THE STORY
ラリー・ペイジの物語
選んだ道。その先で、起きたこと。
01小切手が会社を待っている
10万ドル(約1576万円)を受け取る器がない
1998年、ラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンは、スタンフォード大学の教授デビッド・チェリトンの家へ出かけた。会う相手は、コンピュータ企業Sun Microsystemsの共同創業者アンディ・ベクトルシャイム。2人が大学で育てている検索技術を見てもらうためだった。[1]
説明を聞いたベクトルシャイムは、30分もたたないうちに10万ドル(約1576万円)の小切手を書いた。宛名はGoogle Inc.。困ったことに、そんな会社はまだなかった。[1]
2人はもともと、検索会社を経営するために大学院へ入ったわけではない。技術を既存企業へ使ってもらい、研究へ戻る道も探した。しかし交渉はまとまらず、利用者と機械の負担だけが増えていった。小切手を受け取り、自分たちの技術を動かし続けるには、自分たちが会社をつくらなければならなかった。[2][1]
小切手を換金した先には、機械を置く場所と給料を払う相手が待つ。世界の情報を集める実験は、会社を経営するという別の実験へつながっていく。[1][3]
02家にコンピュータがある
研究者の両親と育つ
地理データ:Natural Earth(パブリックドメイン)。 湖の補助データ:© OpenStreetMap contributors(ODbL)。使用データ。現代の地理と都市の代表位置。出生宅・移動経路ではありません。編集部作図。
1973年3月26日、ラリーはアメリカ中西部・ミシガン州のランシング周辺に生まれ、州立大学のあるイーストランシングで育った。父カールはミシガン州立大学でコンピュータ科学と人工知能を研究し、母グロリアもプログラミングを教えていた。家には初期のパーソナルコンピュータと科学雑誌があった。[4][5]
6歳頃からコンピュータに触れ、学校へ出す文書をワープロで作るようになる。周りの子どもが使っていない道具を、家で試せた。父は大学の研究者として働きながら、息子と過ごす時間も多く取った。ラリーは後に、自分はとても幸運な子どもだったと語っている。[4][6]
幼い頃はモンテッソーリ教育の学校に通った。課題を自分で選び、手を動かして試す教育だった。後にブリンと共に、その経験と、指示されたことをそのまま受け入れずに考える姿勢を結びつけて話している。[7]
関心はコンピュータだけではなかった。10代にはミシガン州の芸術教育施設Interlochenの夏期キャンプで音楽を学んだ。施設の記録に残る在籍年は1988年と1989年。技術者の家で育ちながら、音楽にもまとまった時間を使った。[8]
03テスラの結末が嫌だった
発明だけでは届かない
12歳頃、ラリーは発明家ニコラ・テスラの伝記を読んだ。交流電力の発展に貢献したテスラは、発明の力を持ちながら資金調達や事業化で苦しんだ。ラリーはその境遇に、泣きそうになったと振り返っている。[9]
優れた技術を思いついても、研究を続ける金がなく、広く使われなければ終わってしまう。ラリーは科学者になりたいだけでなく、技術を実際に届ける仕事もしたいと考えた。工学と事業を別々にせず、発明を使われるところまで進める。後に会社で大きな研究を支える姿勢にも、その関心が残る。[9]
1991年、ミシガン大学へ進み、コンピュータ工学を学んだ。レゴのブロックを使ったインクジェットプリンターを組み立て、太陽電池で走る車のチームにも関わった。買ってきた機械を使うだけではなく、自分たちで構造を作る側にいた。[5][4]
キャンパス間を往復するバスも、彼には変えられる仕組みに見えた。大きなバスを待つ代わりに、必要な場所へ人を運ぶ小型の交通システムを作れないか。大学へ提案したが、実現しなかった。1995年に学士号を得た青年は、まだ検索を作る前から、移動に費やす時間を減らす方法を考えていた。[6][4]
04すぐには気が合わなかった
ブリンとの出会い
1995年、ラリーはスタンフォードの大学院進学に向けた交流会で、ひと足先に在籍するセルゲイ・ブリンに会った。場所はサンフランシスコ。2人は最初から仲よく頷き合ったのではなく、さまざまな話題で意見をぶつけ合った。[1][10]

写真:KhanVic at English Wikipedia/出典/Public domain。Commons配信の表示用縮小画像。顔・目線・表情の加工なし。
ブリンには大量のデータを調べる数学的な力があり、ラリーはウェブの構造へ関心を向けた。簡単に同意しない相手でも、一緒に考えれば問いを先へ進められる。2人はやがて、同じ研究を進める組になる。[11][12]
その頃、ラリーの家族には取り戻せない出来事が起きた。1996年3月末、父カールが息苦しさを訴えて病院へ行き、2カ月後に亡くなった。ラリーは23歳だった。コンピュータを身近にし、時間をかけて育てた父は、息子が何をつくるかを見る前にいなくなった。[6]
2009年に母校の卒業式で話すとき、ラリーは父の学位のフードを身につけ、父の卒業証書を携えて壇上に立った。大学院で研究を始めた頃に失った父を、会社が成功した後も、その目に見える品と共に語った。[6]
05ウェブを全部集めたい
リンクを逆にたどる
あるページから別のページへは、リンクを押して進める。だが、そのページがどこからリンクされているかは簡単には分からない。ラリーが興味を持ったのは、この逆向きの関係だった。[12]
学術論文では、別の論文から引用されることが重要性の手がかりになる。ウェブのリンクにも、誰かがそのページを紹介したという判断がある。世界中のページからリンクだけを集めれば、文章に書かれた単語とは別の形で、その価値を調べられないか。[13][12]
本人が後に語った出発点は、23歳の夜の思いつきだった。ウェブをすべてダウンロードし、リンクを残す。目が覚めたラリーはペンを取り、詳細を書いた。指導教員テリー・ウィノグラードには、数週間で集められると思うと話した。実際には、そんな短い作業では済まなかった。[6]
大学のネットワークを止める
自動プログラムにページを訪ねさせ、リンクを記録し、次のページへ進ませる。世界の情報を集める作業は、現実のネットワークを通って、相手のコンピュータへアクセスする仕事だった。[14]
ラリーたちは大学の重要な機械へ速すぎる勢いで接続し、スタンフォードのネットワークに障害を起こした。学内の利用者がログインできない状態になったという。大学の設備で研究を進めるプログラムが、ほかの人の研究や仕事を止めてしまった。海外から、大学のリスク管理部門へ連絡が届くこともあった。[14]
集めたいページは大学の外にも際限なくある。だが、速く集めれば相手の機械を止めかねない。ラリーたちはプログラムを動かすだけでなく、自分たちが起こした障害にも対応しなければならなくなった。[14]
06一票の重みを変える
PageRankの考え方
研究はBackRubと呼ばれた。ページへ入るバックリンクを調べる仕組みで、そこからPageRankが育つ。ただし、リンクが100本あれば10本のページより上、という単純な人気投票ではない。[15][13]
重要なページから張られたリンクには、大きな重みを置く。そのリンク元の重要さも、ほかのページからどうリンクされているかで考える。ウェブ全体のつながりを使って重みを計算し、検索された言葉との関連などと組み合わせる。自分で重要だと書くページより、ほかの人がどう扱っているかを見る方法だった。[13]
ブリンのデータ分析の力と、ラリーが着目したリンクの構造が重なった。論文で説明できるだけでなく、実際に使うと、探していたページへ近づける。学内から外へ、検索を使う人が増え始めた。[12][1]
ブロックで囲んだ40GB
増えるページを保存するために、4GBのドライブを10台組み合わせた。合計40GB。箱は色とりどりの玩具のブロックや透明な板、テープで囲まれていた。後にスタンフォードで展示される初期Googleの装置である。[16][10]
会社の完成品とは違う手作りの箱でも、仕事は止まらない。ページを集め、保存し、順位を計算し、質問が来れば結果を返す。利用者が増えれば、装置を増やし、速くしなければならなかった。博士課程の研究の中へ、サービスを動かし続ける負担が入り込んでいく。[16][1]
07名前はついても売れない
googolがgoogleになる
1997年9月、ラリーたちは研究の名前を考えていた。同じ部屋のショーン・アンダーソンが大きな数を表す言葉を提案し、ラリーは1の後ろに0が100個並ぶgoogolを気に入った。ドメインを調べるとき、ショーンが打ち込んだのはgoogleだった。ラリーはその綴りを採用し、9月15日にgoogle.comを登録した。[17]
一方、スタンフォードの技術移転部門は、1996年から複数の企業へ検索技術を紹介していた。話を聞く会社はあり、深く交渉する相手もいた。大学の記録には、大きな金額を提示した企業もあったと残る。だが、その技術をふさわしく育てる相手との合意には至らなかった。[1]
ラリーは後に、当時の企業は検索よりポータルに関心があり、自分たちは会社をつくらざるを得なかったと説明した。ニュースや買い物などを集め、客に長く滞在してもらうサイトが注目された時代である。欲しい情報を探し、別のサイトへ素早く出ていける検索は、2人が考えるほど中心には置かれなかった。[2]
08ガレージへ運ぶ
すでに検索は動いていた
10万ドル(約1576万円)の小切手を受け取った後、2人は1998年9月にGoogleを法人化した。拠点は、大学に近いカリフォルニア州メンローパークの住宅へ移る。家主はスーザン・ウォジスキ。ガレージだけでなく家の一部も借り、会社の仕事を始めた。[3][1]

写真:Jordiipa/出典/CC BY-SA 3.0。Commons配信の表示用縮小画像。顔・目線・表情の加工なし。
住宅へ移っても、検索へ届く質問は止まらない。大学で使われ始めたサービスを、そのまま会社の設備で引き受ける。ガレージを借りれば準備が整うのではなく、借りた場所で機械と人を増やし続ける必要があった。[1][3]
法人化を目前にした1998年8月、2人は砂漠のイベントBurning Manへ出かける。その不在を知らせるため、ロゴに人形の図柄を入れた。記念日ごとに形を変えるGoogle Doodleの始まりだった。世界の情報を扱う会社の看板が、創業者の留守番の印にもなった。[3]
1999年6月、Googleは2500万ドル(約39億円)を調達した。出資を率いたのはSequoia CapitalとKleiner Perkins。マイケル・モリッツとジョン・ドーアが取締役に加わった。教授の家でもらった小切手から、機械と社員を増やす本格的な資金へ桁が変わった。[18]
09Yahoo!の検索を引き受ける
巨人の裏側へ入る
2000年6月、Yahoo!がGoogleを標準のウェブ検索の提供者に選んだ。利用者はYahoo!を開いていても、その裏でGoogleが答えを返す。自分たちのサイトの名前を知ってもらう前に、すでに人の集まる入口へ技術を入れた。[19]
2001年にはYahoo! JAPANとの提携も発表された。カテゴリ検索で該当するサイトがない場合、入力された言葉をGoogleへ引き継ぐ。学生が大学で動かしていた検索が、日本の利用者が普段使う場所の裏側へ入っていった。[20]
使われるほどコンピュータは必要になる。検索は短い時間で結果を返さなければならない。技術を貸し、提携先を増やしながら、自社でも毎日膨らむサービスを運用する。会社へ入れた資金は、その基盤に使われた。[1][18]
10広告を疑った会社が広告を売る
論文の警告
1998年の検索論文には、広告で支えられる検索と利用者の利害は食い違う、という警告がある。携帯電話を調べて、運転中の使用の危険を扱う資料が上位に出る。検索する人には重要でも、電話を売りたい広告主には好ましくないかもしれない。広告を出す相手に、結果を曲げる力が生まれないか。[13]
その2人の会社が、やがて広告で稼ぐことになる。Googleは、通常の検索結果とは分けて、検索した言葉に関係する短い広告を置いた。検索を邪魔する大きな画像やポップアップではなく、客が今探していることに合う広告を売ろうとした。[21]
2000年10月、AdWordsが始まった。当初から今のクリック課金だったわけではない。2002年2月にAdWords Selectを導入し、広告を押したときに料金を払う仕組みへ進んだ。高く入札した広告が自動的に最上段を占めるのではなく、クリックされる割合も順位へ組み合わせた。[21][22]
Googleが正しい答えを返せば客が戻り、広告主はその客へ商品を見せられる。検索を無料で使う人が増えることが、広告の事業を太くした。広告チームが育てたこの収益は、後の検索以外の研究も支えることになる。[22][23]
11白すぎて待たれる画面
数字だけのメール
Googleの簡素な画面には、意外な欠点もあった。初期の利用者テストで、白いページを見たまま待ち続ける人がいた。まだ情報を読み込んでいる途中だと思ったのだ。読み込みが終わっていると分かるように、下部へ著作権表示を置いたと、製品担当のマリッサ・メイヤーは振り返る。[24]
別の利用者からは、数字だけのメールが届いた。何を意味しているのか、最初は分からない。やがてトップページの単語数を数えていると気づいた。単語が増えると知らせてくる。会社の中で何かを足したくなっても、外にはその変化を見張る利用者がいた。[25]
メイヤーたちは、テストに来た8人のうち5人が機能を使えなかった、といった結果も経営陣へ伝えた。ラリーはそうした細かな問題にも関心を向けた。大きな情報を集める仕事と同時に、目の前の人がどこを押せないかを確かめていた。[25]
12管理職を消してみる
残った100人分の仕事
2001年、ラリーは技術部門の中間管理職をなくす試みへ進んだ。技術者なら直接話し、直接判断できる。承認の段階を減らせば、仕事は速くなるはずだった。[26]
だが、管理職の箱を組織図から消しても、調整する仕事は残った。100人を超える技術者が、1人の責任者へ報告する形になり、結局は管理職が戻された。製品の不便を疑うように会社の仕組みも疑ったが、その解決策はうまくいかなかった。[26]
2001年8月、エリック・シュミットがCEOになった。Sun MicrosystemsやNovellで技術と経営を経験した人物だった。ラリーは製品担当の社長、ブリンは技術担当の社長へ移る。28歳の創業者は、会社に残りながら、経営のトップを別の人に渡した。[27]
3人の経営者
ラリーが製品を離れたわけではない。大きな判断は3人で進める。その会社に2002年、AOLとの検索などの提携が加わった。夜9時、契約のため人々がラリーの部屋へ集まった。シャンパンが用意され、外には80人ほどがいたと本人は語っている。[28]

写真:Ehud Kenan from Israel/出典/CC BY 2.0。Commons配信の表示用縮小画像。顔・目線・表情の加工なし。
大学院の研究から4年ほどで、会社の大きな契約を大勢が待つようになっていた。シュミットが経営を支え、創業者2人が製品と技術を進める。後にCEOへ戻るまで、ラリーはこの3人の体制で会社を育てた。[29][28]
13壊れる機械で止まらない検索
検索式の外にある発明
ページが増え、利用者が増えると、機械を1台大きくするだけでは追いつかない。保存、計算、検索を何千台へ分ける。台数が増えれば、いつかどこかが壊れる。Googleは故障しない機械をそろえるより、故障しても仕事を続ける仕組みを作った。[30]

写真:Erik Pitti from San Diego, CA, USA/出典/CC BY 2.0。Commons配信の表示用縮小画像。顔・目線・表情の加工なし。
2003年、サンジェイ・ゲマワットらがGoogle File Systemを発表した。比較的安い多数の機械を使い、データを分散させ、壊れた部分を補って扱う。2004年にはジェフ・ディーンとゲマワットがMapReduceを発表し、大量の仕事を機械へ分けて実行し、結果をまとめる方法を示した。[30][31]
ラリーが持ち込む巨大な問いを、別の技術者の発明が支えていた。研究室で動いた検索の式を、世界の人が使っても止まらないサービスへ変えるには、その裏側を作る仕事が要った。[30][31]
広告も自社の検索画面を出て広がる。2003年に始まったAdSenseでは、外部のサイト運営者が自分のページに広告を置き、収益を得られるようになった。Googleは情報を集めるだけでなく、情報を公開する人の広告収入にもつながる仕組みを持った。[32]
14普通の会社にはならない
株主への宣言
2004年、Googleは株式公開へ向かった。株主向けの創業者の手紙には、短期の収益だけでなく、長い時間のかかる研究も続けると書いた。人によっては投機的で奇妙に見える取り組みにも金を使う。資金を受け取る前に、投資家へその方針を示した。[33]
株の仕組みも合わせた。一般に売る株は1株1票、創業者側などが持つ別の株は1株10票。外の株主が増えても、創業者の判断を簡単には変えられない構造を残した。[34]
株の配分には競売方式を使った。慣例と違う公開の方法は調整を重ね、最終的な公開価格は85ドル(約1万3396円)になった。売り出した株は1960万5052株。既存株主の売却分を除き、引受手数料を引いたGoogleへの受取額は11億6836万8039ドル(約1841億円)だった。[35][34]
株を買う人には、四半期ごとの利益を最大にするために全力を使う会社ではないと先に伝えてある。外の金を受け取りながら、遠回りに見える研究をやめない。その条件を、ラリーたちは株主への手紙と議決権の両方へ組み込んだ。[33][34]
151GBのエイプリルフール
メールを捨てなくていい
2004年4月1日、GoogleはGmailを発表した。無料メールで保存容量1GB。古いメールを削除して容量を空けるのが普通だった時代に、桁の違う箱を用意した。発表日がエイプリルフールだったため、冗談だと受け取られるほどだった。[36][37]
ただ大きいだけではない。古いメールを取っておき、必要になったら検索する。返信を会話としてまとめる。人が細かく分類し続ける代わりに、コンピュータが探す。ウェブで役立った方法を、個人の受信箱へ持ち込んだ。[36]
開発の中心にはポール・ブックハイトらがいた。社内には、Googleがメールを作ることへの疑問もあった。検索の会社に別の大仕事を持ち込み、完成まで人と設備を使う。それでも創業者2人は開発を支えた。4月1日、長く社内で試されてきた受信箱が外へ出た。[37]
16本をめくる社長
300ページに40分かかった
検索する語を入力しても、まだウェブにない文章にはたどり着けない。図書館には何百万冊もの本がある。その内容を検索できれば、存在さえ知らなかった本の中から、欲しい1節を見つけられる。Googleは2002年、社内でひそかに書籍の計画を動かし始めた。[38]
ラリーも自分で手を動かした。オフィスでメイヤーと本を開き、メトロノームの拍子に合わせてページをめくる。300ページを最後まで進めるのに40分。世界中の本を取り込むという構想を、まずは1冊を扱う時間へ落とした。[38]
母校ミシガン大学には、700万冊の蔵書を電子化するのに1000年かかるという見積もりがあった。ラリーが学長メアリー・スー・コールマンへ示したのは6年という考えだった。人間の一生を何度も費やす計画を、自分たちの会社が動いている間に終えられないか。大学とGoogleの協力が具体化していく。[38]
2004年12月、ミシガン、ハーバード、スタンフォード、イギリス南部の大学都市オックスフォードにある大学図書館、ニューヨーク公共図書館との計画を発表した。出版社と組んで本の内容を紹介する取り組みに加え、図書館の所蔵する本そのものを検索対象へ広げていく。[39]
利用者には、本の在りかが分かる。図書館には、所蔵する知識へ外からたどり着く道が増える。しかし書いた人から見れば、自分が許可していない複製が会社のサーバーへ作られていく計画でもあった。2005年、作家団体Authors GuildなどがGoogleを著作権侵害で訴えた。[40]
ラリーがメイヤーと測ったのは、ページを取り込む時間だった。取り込んだ文章をどう扱えるかを決める争いは、それよりはるかに長く続いた。Googleは全文の検索を可能にする一方、著作権のある対象書籍の検索結果では、本文をそのまま全部読める形にはせず、短い断片を見せた。作家側は、許可も対価もない複製を問題にした。[41]
2015年10月、連邦控訴裁判所はGoogle側を支持した。全文を複製して検索機能を作る使い方と、読者へ見せる短い断片を検討し、元の本の購入に代わるような提供ではないとして、フェアユースと認めた。2016年4月、連邦最高裁は作家側の上訴を審理しないと決め、この判断が残った。[41][40]
作家団体は落胆を表明し、商業目的で本を複製するなら書き手へ対価を払うべきだという立場を変えなかった。裁判では検索と断片表示の使い方が認められたが、作家には自分の仕事の扱われ方への不満が残る。1冊の本を速くめくれた後にも、誰とどんな条件で知識を共有するかという交渉は続いた。[40]
17次の入口は電話だった
Androidを買う
2005年、Googleは携帯端末の基本ソフトを開発するAndroidを買収した。中心にいたのはアンディ・ルービン。外を歩いているときもネットを使う時代が来れば、パソコンの検索だけで入口を持ち続けられるとは限らない。電話機を動かす土台へ進む投資だった。[42][43]

写真:Marcus Sümnick/出典/CC BY 3.0。Commons配信の表示用縮小画像。顔・目線・表情の加工なし。
2007年、HTC、Motorola、通信会社などとOpen Handset Allianceを発表した。1社だけの電話を売るのではなく、複数のメーカーが使い、外の開発者がアプリを作れる共通基盤を広げる。Google自身が世界中の端末を製造しなくても、手元の画面に自社サービスが届く道になる。[44]
その普及には、ルービンのチーム、端末メーカー、通信会社、アプリ開発者が必要だった。買収で手に入れたものを、Googleの名前だけで育てたわけではない。検索で蓄えた資金と計算の基盤を、別の創業者たちの技術へつないだ。[44][45]
18自前の動画よりYouTube
16億5000万ドル(約2600億円)を払う
GoogleにはGoogle Videoがあった。自前の動画サービスを育てながら、Googleは別の会社にも手を伸ばした。
2006年10月、GoogleはYouTubeを16億5000万ドル(約2600億円)相当の株式で買うと発表した。相手はすでに1日1億回を超える視聴と、6万5000本の新規投稿を抱えていた。[46]
動画を置く装置を作るだけでは、投稿する人と見る人の流れを手に入れられない。YouTubeには、その動きがすでにあった。Googleはブランドを消さず、独立した運営を続ける方針を示した。自分たちの動画サイトへ塗り替えるより、相手が作った場を残した。[46]
2007年にはDoubleClickを31億ドル(約4885億円)で買う契約を結び、翌2008年に完了した。外部サイトへ広告を配信する企業である。検索へ言葉を入れた客に広告を出すだけでなく、ほかのサイトの広告取引へもGoogleの手が伸びた。[47]
検索、動画、広告配信。別々の場所で生まれる情報と金の流れが、1つの企業群へ集まっていく。後の独占訴訟で問われるのは、Googleの検索画面だけではなくなる。[47][48]
19先に届いたChromeの漫画
ブラウザも作り直す
2008年9月、GoogleはChromeを発表した。だが、説明用に作った漫画が、発表前に外へ届いてしまった。会社は郵便室まで早く出す方針を実践したようだと冗談を交え、急いで説明を公開した。[49]
ブラウザはウェブを見るためのソフトだ。メールを書き、動画を見て仕事をするようになると、タブの1つが止まるだけで、ほかの作業まで巻き込まれる。速さと安定性、画面を邪魔しない設計を、入口の道具から変えようとした。[49]
ChromeにはAppleのWebKitやMozillaなどのオープンソースの成果も使われた。Google自身のコードも公開した。すべてを自分で作り直すのではなく、外の成果を使い、外の人が改良できるようにする。[50]
Androidの電話とパソコンで同じメールや文書を使い、Chromeでもタブを引き継げる。別々に見える製品をつなぐほど、Googleは日常の情報を扱う経路全体へ入っていった。[51]
20通りを情報に変える
車にカメラを積む
場所の名前が分かっても、そこに何が見えるかは地図の線だけでは伝わらない。ラリーには、道を走りながら周囲を撮るという考えがあった。角を曲がった建物や、店の入口まで見えるようにできないか。[52]

写真:Gordon Leggett/出典/CC BY-SA 4.0。Commons配信の表示用縮小画像。顔・目線・表情の加工なし。
2004年にチームが試作を始め、車へカメラと計測装置を積んだ。2006年には複数の都市を撮影車が走った。[53]
2007年5月、Street Viewを公開した。Google Mapsの中で、道に立っているように周りを見渡せる。[53]
最初の対象は、サンフランシスコ、ニューヨーク、フロリダ州の海辺の都市マイアミ、コロラド州の中心都市デンバー、ネバダ州の観光都市ラスベガスだった。画面の中にある文章を集める会社が、今度は自分たちで街へ出て情報を作った。[52]
撮られる人の側から
便利な地図の中に、自分の姿や家が写る。その情報を誰もが歓迎するわけではない。製品責任者は、問題のある画像を報告し、確認や削除を求められるようにしていると説明した。何を公開するかに、写される側の問題が加わった。[52]
それでも撮影範囲は広がった。車で走れない場所にも道具を持ち込み、2022年に公表した画像は2200億枚を超える。ラリーの発想は世界を見やすくする道具になり、その道具を運用する会社には、記録される人々への対応も求められた。[54]
21中国で検索を続ける条件
検閲を受け入れた入口
2006年、中国向けのGoogle.cnを始めた。Googleは一部の検索結果を表示しない検閲を受け入れた。情報へのアクセスを広げる利点が、その妥協を上回ると判断したのだった。[55]

写真:Discott/出典/CC BY-SA 4.0。Commons配信の表示用縮小画像。顔・目線・表情の加工なし。
国の外にいれば、十分に届けられない。中へ入れば、見せない情報を選ぶ側になる。世界の情報を使いやすくするという目標だけでは、どちらかを簡単には選べなかった。[55]
2010年1月、Googleは前年末に中国から高度なサイバー攻撃を受けたと公表した。人権活動家のGmailを狙う動きも問題になった。会社は中国での事業を見直し、Google.cnでの検閲を続けない意向を表明した。[55]
3月、中国本土向けの検索を香港へ振り向けた。その後、自動転送のままでは中国側の営業許可を更新できないとして、香港の検索へ進むリンクを置く方式へ変更した。中国での研究開発や営業も続ける方針だった。すべてを閉めて撤退したのではなく、残せる入口を探る対応だった。[56][57]
22自由な会社の採用協定
社員へ届かない誘い
2010年、アメリカ司法省はGoogle、Appleなど6社との和解案を公表した。互いの社員へ直接採用の連絡をしない取り決めなどが、人材を巡る競争を損なうという訴えだった。[58]
会社同士が勧誘しなければ、社員を奪われにくい。その裏で、働く人は別の職場や待遇を知る機会を失う。司法省の訴えは、こうした協定が上級幹部によって作られ、管理されていたとした。[58]
提案された和解は、競争を妨げる勧誘禁止の協定をやめ、法令順守の措置を取るというものだった。製品の中では利用者に情報を届ける会社が、雇用の市場では、社員へ届く情報を狭める取り決めをしていた。[58]
23CEOへ戻る
大きくなった会社を速くする
2011年4月、ラリーはGoogleのCEOへ戻った。シュミットが率いた約10年で、社員は2万4000人を超えた。Android、YouTube、Chromeが育ち、数人でその場で決められた会社ではなくなっていた。[29]

写真:Joi Ito from Inbamura, Japan/出典/CC BY 2.0。Commons配信の表示用縮小画像。顔・目線・表情の加工なし。
ラリーが日々の経営と製品・技術戦略を率いる。シュミットは会長として提携や対外関係へ、ブリンは新しい製品などの戦略的な仕事へ力を向ける。3人で抱えていた責任を分け直し、最終的な判断の所在をはっきりさせた。[29]
同じ年、試作的なサービスを公開するGoogle Labsの終了を発表した。大きな機会へ集中するため、多くの実験をそのまま残さず、ほかの製品へ取り込むものと終えるものを選んだ。挑戦を増やしたいラリーが、既存の挑戦を減らす側にもなった。[59]
24人間関係は検索できない
Google+の限界
2011年6月、Google+が始まった。友人、家族、仕事仲間をサークルに分け、投稿を見せる相手を選ぶ。Hangoutsではビデオで集まれる。ウェブのリンクを整理して成功した会社が、人と人の関係へ踏み込んだ。[60]
だが、使える機能をそろえれば人が来るわけではない。友人が別の場所へ集まっていれば、自分だけ移っても会話にならない。Googleは既存サービスの利用者も資金も持っていたが、それだけで日常の交流先を替えることはできなかった。[61]
2018年、一般向けサービスを終了すると発表した。利用は低調で、維持も難しかった。さらに、非公開であるべきプロフィール情報へ外部アプリがアクセスできる不具合も見つかった。その後に別の不具合が判明し、終了時期は2019年8月から4月へ早まる。[61][62]
ラリーのCEO復帰と共に押し出した大きな製品は、本人が経営を離れる前に終わった。検索の強さを持ち込めても、利用者同士の関係と信頼まで同じ方法で作れるわけではなかった。[61][63]
25125億ドル(約1兆9700億円)の端末メーカー
Motorolaを買う
2011年、GoogleはMotorola Mobilityを125億ドル(約1兆9700億円)で買うと発表し、2012年に完了した。Androidという共通基盤を広げる会社が、その基盤を使う端末メーカーの1社も持つ。大きな賭けだった。[64][65]
スマートフォンを巡って特許争いが激しくなる中、ラリーは買収で特許の備えを強め、Androidを支えられると説明した。ソフトを公開するだけでは守れない権利も、会社ごと手に入れた。[65]
2014年1月、そのMotorolaの端末事業をLenovoへ29億1000万ドル(約4586億円)で売る契約を発表した。ラリーは、激しい端末の競争には、その仕事へ全力を注げる会社の方がよいと説明した。[65]
端末事業を渡しても、Googleは特許の大半を手元に置く。Googleが抱えるものは、買収した会社全体から、将来の競争へ備える権利へ変わった。[65]
26会議で声が出せない
原因を探すCEO
2012年、ラリーが大きな発表や決算説明の場へ姿を見せなくなった。2013年、本人は声帯の問題を公表した。以前から片側が動きにくく、もう片側にも問題が起きたという。声がかすれ、十分な音量で話しにくい状態だった。医師の検査を受けても、原因は特定されていなかった。[66]

写真:Steve Jurvetson/出典/CC BY 2.0。Commons配信の表示用縮小画像。顔・目線・表情の加工なし。
会社を率いる仕事には、相手の前で考えを伝える時間が多い。その声が思うように出ない。本人は、ブリンから言葉を慎重に選ぶようになったと言われた、とユーモアも添えて事情を説明した。2013年5月のGoogle I/Oには登壇し、質問に答えた。[66][67]
声が小さくなっても、研究への要求が小さくなったわけではない。同じ年の取材でラリーは、得意なものを少しずつ改善するだけでは、技術が変わったときに会社ごと取り残されると語った。検索が好調なうちに、その外の大きな問題へ金と人を向けようとした。[68]
27検索の金で未来を作る
猫の顔を学ぶ機械
2012年に発表した機械学習の研究では、1000台の計算機と1万6000個の処理用コアを使い、大量の画像から特徴を学習させた。人の顔や猫の顔に反応する仕組みが育つ。検索を支えるために蓄えた計算能力が、今度は新しい研究を動かした。[69]
2013年9月、Googleは健康と老化を研究するCalicoを発表した。率いるのは、バイオ企業Genentechで経営を経験したアーサー・レビンソン。ラリー自身が医薬品の研究者になるのではなく、専門家を迎えて長い研究を続ける会社を作った。[70]
2014年には、デミス・ハサビスたちが作ったDeepMindがGoogleに加わった。機械が学び、まだ解けない問題を解く研究を、Googleの設備と事業規模につなげた。AndroidやYouTubeと同じく、外で育っていた創業者とチームを迎え入れる形だった。[71][72]
28暖房器具へ32億ドル(約5043億円)
家の中にもGoogleが入る
2014年1月、ラリーの会社は、壁に取りつける小さな機器の会社へ32億ドル(約5043億円)の現金を払う買収契約を発表した。相手はNest Labs。暖房や冷房を調整するサーモスタットと、煙や一酸化炭素を検知する警報器を作っていた。検索窓の中にいたGoogleが、家の温度と安全を扱う場所へ進む。[73][74]
Nestのサーモスタットは、住む人の温度の好みを学び、スマートフォンからも調整できる。かつてAppleでiPodの開発を率いたトニー・ファデルらの会社だった。毎日使っていても、買い替えるまでほとんど意識しない道具を、触りたくなる製品へ作り直す。ラリーは、外で育ったそのチームを迎えた。[75][74]
2月に買収を完了した。Googleは以前からNestの約12%を保有していた。年次報告書では、取得対価26億ドル(約4097億円)と、取得前から持っていた株式の公正価値1億5200万ドル(約239億円)を分けて記録している。発表時の32億ドル(約5043億円)という取引の見出しの下で、すでに出資していた会社を、今度はグループの事業として抱えるようになった。[74]
ところが、その春には家庭の安全に関わる問題が表面化した。Nest ProtectのNest Waveは、機器へ向けて腕を振ると、一部の警告音を一時的に止められる機能だった。煩わしい警告へすぐ手を打てる。その動作が火災の最中に起きると、警報をただちに鳴らす妨げになるおそれがあった。[76]
2014年5月、アメリカ消費者製品安全委員会が公表した修理対象は約44万台。Nestは、無線ネットワークにつないだ機器へ自動更新を送り、Nest Waveを無効にした。利用者にも接続と更新の確認を求めた。発表時点で事故やけが、物的損害の報告はなかった。便利に操作するための機能を止め、まず警報器としての仕事を守る対応だった。[76]
買った会社の独立を変える
2015年のAlphabet再編で、NestはGoogleとは別の事業となった。ファデルはその経営を続けたが、2016年6月にCEOを退き、ラリーとAlphabetへの助言を担う立場へ移ると発表する。後任には、Motorolaの経営を経験したマーウァン・ファワズが入った。[75][23]
2018年2月には、NestとGoogleのハードウェア部門を一緒にすると発表した。家の中にはすでに、声に答えるGoogle Assistantや、音楽を流す機器が入っていた。別々の会社にある製品と技術をつなぎ、GoogleのAIを家庭用の機械へ組み込んでいく。[77]
同年7月、Google HomeとNestのチームを、リシ・チャンドラの下へまとめた。会社ごとの独立した経営を重視してAlphabetを作った後で、家庭向けの仕事は、もう1度Googleの中へ寄せる。ファデル、ファワズ、チャンドラと、製品を動かす責任者も交代した。買収で迎えた発明をどう育てるかは、ラリーが会社を分けた後にも組み直され続けた。[77]
29友人と奪い合う研究者
マスクが語る決裂
AIの未来を巡っては、マスクとの関係も変わった。マスクは2023年の対話で、かつてラリーの家に泊まるほど親しかった頃、AIの安全性について議論したと語っている。[78]
その回想によると、人間を守る必要を訴えたマスクへ、ラリーはspeciesistという言葉を使った。人間という種を特別扱いする、という意味だ。マスクはこのやり取りを、Googleへ対抗するAI研究組織が必要だと考えた理由の1つとして説明した。[78]
マスクは、後にOpenAIへイリヤ・サツケヴァーを迎えようとした採用争いが、友情を壊す大きなきっかけだったとも述べた。研究者を誰の会社へ集めるか、AIをどこが主導するか。未来についての友人同士の議論は、研究チームを巡る競争にも変わっていった。[78]
30ハンドルをなくした車
見えなくても乗れる
大学時代から交通を変えたがっていたラリーの会社では、自動運転の研究も進んでいた。小さな丸い車Fireflyは、ハンドルやペダルを持たず、人が運転しない形から設計された。周囲を捉えるセンサーと、故障へ備える仕組みを組み込んだ。[79]

写真:Michael Shick/出典/CC BY-SA 4.0。Commons配信の表示用縮小画像。顔・目線・表情の加工なし。
2015年10月、視覚障害のあるスティーブ・マハンが、アメリカ南部・テキサス州の州都オースティンでFireflyに乗った。車内に運転を引き継ぐ人はいない。自分では運転できない乗客を、車が運ぶ。[79]
実現したのは、多くの研究者と技術者の仕事だった。ラリーが役割を果たしたのは、検索会社の中に、その長い試みを置くことでもあった。後にWaymoとなる仕事は、学生時代に提案した交通の構想とは別の技術を使いながら、人の移動の条件を変えようとしていた。[79][6]
空へ浮かべた通信網
Loonでは成層圏に気球を飛ばし、地上の設備が届きにくい場所へインターネット接続を届けようとした。風の中を飛ぶ装置を制御し、必要な場所へ通信を届ける。チームは、遠い構想を実際に動く装置へ変えた。[80]

写真:Flicker User: iLighter/出典/CC BY 2.0。Commons配信の表示用縮小画像。顔・目線・表情の加工なし。
しかし2021年、事業を終えることになる。技術が動くことと、続けられる値段でサービスを提供することの間に、溝が残った。会社は成果と課題を資料として公開した。[80]
眼鏡の行き先
眼鏡に画面とカメラをつけるGoogle Glassも、一般向けに広く定着するには至らなかった。企業の作業支援などへ軸を移したが、企業向け製品も2023年3月に販売終了、同年9月にGoogleのサポートを終えた。未来を先に見せられても、その製品を長く使い続けてもらえるとは限らなかった。[81][82]

写真:Ted Eytan/出典/CC BY-SA 2.0。Commons配信の表示用縮小画像。顔・目線・表情の加工なし。
31Googleが狭くなる
Alphabetという会社の束
2015年8月、ラリーは新しい親会社Alphabetを作ると発表した。検索や広告、ネット上の中核サービスを担うGoogleは、その完全子会社になる。生命科学や自動運転などは、同じGoogleの中で説明し続けるより、別の経営者が率いる会社として育てる。[23]
ラリーはAlphabetのCEO、ブリンは社長へ移る。GoogleのCEOを任されたのは、Chromeなどを率いてきたスンダー・ピチャイだった。ラリーとブリンは各事業の強い経営者を支え、資金をどう配るかを判断する。自分たちがすべてを直接動かす会社から、複数の会社を育てる組織へ変えた。[23]
同年10月に再編を実施し、Googleと、それ以外の事業をまとめるOther Betsを分けて開示した。検索がいくら稼ぎ、長い研究がどれだけ金を使うかも、別に見えるようになる。夢を増やすだけでなく、その夢へ渡した金と結果を管理する形だった。[83]
32社員が外へ出た日
創造の自由と訴える自由
2018年11月、世界各地のGoogle社員が職場を離れて抗議した。きっかけは、Androidを率いたルービンへの性的な不適切行為の疑惑と、退職時の巨額の支払いに関する報道だった。ルービンは疑惑を否定した。[84]

写真:Grendelkhan/出典/CC BY-SA 4.0。Commons配信の表示用縮小画像。顔・目線・表情の加工なし。
優れた人物が挑戦できる会社の中で、被害を申し立てた人がどう扱われるか。社員はそれを問題にした。同月、Googleは個別の性的嫌がらせや性的暴行の申し立てで仲裁を強制しない方針や、調査の透明性を増す措置を発表した。[85]
GoogleのCEOはピチャイだった。ラリーは親会社AlphabetのCEOであり、創業者だった。自分が行ったとされる行為ではなくても、育ててきた会社の仕組みが社員から問われた。自由な発想を重んじる会社で、声を上げた人たちが求めたのは、自分の訴えを安全に扱ってもらえる職場だった。[85][63]
3321歳になった会社を託す
2人で役職を離れる
2019年12月、ラリーとブリンは共同の手紙を出した。AlphabetとGoogleがそれぞれ動くようになった今、2つのCEOと1人の社長は要らない。ピチャイがGoogleに加えてAlphabetも率いる。創業者2人は日々の経営の役職から退いた。[63]
会社を人間にたとえれば21歳になった。自分たちは、その成長を誇る親のような立場になると書いた。大学院で一緒に機械を動かしていた2人は、研究から会社へ押し出され、その会社をもう自分たちが毎日率いなくてもよい段階まで育てた。[63]
取締役と株主としては残った。[63]
2026年の開示で、ラリーは議決権の強いClass B株を3億8905万1160株持ち、会社全体の議決権の27.4%を保つ。日々の経営を離れても、方針へ及ぼす力は残った。議決権の割合は、会社の経済的な持分の割合とは異なる。[86]
34空の移動は止まる
Kittyhawkの撤退
ラリーは、Alphabetの外でも交通へ資金を出した。Kittyhawkは電動航空機を開発する会社で、Googleの自動運転開発でも知られるセバスチャン・スランが率いた。軽量のFlyerや、垂直離着陸するHeavisideを作った。[87]
だが、2022年9月、Kittyhawkは事業を終える方針を発表する。試作機は飛んでも、人々が日常的に使う移動サービスになる前に、開発を止めた。ラリーの資金と、技術者たちの実績があっても、事業の継続までは保証されなかった。[87]
KittyhawkとBoeingが2019年に作ったWiskは、別に続いた。自律飛行機Coraのチームを引き継いだ会社である。ラリーとKittyhawkは2023年5月にその持分を手放した。空への投資は、1社の成功か失敗かだけでは終わらず、別の事業へ形を変えて残った。[88][89]
35入口が独占と呼ばれる
検索の強さを裁く
2024年、アメリカの連邦地裁は、Googleが検索などの市場で独占を違法に維持したと判断した。問題になったのは、便利な検索を作ったことだけではない。端末やブラウザの標準検索になる契約が、他社が利用者へ届く機会を塞いでいないかが問われた。[90]
Google側は、優れた検索を作り続けたから選ばれたのであり、競争環境もAIなどで変化していると反論した。だが、裁判所は会社が維持してきた市場の仕組みに、是正の条件を課した。[91][90]
2025年9月の措置では、検索などの配布に関わる排他的契約の制限、一定の検索データの提供などが命じられた。Chromeの売却は強制されなかった。入口そのものを売らせるのではなく、競合も入口へ近づけるための条件が置かれた。[90][92]
広告技術は別の事件で争われた。2026年9月、司法省は、Googleの広告製品と競合製品との接続などを求める是正措置を発表した。自社の道具を組み合わせなければ必要な広告へ届きにくい、その構造を開く措置だった。[48]
検索事件の控訴手続きも続く。大学でリンクを集め、情報への道を開こうとした技術は、今度は他社が通れる道を塞いでいないかと問われるようになった。[93][90]
36届ける力を手にした後
次の発明を誰が決めるか
12歳のラリーが苦しんだのは、優れた発明を持ちながら、それを広める資金と事業を得られなかったテスラの結末だった。ラリーはその反対側へ進んだ。検索を作り、広告で稼ぎ、その金で次の研究を続ける企業を育てた。[9][23]
その途中には、大学のネットワークを止めた実験も、売却のまとまらない技術も、消して戻した管理職もあった。自分たちの動画事業よりYouTubeを選び、125億ドル(約1兆9700億円)で買った端末メーカーを手放し、Google+を終えた。成功した入口の隣で、やめる判断も繰り返した。[14][26][46][65][61]
机上の式を、世界の人が使う検索へ変えるには、ブリン、大学、投資家、シュミット、技術者たちが必要だった。やがて、その会社が別の研究者の仕事を続けるための場所になる。ラリーは自分の発明を届かせるだけでなく、ほかの発明へどれだけ金を渡すかを決める立場になった。[1][30][23]
10万ドル(約1576万円)の小切手を受け取る会社すらなかった2人は、その器を作った。今は、その器を使う人も、働く人も、競う会社も世界中にいる。発明を広める力を手にした後、その力で何を残し、誰の道を開くのか。日々の経営から退いても、ラリーが作った会社にはその選択が続いている。[63][90]
参考文献・出典 93件
本文の番号に対応する資料です。本人・関係者のインタビュー、当時の取材、企業の発表を参照しています。
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写真の作者・利用条件・撮影年は各画像の下に記載。取材資料と写真の出典は別々に確認できます。
※ 円換算は2026年11月2日確認のWise表示値(1米ドル=157.6円)を使用。取引当時の為替や物価・購買力を再現するものではありません。 為替出典:USD
本文更新:2026-11-02



