質で出せるようにしなければならない。シュルツが次の店を語る間に、その裏側を整える人も必要だった。[11]

1990年、オリン・スミスが財務と管理の責任者として加わった。大きな監査・経営支援会社や運輸会社、州政府で働いた経験を持つ人だった。最初は財務機能を作るために来たが、担当は焙煎、調達、物流、店舗建設、人事へ増えていく。株式公開の準備にも関わり、1994年に社長兼COO、2000年にはCEOとなった。[11]

シュルツが自分の描いた店を広げるには、初めて入る従業員が仕事を覚え、配送が途切れず、次の物件の工事が進む必要がある。スミスが担ったのは、その1つ1つを組織の仕事へ変える側だった。のちに彼が退任する2005年までに、会社は約1万店、33か国へ広がる。シュルツだけが走って届いた規模ではない。[11]

店舗と従業員へ力を注いだのが、もう1人のハワード、ハワード・ベハーだった。シュルツ、ベハー、オリン。社内では3人をH2Oと呼んだ。遠くの市場へ構想を広げる仕事も、店で働く人をまとめる仕事も、金と作業の流れを整える仕事もある。名前のよく知られた経営者の隣で、店が毎朝開く条件を別の人々が支えていた。[12][11]

父が持てなかった医療保険

1988年の終わりには、週20時間以上働くパートタイム従業員にも医療保険を広げた。人件費をできるだけ変動費にしたい飲食店にとって、働く時間の短い人へも継続して保障を用意するのは費用がかかる。シュルツはそこを削るより、同じ人が長く働ける条件を作ろうとした。[13][10]

客は社長に会うために店へ来るのではない。カウンターで注文を受け、コーヒーを作り、渡す人に接する。人が辞めるたびに仕事を教え直せば、店を増やす費用だけでなく、同じ店を保つ費用もかさむ。シュルツは1993年の取材で、働く人の質を持続的な競争力として説明した。福利厚生を払って利益を諦めるのではなく、それで店を強くできるという主張だった。[10]

当時の取材では、食品小売で人の入れ替わりが大きい中、Starbucksの離職率は50%未満と紹介された。会社は保険、研修、相談、商品割引、株式の権利をまとめ、採るだけでなく残ってもらう仕組みを作っていた。父が怪我で仕事を失った家の記憶は、本人の過去の話にとどまらず、費用を払って人を雇う方法へ入っていた。[10][1]

06コーヒーを注ぐ人へ株を渡す

700人へ渡ったBean Stock

1990年に会社が利益を出すと、シュルツは成功を従業員と分ける仕組みを進めた。翌1991年に始まったのがBean Stockだった。コーヒー豆のbeanと株式のstockを重ね、条件を満たす従業員へ株を買う権利を渡す。まだ非上場の会社で、約100店の700人が対象になった。[14]

将来会社の価値が上がれば、その成長から利益を得られる可能性がある。店長だけでなく、条件を満たしたパートタイムの人も対象にした。カップを毎日渡す側に、会社を持つ側の小さな持分も用意する。彼らをパートナーと呼ぶ言葉に、実際の制度を重ねた。[14]

1992年6月、Starbucksは株式を公開した。当時の店舗数は119だった。上場前から持つ権利が市場の株価とつながり、従業員にも会社の成長が見えるようになる。同時に、会社の外には、翌年もその翌年も店と利益が増えることを期待する株主が増えた。[15][14]

シュルツが会社へ組み込もうとしたのは、成長が終わった後の分配ではなかった。働く人へ渡しながら、さらに店を増やす。そのために集めた株主の金が、今度は成長を急がせる力にもなる。小さな会社で選んだ人の雇い方は、この後、規模が変わっても続けられるかを問われていく。[14][10]

07社長の理想より冷たい人気商品

南カリフォルニアから来た飲み物

1993年、米国西部・カリフォルニア州南部の店舗では、客が欲しがる飲み物をまだ出せずにいた。他の店で飲める、氷を使った冷たいブレンドだ。熱いコーヒーの品質を磨いても、暑い日に冷たい物を求めて出ていく客は戻せない。現場で、牛乳、氷、エスプレッソを使った試作が始まった。[16]

翌年、会社は米国東部・マサチューセッツ州ボストンのThe Coffee Connectionを買収する。そこで手に入れた名前がFrappuccinoだった。カリフォルニアで試した飲み物へ、別の店で育った名を組み合わせる。1995年、CoffeeとMochaの2種類で全米へ展開した。後の大ヒットは、社長がイタリアから持ち帰った1つの着想だけでできたわけではなかった。[16]

炭酸の失敗を瓶へ詰め直す

Pepsiと組み、店の外で売る飲料も試した。最初に出したMazagranは、軽い炭酸を含むコーヒー飲料。だが、1996年の年次報告書に載ったのは、全国展開をしないという方針だった。コーヒーの名が知られていても、新しい味が受け入れられるとは限らなかった。[17]

同じ年の5月、西海岸のスーパーなどへ瓶入りFrappuccinoが登場した。最初の炭酸飲料が広がらなくても、Pepsiと作った流通まで捨てる必要はない。店へ来て買う人だけでなく、買い物の途中で瓶を取る人にも届く商品へ変えた。[17]

冷たい飲み物を店で作る人、別の街で商品名を育てた店、瓶を全国へ運ぶ企業。シュルツの会社は、外から来る発想や仕組みを取り込みながら、最初のカフェの姿を変えていった。

08銀座の最初のラテ

アメリカの外に店を開く

1996年8月2日、東京の銀座松屋通りにStarbucksが開店した。北米以外で初めての店だ。最初の注文はダブルトールラテ。日本の街で、緑の看板へ客が入り始めた。[18]

日本には、すでに喫茶店の文化がある。会社が持ち込んだのは、エスプレッソを土台にした飲み物と、客への接し方だった。店頭では「いらっしゃいませ」だけでなく「こんにちは」と迎える。売る人と買う人のあいだに、短い会話を置こうとした。[18]

日本1号店の銀座松屋通り店(2022年12月撮影)。1996年の開店時とは異なる。
日本1号店の銀座松屋通り店(2022年12月撮影)。1996年の開店時とは異なる。
写真:江戸村のとくぞう/出典/CC BY-SA 4.0。表示サイズ調整・圧縮。肖像は表示枠で切り抜き。

シュルツは後の投資家向けの場で、進出を慎重に見る調査があったと振り返った。喫煙、外で飲む習慣、高い不動産費。味以外にも、店を続けにくくする条件が並んだ。それでも出店した日本の経験は、Starbucksが国際事業を広げる際の大きな足場になる。[19]

09中国で9年を待つ

赤字の店にも明日は来る

1999年1月、中国の首都北京にある商業拠点、中国国際貿易センターへ、中国大陸の1号店を出した。シュルツが2017年の対談で振り返った中国事業は、9年連続の赤字だった。[20][21]

茶を飲む暮らしへ、価格の高いコーヒーを持ち込む。客が来る習慣を作る間も、家賃と給料を払い、店を開け続ける必要がある。株主から撤退を求められても、彼は残る方を選んだ。すでにアメリカで受け入れられた店を持つ会社が、別の国では、長い赤字を引き受けていた。[21]

働く人に店を続けてもらうにも、給与だけでは届かないところがあった。大学を出た子が、なぜコーヒー店で働くのか。本人が仕事を選んでも、親が納得できなければ、家へ帰ってから別の圧力がかかる。シュルツは、中国での雇用を、働く人の家族まで含めて考えるようになる。[2]

10売ったチームが街を去る

2億ドル(約315億円)で手にした別の居場所

2001年、シュルツらの投資家グループは、NBAのSeattle SuperSonicsなどを2億ドル(約315億円)で買った。シアトルを代表するバスケットボールのチームだ。コーヒー店を地域の居場所として広げた男が、今度は、長く街の記憶を集めてきたチームを持った。[22]

だが、試合会場の改修や建て替えに、店を増やすときと同じやり方は使えなかった。地元政府へ支援を求めても、税金の使い道には市民の判断がある。合意が得られず、損失は続いた。2006年、グループはクレイ・ベネットらの買い手へ3億5000万ドル(約551億円)で売却する。[22]

その2年後、チームはオクラホマシティへ移り、Thunderとなった。ファンが見ていたのは、2億ドル(約315億円)で買ったものを3億5000万ドル(約551億円)で売った取引ではない。自分たちの街から、応援してきたチームがなくなることだった。怒りは新しい所有者だけでなく、売ったシュルツにも向かった。[22]

2019年、彼は謝罪する。地元の買い手を待って損失を引き受けるより、財務的に苦しい取引から抜けることを選んだ。職業人生で最も後悔する決断の1つだと認めた。誰かの居場所を作る仕事で成功した人が、別の居場所を失わせる判断をしていた。[22]

11豆の名前を誰が持つのか

エチオピアから返ってきた声

店が世界へ広がる一方、そのコーヒーを作る側からも、取引の条件を問われた。アフリカ東部のコーヒー原産地、エチオピアは、Sidamo、Harrar、Yirgacheffeなどの名を商標として守る取り組みを進めた。産地の名で高く売られるコーヒーの価値を、生産する国にも戻したいという狙いだった。[23]

Starbucksの袋やカップへ価値を作ってきた会社に対し、豆を育てる側も、自分たちの名前へ価値を付けようとしていた。国際支援団体Oxfamは、同社にエチオピアとライセンス契約を結ぶよう求め、2006年から運動を進めた。労働者や地域を大切にすると語る会社は、仕入れ先の名前と交渉力をどう扱うかも問われた。[24]

2007年6月20日、両者は流通、販売、ライセンスの契約を結んだ。Oxfamは、エチオピア側が自国のブランドを管理する権利を認める合意として歓迎した。Starbucksと生産国は、対立していた名称を一緒に広める枠組みへ移った。[24][23]

12帰った店にはクマがいた

消えた香りと大きな機械

2000年にCEOを離れた後も、シュルツは会長として会社に関わった。Starbucksは世界へ店を増やし、街を歩けば見つかる名前になっていく。その成功の中で、店は、彼が持ち帰りたかった場所から少しずつ離れていた。[25]

2007年2月の社内メモで、彼はその違和感を書いた。真空包装の豆は鮮度を守る一方、店へ漂っていた香りを減らした。効率のよい大きな機械は、カウンターの客からバリスタを見えにくくした。1つずつなら説明できる改善が、重なった先では、そこで過ごす楽しさを削っていた。[25][26]

シュルツ自身も、拡大を決めてきた側にいた。メモが外へ漏れると、成功企業が自分の店を信用できなくなっていることまで、外へ伝わった。[25]

売上だけを見れば成功だった

ある店へ入ると、コーヒーとは関係のないクマのぬいぐるみが並んでいた。責任者に理由を尋ねると、既存店の売上が伸びるからだという。シュルツが後に挙げたこの光景には、現場が何を褒められるようになっていたかが表れていた。コーヒーを飲みに来る店へ物を足し、売れれば数字は良くなる。[27]

既存店の売上を前年と比べる指標は、店が健全かを知る手掛かりになる。しかし、月ごとの数字へ会社全体が縛られると、次の月の売上を足すために、店の中身まで変わる。復帰後、シュルツは月次の既存店売上の公表をやめた。業績を隠したいのではないかと批判されたが、社内の判断を株価向けの短い周期から離そうとした。[27]

2008年1月、シュルツはCEOへ復帰した。上場時119店だった会社は、1万5000店を超え、43か国へ広がっていた。本人によれば、直属の幹部11人のうち、半年後には9人がいなくなった。良い人であっても、再建のために必要な取り組みへ向かえない人とは、仕事を続けなかった。人員と費用を変える前に、経営陣自体が大きく入れ替わった。[15][8]

その頃、閉めると決めた不振店には、開業から18か月もたっていない店があった。建物と設備へ金をかけ、新しい人を採り、仕事を教えたばかりの店を閉める。シュルツは、その投資に規律が足りなかったと認めた。戻ってきた彼が片づけるのは、遠い昔の失敗ではない。会社がつい最近まで成功と呼んでいた出店だった。[27]

13コーヒーを売るのをやめる夜

閉店してコーヒーを習う

2008年2月26日、アメリカの直営店が夕方から店を閉めた。エスプレッソを作る研修のためだった。毎日客へ渡すコーヒーを、客を入れずに学び直す。世界へコーヒーを広げた会社が、自分たちの基本が十分でなくなったことを、営業を止める形で示した。[28][29]

店を閉めれば、その時間の売上を失う。シュルツは後の対談で、この研修のための閉店に約1000万ドル(約15億円)を使ったと説明した。品質を大切にするという社内文書だけなら、通常の営業と同時に読める。だがこの日は、会社が売ることをやめ、その場で作り方を確かめる方へ時間を渡した。[8]

競争相手は動いていた。Dunkin’ Donutsは、その時間に99セント(約156円)のラテやカプチーノを売った。Starbucksのドアが閉じていても、客がコーヒーを飲むのをやめるわけではない。その客をよその店へ渡す危険も含めて、シュルツは閉める決断をした。[28]

一方、同月の社内文書では、組織変更により約600の職とポジションを減らす方針も示した。店の基本へ戻るという言葉の外で、働く場所を失う人も出る。人を大事にする会社を残すために、人員を減らす。彼の再建は、全員に同じ安心を配る仕事にはならなかった。[29]

サンドイッチの匂いをどうするか

朝食を売れば、コーヒーと一緒に買う客が増える。温めたサンドイッチは、その意味で魅力的な商品だった。ところが食品を温める匂いが、店のコーヒーの香りを消していた。シュルツは2008年1月末、取りやめる方向を社内へ示した。売れる物を足してきた店で、何を引くかを選び始めた。[30]

ただし、大量の注文を扱う1万店以上の会社を、1980年代の作業へそのまま戻すこともできない。新しく打ち出したエスプレッソマシンMastrenaは、機械の高さを抑え、客からバリスタが見えやすい形にした。品質をそろえる機械化は残しながら、客と働く人の間にできた壁を低くする。原点へ戻るために、新しい機械も使った。[31]

いつ来ても飲める味を作る

同じ年の4月、Pike Place Roastを発売した。来るたびに違う豆を選びたい客だけでなく、いつも飲める味を求める客も迎えるためのコーヒーだった。各地で試飲を行い、変えた味を実際に飲んでもらう。[32][33]

一方では、少量の豆を1杯ずつ抽出するCloverの開発会社も買った。いつもの味を幅広く届ける仕事と、豆ごとの違いを味わいたい客へ応える仕事を、同じ会社で進めた。[34]

コーヒー抽出機「クローバー」(2014年4月撮影)。2008年の導入発表当日の写真ではない。
コーヒー抽出機「クローバー」(2014年4月撮影)。2008年の導入発表当日の写真ではない。
写真:Aranami from Arvada, CO, US/出典/CC BY 2.0。表示サイズ調整・圧縮。肖像は表示枠で切り抜き。

Cloverは独立系の店にも注目されていた。Starbucksが開発元を手に入れれば、その技術を自社の店へ使える。懐かしい小さなカフェへ戻る話だけではない。独立した店が使っていた道具を買い、自分たちの競争力にする、大企業としての再建でもあった。[35]

14増やした店を閉めていく

600店の次に300店

金融危機が深まると、客は毎日買う1杯の値段を見直した。店の香りや接客を直しても、減った支出がすぐ元へ戻るわけではない。会社は2008年に600店規模の閉鎖を進め、2009年初めには、さらに300店を閉める方針を示した。増え続けた店を、今度は自分で減らしていった。[36]

閉店すれば家賃だけでなく、そこで働く人の仕事も消える。他の店へ移れるか、同じ時間だけ働けるか。会社全体が残っても、その1店で生活していた人にとっては別の結果になる。新しいコーヒーを出して客を喜ばせる再建の隣で、費用と人員を減らす再建が進んだ。[36][29]

医療保険を切るよう機関投資家から言われたこともあった。シュルツは断ったと話す。株主は保有株を減らすと告げ、その後実際に持分を減らしたという。金を出す人を失う危険と引き換えに、働く人へ約束してきた制度を残した。[9]

彼は閉店も人員削減も行った。それでも、削る費用と残す費用を同じ線で切らなかった。父の話を社員へ語りながら、その保障を取り上げれば、会社の約束を信じてもらえなくなる。保険は制度であるとともに、自分たちが何を残すために立て直しているのかを示す部分でもあった。[9][1]

豪州の61店を閉める

2008年7月、会社はオーストラリア84店舗のうち61店舗を閉めると発表した。影響する仕事は685人分。残すのは、同国東海岸の大都市シドニー、北東部のブリスベン、南東部のメルボルンにある23店だった。世界へ広がる企業が、ある国では店舗網の大半を引き上げる判断をした。[37]

会社は不振店を閉め、重点都市へ事業を絞った。日本で緑の看板を広げた企業が、別の国では、出店した街から引き揚げていく。[37]

危機の会社が1万人を呼ぶ

節約を進める最中、会社は店長ら約1万人を、アメリカ南部・ルイジアナ州のミシシッピ川沿いの港町ニューオーリンズへ集めた。ハリケーン・カトリーナの被害から復興する途中の街だった。2008年10月の会合にはU2のボノも現れ、アフリカのエイズ対策を支える取り組みを発表した。[38]

店長は、自分の店へ戻れば、研修と接客、品物と人員をその日ごとに動かす。シュルツが本社から客へコーヒーを渡すことはできない。1万人を集めたのは、再建の計画を聞かせるだけでなく、それを各店で実行する人たちへ、会社の進む方向を直接渡すためだった。閉店を進める会社が、残る店へ戻って働く人のために、大きな会合を開いた。[38][8]

会場の外では、労組側が労働条件などを訴える抗議をした。中で経営者の理念を聞く人々と、その理念へ異議を届けようとする人々。同じStarbucksの名前の下に、違う経験が並んでいた。後に広がる労使対立を、2020年代になって突然現れたものとして見ることはできなかった。[39]

2010年10月3日に終了した会計年度の純利益は、9億4560万ドル(約1490億円)になった。2008年の3億1550万ドル(約497億円)、2009年の3億9080万ドル(約615億円)から回復した。シュルツは2010年の取材で、約6億ドル(約945億円)の費用を減らしたと説明する。研修、新商品、閉店、人員と費用の削減。その複数の仕事が重なって、会社の決算は戻っていった。[40][41]

15小さな袋をスーパーへ運ぶ

2.95ドル(約464円)で別の飲み方を売る

2009年、StarbucksはVIAを発表した。お湯や水で作れる、個包装のインスタントコーヒーだ。3袋で2.95ドル(約464円)、12袋で9.95ドル(約1,568円)。店で1杯ずつ買うより安く、家や移動先でも飲める。[42]

店を閉めるほど苦しい時期に、突然できた商品ではなかった。開発者たちは以前から試作を続けていた。客がカフェへ来る回数を減らす中で、その仕事を表へ出す理由が強まった。毎朝自宅で淹れる人にも、旅先で飲む人にも、小さな袋なら届く。[43]

質のよい豆を売る店から、その場で淹れるカフェへ。そして今度は、客が自分で作るための商品を、再び店の外へ運ぶ。シュルツの会社は、ミラノで見た場面を守るためだけに、同じ商品を売り続けたわけではなかった。[42][17]

16コーヒーの成功で買えなかったもの

3000万ドル(約47億円)のジュース

2011年、StarbucksはEvolution Freshを3000万ドル(約47億円)の現金で買った。果物や野菜を使った高級ジュースの会社だ。瓶の商品を売るだけでなく、健康志向の飲み物と食品を提供する専門店も試した。コーヒーの次に、もう1つの日常の飲み物へ、高い値段を払ってもらう商売を作ろうとした。[44]

商品はStarbucksなどで販売されたが、独立した店舗の展開は後に終わった。既存の店に瓶を置くことと、その商品を求めて来る客で別の店を支えることは、同じ強さの商売にはならなかった。[45]

1億ドル(約157億円)のパン屋

2012年には、米国西部・カリフォルニア州の港町サンフランシスコを拠点にするLa Boulangeの事業を1億ドル(約157億円)で買う契約を結んだ。フランス出身のパン職人パスカル・リゴも加わる。コーヒーに添える食べ物の質を上げるため、評判の店の名前と、その味を作る人を取り込んだ。[46]

買収時の店舗は19店。そこで作ってきた物を、Starbucksの大きな売場へ届ける。その道は残ったが、La Boulangeの店を増やす計画は続かなかった。2015年、会社は23店舗などを閉めると発表する。買った看板は街から消え、食品は別の看板の下で売られることになった。[47]

6億2000万ドル(約977億円)の茶専門店

同じ2012年の末には、Teavanaを約6億2000万ドル(約977億円)の現金で買った。茶の専門店で、主な売場はショッピングモールだった。最初にStarbucksを買った380万ドル(約5億円)を、はるかに超える金額を、お茶へ投じた。[48]

しかし、商品の見せ方や店の設計を変えても、店舗の業績は改善しなかった。2017年、全379店を閉めると発表する。影響を受ける従業員は約3300人。会社が用意したのは、Starbucksの仕事へ応募する機会だった。全員に同じ仕事が残る約束ではなかった。[49]

ティーバナの株式公開に合わせたニューヨーク証券取引所(2011年7月)。スターバックスによる買収の前年。
ティーバナの株式公開に合わせたニューヨーク証券取引所(2011年7月)。スターバックスによる買収の前年。
写真:David Shankbone/出典/CC BY 3.0。表示サイズ調整・圧縮。肖像は表示枠で切り抜き。

ジュース、パン、お茶。買収すれば良い商品や技術は手に入る。それを売る店まで、コーヒー店と同じように育つとは限らない。成功してきた買い手が、その度に、買った物の何を残すかを選び直した。

17学位を取ったら辞めてもいい

学費を先に払えるようになるまで

2014年、Starbucksはアメリカ南西部・アリゾナ州のArizona State Universityと組み、働きながらオンラインで学士号を目指す制度を始めた。ニューヨークの会場で、シュルツは大学学長マイケル・クロウと教育長官アーン・ダンカンとともに発表した。カウンターで働く時間を、次の学位へ進む足場にもする取り組みだった。[50]

対象は、アメリカの直営店などで平均週20時間働き、条件を満たす従業員。40以上の専攻から選べ、電気工学、教育、経営なども含んでいた。コーヒーの専門知識を学び、同じ会社へ残るためだけの学校ではない。発表に登場したバリスタのエイブラハム・セルバンテスは、大学で教える仕事をしたいので学位が必要だと説明していた。[50]

最初の制度は、大学3.4年相当で受ける授業料の償還が中心だった。大学1.2年相当には一部の奨学金や経済状況に応じた支援を組み合わせる。後から費用が戻る制度でも、先に授業料を用意しなければ学べない人には、その手前で止まる問題が残った。[50]

学費以外にも仕事と授業を続ける支えが要る。大学へ進むためのコーチ、学資の相談担当、学業の助言担当を用意した。店のシフトと自分の生活の間に、オンラインの課題を入れて卒業する。それを本人の努力だけに任せず、途中で離れないための相談経路も作った。[50]

2017年には、大学の入学資格へ届かない人が、先に科目を学んで進学できる道も整えた。支援する学位課程を置くだけでは、そこへ入れない人がいた。制度を始めた後も、入口の前に残る段差を減らしていく。[51]

現在の制度は、条件を満たしたアメリカの従業員に、授業料を前払いで全額負担する。卒業後に会社へ残る義務はない。セルバンテスが望んだような別の専門の道へ進んでもよい。会社で学ぶ機会を渡すことと、学んだ人を会社へ縛ることを分けた制度になった。[52][50]

18手の中に店を入れる

注文の列を画面へ移す

2014年12月、米国北西部・オレゴン州の川沿いの都市ポートランドで、モバイル注文と事前決済の試験が始まった。翌年には全米の直営店へ広がる。店に着く前に注文を済ませ、受け取る。レジ前に並ぶ時間を、電話の中へ移した。[53][54]

便利になれば、店で受ける注文も増える。画面では1人ずつ済んだ注文が、店舗では同じ受け渡し場所へ集まる。アプリは飲み物を作ってはくれない。人と話して過ごすための店が、大量の注文をさばく場所にもなる。小さなカフェから広げた事業が、今度は、小さな画面から押し寄せる客に向き合った。[53][55]

ゆっくり見せる焙煎所

同じ2014年、シアトルには、速く受け取る店とは違う場所もできた。Starbucks Reserve Roastery。豆を焙煎する設備を客に見せ、淹れて飲むところまで体験にする大型の施設だ。[56]

機械を隠して同じ味を素早く出す代わりに、作る過程を目の前へ置く。シュルツがかつてミラノで見た、人がそこで時間を過ごす価値を、大きな設備と空間で作り直そうとした。世界中で見慣れられた看板の下に、まだ見たことのない店を置いた。[56]

19カップへ書いた言葉が燃える

Race Togetherの短すぎる会話

2015年、会社は人種問題をめぐる対話を促すRace Togetherを始めた。カップへその言葉を書く取り組みもあった。地域で人が会う場所なら、難しい問題も話せるのではないか。シュルツが店へ求める役割は、飲み物を買う時間の外まで広がった。[57]

だが、忙しい朝にカップを渡す人へ、どこまでの会話を求めるのか。客はその話をするために来たのか。人種問題へ向き合いたいという経営者の狙いと、カウンターで突然その役目を負う人の事情は重ならなかった。批判が広がる。[57]

3月22日、カップへの記入は終了した。会社は予定どおりの進行だとし、対話の催しなどは続けると説明した。短いメッセージで始められると思った会話は、メッセージを消せば片付くほど簡単でもなかった。[57]

2度目にCEOを渡す

2016年12月、翌春のCEO交代を発表した。後任はケビン・ジョンソン。Microsoftなどで経験を積み、すでにStarbucksの社長兼COOを務めていた。2017年4月、日々の経営はジョンソンへ移った。シュルツは執行会長となり、Roasteryや新しい店、社会的な取り組みに集中する。[58]

発表後の時間外取引で、株価は3.6%下がった。シュルツなしで続けられるかという不安は、彼への信用の裏返しでもあった。巨大な組織を育てた人が去ること自体が、巨大な組織の心配になる。次の経営者が任されたのは、店舗網だけではなかった。[59]

20中国で店も家族も引き受ける

親へ見せる職場

ヒントの1つは、Alibabaのジャック・マーの会社に、従業員の親たちが集まっていたことだった。Starbucksも、社員の家族を招く場を設けた。子どもが働く店は、どんな将来を持つ会社なのか。経営者が親へ説明する。店のカウンターで働く人へ、家の中からも理解が届くようにした。[2]

2017年には、対象従業員の親が重い病気になったときに備える保険も発表する。父の怪我で家計が苦しくなった少年が、中国では、雇った人の親を支える制度へ進んだ。[60][20]

上海の1400店を買う

2017年末、中国で長く続けた事業へ、さらに大きな金を入れた。Starbucksは、東部の商業都市上海と、沿海部の江蘇省、浙江省で店舗を運営する合弁会社の残り50%を買い取った。7月に公表した契約額は約13億ドル(約2048億円)。12月31日に取得した取引は、その後の年次報告書で約14億ドル(約2206億円)と記録された。取得時の店舗は1400店を超えていた。[61][62]

これまで共同出資者と分けてきた店の経営を、自社で引き受ける。赤字でも残ると決めた進出から18年後、中国本土のStarbucksは直営の形へそろった。その日々の経営を担うCEOはジョンソンで、シュルツは執行会長だった。後継者へ渡す会社に、中国は撤退候補どころか、巨額の資金を追加して持ち続ける市場として組み込まれた。[61][58]

一方、同時に台湾の合弁会社の持分50%は、長年の提携先へ売却した。受取額は約1億8120万ドル(約285億円)。中国本土では持分を買い増し、台湾では相手へ運営を委ねる。同じ看板でも、店を持つ形は市場ごとに変えた。9年の赤字に耐えたという逸話の後ろで、会社は、どこへ自ら金を入れ、どこを現地の相手へ任せるかを選び直していた。[62]

21歓迎するはずの店で

フィラデルフィアの2人

2018年4月12日、アメリカ東部・ペンシルベニア州の歴史都市フィラデルフィアで、黒人男性2人がStarbucksの店から手錠をかけて連れ出された。ドンテ・ロビンソンとラション・ネルソン。購入をせずに友人を待っていた2人への扱いを捉えた動画が広がった。[63]

シュルツが広げたのは、家と職場の間に人がいられる場所だった。その店で、友人を待つ人が警察に連れていかれる。会社が語る居場所と、店で実際に起きた行動が衝突した。当時CEOだったのはケビン・ジョンソンで、シュルツは会長だった。会社は対応を迫られ、彼も現地の従業員や地域の人々と会った。[64][63]

5月29日の午後、アメリカの直営店8000店以上を閉め、約17万5000人が人種的な偏りを考える研修の対象になった。客を迎える店で、誰をどう迎えるかを教え直す。10年前、エスプレッソを作り直すために止めた営業を、今度は人の扱いを考え直すために止めた。[64]

フィラデルフィア市も、店舗の対応だけの問題で終わらせなかった。市の人権委員会が店の規定を調べ、警察は通報への対応を検討した。2人は市とともに、起業を目指す高校生向けの20万ドル(約3152万円)の助成制度にも関わることになった。世界企業の1店舗で起きたことが、その街で警察や公共空間をどう使うかという問題へ広がった。[63]

22店の外の名前に71億5000万ドル(約1兆1268億円)

Nestléへ渡す販売の権利

2018年5月、食品大手Nestléが、Starbucksの商品を店舗の外で世界へ販売する永続的な権利を得る契約を発表した。最初に払う代金は71億5000万ドル(約1兆1268億円)。店そのものを買うのではなく、袋入りの豆や粉、インスタント、カプセルなどを、スーパーや業務用の流通へ届ける権利の取引だった。[65]

カフェへ来ない時間にも自社のコーヒーを飲んでもらう。瓶入りFrappuccinoやVIAで進めた店外の商売が、世界的な食品企業の販売網につながる。対象となる事業の年間売上は20億ドル(約3152億円)と説明された。店舗の数を増やす成長と、すでに知ってもらった名前の商品を別の売場へ届ける成長が、大きな契約で結びついた。[65]

同年8月に取引は完了した。Starbucksの店舗内の販売と、すぐ飲める形の飲料は対象外だった。約500人の従業員がNestlé側へ移り、Seattle’s Best Coffee、Teavana、VIAなどの包装商品も対象へ入った。店を閉めたTeavanaの名前も、茶の商品として別の流通へ続いていく。[66]

この頃のCEOはジョンソンで、シュルツは会長からの退任を進めていた。彼が長く作ってきた店と商品は、後継経営陣によって、さらに大きな企業間の契約へ組み替えられた。自分が1杯ずつ売る店を増やすために買った名前が、今度は、店の外で使う権利だけで巨額の金を生む段階になっていた。[58][67][66]

35年後にミラノへ戻る

2018年9月、イタリア初のStarbucksがミラノで開いた。旧郵便局を使ったRoasteryだった。1983年にコーヒーバーを見てから35年。世界へ店を増やした会社が、ようやく、その着想を得た街へ戻る。[68]

イタリアの習慣をまねた小さな店から始めたシュルツは、今度は焙煎する工程まで見せる大きな場所を持ち込んだ。世界を回った看板を、借りた文化のすぐ隣へ置く。彼が最初に欲しがったものは、ここでも、豆だけでも飲み物だけでもなく、人が時間を使う場所だった。[68]

ミラノのスターバックス リザーブ ロースタリー店内(2018年9月9日)。
ミラノのスターバックス リザーブ ロースタリー店内(2018年9月9日)。
写真:AleGo1980/出典/CC BY-SA 4.0。表示サイズ調整・圧縮。肖像は表示枠で切り抜き。

23大統領への道は開かなかった

票を集める商売は違った

2019年、シュルツは無所属で大統領選へ出る可能性を探った。会社を育てた実績と財力を、国の運営へ持ち込もうとした。中道の候補として票を集めれば、既存の2大政党とは違う選択肢になる。だが、その票は、他の候補から奪う票でもある。[69]

本人が勝てなくても、接戦の州で票を割れば結果を変え得る。会社の商品を買う客を増やすときとは違い、自分の支持が増えることが、望まない候補を助ける危険につながった。[69]

6月、背中の手術からの回復を理由に活動を休止する。9月には出馬検討を終えた。票を割る懸念も挙げた。世界中の人へコーヒーを売るための信用と、国を任せるための支持は、同じようには集まらなかった。[70][69]

シェリと続ける仕事

会社の外での仕事は続いた。妻シェリと1996年に設立したSchultz Family Foundationでは、若者が学び、成人し、仕事へ進む機会を支える。シェリ自身も長く若者への支援に関わり、財団を率いてきた。[71]

家に金がないことが、次に行く場所のなさへつながる。その道の途中へ、機会を置く。シュルツが会社で用意した保険や学費とは別に、夫婦で支える入口も増えていった。[71]

24パートナーが違う声を上げる

3度目の復帰

2022年4月、シュルツは暫定CEOへ戻った。Starbucksを買ってから35年。会社を立て直すために戻る役目も、もう初めてではない。自社株買いをいったん止め、店と働く人への投資へ資金を振り向けた。[1][67]

その会社で、従業員の一部は労働組合を通じた交渉を選んでいた。経営者が待遇を良くすると決めることと、働く側が待遇を交渉する力を持つことは違う。シュルツが社員へ用意した仕組みの外から、社員自身が声を届けようとしていた。[72][73]

上院で問われた会社の理念

2023年3月、米上院の公聴会で、委員長バーニー・サンダースがシュルツへ労組対応を問いただした。組合結成への妨害や交渉の停滞を問題にする側に対し、シュルツは法令を守っていると主張した。自分が父の経験からどんな会社を作ろうとしたか、保険や株式、学費の制度をどう用意したかを説明した。[72][1]

同じ公聴会へ証言を出したバリスタ、マギー・カーターも、その制度を知っていた。子育てをしながら福利厚生や教育支援に魅力を感じて入ったと語る。信じて働き始めた人が、実際の職場について違う声を届けていた。[73]

シュルツは上院でも、父が仕事を失った家の光景を語った。そこで、今度は自分が育てた会社で働く人の訴えを受ける。雇われた父を見た少年の経験と、巨大な会社を動かす経営者の経験は、どちらも本人のものだった。その会社で働く人には、また別の経験があった。[1][73]

メンフィスの解雇が最高裁へ届く

労使の争いの1つは、アメリカ南部・テネシー州の音楽の街メンフィスにある店で起きた。2022年、組合を作ろうとする従業員らが、営業時間後にテレビ局の取材班を店へ招いた。会社は社内規定に違反したとして、参加した複数の人を解雇した。組合側は、組合活動を理由にした不当な扱いだと訴えた。[74]

労働関係の行政機関NLRBは、行政審理の決着を待つ間に従業員を復職させるよう、裁判所へ仮の命令を求めた。裁判所はそれを認めたが、Starbucksは命令を出すための基準を争った。働く人の側には、審理が何年もかかる間に仕事を失ったままになる問題がある。一方、会社はその前に裁判所がどんな条件で介入できるかを問うた。[74]

2024年6月、米最高裁は、仮の命令には通常の厳格な4要件を使うべきだと判断し、下級審の判断を破棄して差し戻した。会社側が得たのは、その手続きの基準に関する判断だった。解雇や労組対応のすべてが正しかったという結論ではない。会社の理想をめぐる対立は、個々の店の出来事から、働く側を審理の途中でどう保護するかという制度の争いにも進んでいた。[74]

25最後に持ち帰ったイタリア

オリーブオイルをコーヒーへ入れる

3度目の復帰でも、シュルツは新しい飲み物を持ち込んだ。イタリア南部のシチリア島でオリーブオイルの生産者と会い、その油をコーヒーへ加えるOleatoを考える。2023年、ミラノで披露した。ミラノのバーからカフェを持ち帰った40年後、今度はカップの中身を変えようとした。[75]

商品はアメリカにも広がった。しかし2024年秋、会社はメニューを整理する一環として、多くの店舗でOleatoを終えるとした。一部の国や店舗では残るが、大きく展開した飲み物を、そのまま残す判断にはならなかった。[76]

シュルツが次の習慣になると信じた商品を、後の経営陣が削る。彼の構想へ従って育った会社が、今度は、その構想から何を選び取るかを決める側に立った。[75][76]

26去った後にも店は開く

41年後に席を離れる

2023年3月にCEOを後任へ引き継ぎ、9月には取締役も退いた。最初にStarbucksへ入ってから41年。シュルツは名誉会長となり、経営を後の人々へ渡した。[67]

それでも、店に言いたいことは残った。2024年、業績が弱まると、経営陣が店舗へ出て時間を使い、コーヒーへ集中する必要があると公に述べた。スマホで注文を集めても、飲み物を作り、受け取る場所は店にある。画面の便利さだけでは、そこで働く人と待つ人の負担は消えない。[55]

380万ドル(約5億円)の買い物の先へ

2026年9月期、Starbucksの売上高は379億1060万ドル(約5兆9747億円)、期末店舗数は4万1607店となった。1987年に集めた380万ドル(約5億円)で引き受けた商売は、後の経営陣と従業員が毎日動かす巨大な会社になった。[77]

シュルツが見つけたのは、すでに人が飲んでいたコーヒーの、別の売り方だった。良い豆の店を見て入社し、イタリアのバーを見て会社を出て、資金を集めて元の会社を買う。店を増やし、働く人へ保険と株を渡し、増やしすぎた店を閉める。自分の理想が支持される場面も、その理想へ働く人から異論が返る場面もあった。[7][14][27][73]

公共住宅の居間にいた父を、彼は忘れなかった。けれど、忘れないことと、何万人もの職場でその記憶に応えることの間には、長い距離があった。その距離を埋めようとした制度も、埋まらなかったところから上がった声も、緑の看板の下へ残っている。[1][73]

参考文献・出典 77件

本文の番号に対応する資料です。本人・関係者のインタビュー、当時の取材、企業の発表を参照しています。

  1. 父の失職と公共住宅での生い立ち――米上院提出証言、2023年3月29日 ↩ 本文
  2. Masters of Scale:How to do good and do good business、2018年3月7日 ↩ 本文
  3. Howard Schultz:Ripple of Hope受賞スピーチ、2016年12月7日 ↩ 本文
  4. Howard Schultz――HBS 20th Century Leaders ↩ 本文
  5. Howard Schultz――University of Houston Hall of Honor ↩ 本文
  6. Starbucks with Howard Schultz:Acquired、2024年本人同席対談 ↩ 本文
  7. Il Giornale――Starbucks公式アーカイブ ↩ 本文
  8. A Conversation with Howard Schultz:2011年対談、2014年掲載 ↩ 本文
  9. Neil Shen in Conversation with Howard Schultz:HSG、2023年5月18日 ↩ 本文
  10. Into the Black:Inc.、1993年1月1日 ↩ 本文
  11. Heart + Mind:Orin Smithインタビュー、University of Washington、2016年3月2日 ↩ 本文
  12. Howard Behar本人略歴 ↩ 本文
  13. Pour Your Heart Into Itの医療保険に関する本人記述、pp126–129の出典付抜粋 ↩ 本文
  14. From Employees to Partners――Starbucks公式アーカイブ ↩ 本文
  15. Transformation Agenda Communication #1、2008年1月7日 ↩ 本文
  16. Frappuccino Blended Beverages Fact Sheet ↩ 本文
  17. Starbucks Corporation annual report 1996 ↩ 本文
  18. 日本上陸25周年:スターバックスにまつわるABC、2021年 ↩ 本文
  19. Starbucks Investor Day 2022 corrected transcript ↩ 本文
  20. Starbucks China history ↩ 本文
  21. Economic Club of New York:Howard Schultz対談、2017年5月24日 ↩ 本文
  22. In new book, former Starbucks CEO Howard Schultz says he’s sorry for Sonics move、2019年1月27日 ↩ 本文
  23. The Coffee War: Ethiopia and the Starbucks Story ↩ 本文
  24. Oxfam Celebrates Win-Win Outcome for Ethiopian Coffee Farmers and Starbucks ↩ 本文
  25. The Commoditization of the Starbucks Experience:本人社内メモ、2007年2月14日(保存複製) ↩ 本文
  26. Starbucks: Wake Up, Smell the Coffee:TIME、2007年2月26日 ↩ 本文
  27. Starbucks’ quest for healthy growth:Howard Schultz interview、2011年 ↩ 本文
  28. Starbucks Shut Down 3.5 Hours for Training――ABC News、2008年2月26日 ↩ 本文
  29. Transformation Agenda Communication #7、2008年2月21日 ↩ 本文
  30. Transformation Agenda Communication #3、2008年1月30日 ↩ 本文
  31. Seven big moves:Starbucks Transformation Map、2008年 ↩ 本文
  32. Pike Place Roast:Starbucks公式製品由来 ↩ 本文
  33. The Proof is in the Cup:Starbucks発表、2008年4月 ↩ 本文
  34. Starbucks Debuts Small-Batch Coffee:QSR、2008年8月26日 ↩ 本文
  35. Starbucks acquires the Clover:KQED、2008年 ↩ 本文
  36. Starbucks plans drastic cuts as profit plummets:NRN、2009年 ↩ 本文
  37. 685 jobs to go as Starbucks closes stores — ABC, 2008-07-29 ↩ 本文
  38. Bono joins Starbucks to help AIDS victims:SeattlePI、2008年10月29日 ↩ 本文
  39. Starbucks Management Conference in New Orleans Hit with Unexpected Union Protest、IWW、2008年10月27日 ↩ 本文
  40. Starbucks fiscal2010 annual report ↩ 本文
  41. Q&A: Starbucks Can Smell Growth:TIME、2010年2月1日 ↩ 本文
  42. Starbucks goes instant with Via Ready Brew coffee:USA Today/ABC、2009年2月17日 ↩ 本文
  43. Starbucks Rolls Out Instant Coffee:QSR、2009年5月29日 ↩ 本文
  44. Starbucks applies its coffee model to juice:USA Today/ABC、2011年11月10日 ↩ 本文
  45. Starbucks Nixes Its Short-Lived Juice Stores:Eater、2017年2月24日 ↩ 本文
  46. Starbucks Announces Agreement to Acquire La Boulange Bakery:2012年6月4日 ↩ 本文
  47. Starbucks to Close All La Boulange Stores:TIME、2015年6月17日 ↩ 本文
  48. Starbucks Closes Teavana Acquisition:2012年12月31日 ↩ 本文
  49. Starbucks fiscal2017Q3 results and strategic actions:2017年7月27日 ↩ 本文
  50. Starbucks, ASU team up for employee education program:ASU、2014年6月15日 ↩ 本文
  51. Starbucks VP: ASU tuition program great for business:Cronkite、2017年4月11日 ↩ 本文
  52. Starbucks College Achievement Plan:current programme page ↩ 本文
  53. Starbucks Details Five-Year Plan:2014年12月4日 ↩ 本文
  54. Starbucks Expands Mobile Order And Pay:2015年9月24日 ↩ 本文
  55. Former Starbucks CEO Schultz says company needs to refocus on coffee、AP、2024年5月6日 ↩ 本文
  56. CNN Quest Means Business:Schultz interview at Seattle Roastery、2014年12月5日 ↩ 本文
  57. Starbucks Baristas Will Stop Writing Race Together on Your Cups、2015年3月22日 ↩ 本文
  58. Starbucks Announces New Leadership Structure、2016年12月1日 ↩ 本文
  59. Starbucks CEO steps down to focus on high-end coffee:Reuters、2016年12月1日 ↩ 本文
  60. 清華大学でのHoward Schultz講演全文、2017年4月13日掲載 ↩ 本文
  61. Starbucks to acquire remaining East China JV shares — 2017-07-27 ↩ 本文
  62. Starbucks FY2018 Form 10-K — East China acquisition and Taiwan divestiture ↩ 本文
  63. We cannot allow the Starbucks incident to define Philadelphia、2018年5月29日 ↩ 本文
  64. Starbucks to Close All Stores Nationwide for Racial-Bias Education、2018年4月17日 ↩ 本文
  65. Nestlé and Starbucks agree global coffee alliance — May 2018 ↩ 本文
  66. Nestlé and Starbucks close consumer packaged goods and foodservice deal — 2018-08-28 ↩ 本文
  67. Starbucks Announces Transitions to Its Board of Directors、2023年9月13日 ↩ 本文
  68. Starbucks arrives in Milan:AP/ABC、2018年9月6日 ↩ 本文
  69. Howard Schultz to end presidential campaign:Axios、2019年9月6日 ↩ 本文
  70. Howard Schultz will not campaign this summer:Axios、2019年6月12日 ↩ 本文
  71. Sheri Kersch Schultz:Schultz Family Foundation ↩ 本文
  72. Chairman Sanders questions Howard Schultz in HELP hearing、2023年3月29日 ↩ 本文
  73. Maggie Carter written Senate testimony、2023年3月29日 ↩ 本文
  74. Starbucks Corp. v. McKinney、米最高裁判決、2024年6月13日 ↩ 本文
  75. Olive oil in coffee? New Starbucks line a curiosity in Italy:AP、2023年3月1日 ↩ 本文
  76. Starbucks, trying to reverse sluggish sales, discontinues olive oil drinks:AP/KUOW、2024年10月30日 ↩ 本文
  77. Starbucks Reports Q4 and Full Fiscal Year 2026 Results、2026年10月29日 ↩ 本文

写真の作者・利用条件・撮影年は各画像の下に記載。取材資料と写真の出典は別々に確認できます。

※ 円換算は2026年11月2日確認のWise表示値(1米ドル=157.6円)を使用。取引当時の為替や物価・購買力を再現するものではありません。 為替出典:USD

本文更新:2026-11-02

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