NOBRILO起業家たちの原点と、その物語。

李嘉誠

Li Ka-shing

戦争で香港へ移り、父を失って工場で働いた少年が、プラスチック製造から不動産・港湾・通信へ進んだ。巨額の売却も、失敗した通信事業もある。「長江」を築いた商人の、長い判断の積み重ね。

1928年– / 中国出身 / 金融

物語を読む
李嘉誠をイメージした実写風AI生成画像
李嘉誠の人物イメージ(実写風のAI生成)。本人の実際の写真ではありません。

自分を確立し、私心を離れることを追い求める。

建立自我,追求無我

本人の発言・代表的な理念。日本語訳・英訳は編集部訳。 原文 · 日本語は編集部訳

資産と事業

WEALTH & BUSINESS

推定資産

490億ドル

約7兆7,224億円

主な保有資産

  • CK Hutchison株
  • CK Asset株
  • 香港の家族邸宅

CK Hutchison

CK Hutchison・CK Assetシニアアドバイザー

港湾、通信、小売、インフラなどを国際展開する複合企業。

年間売上

2,800億香港ドル

約5兆6,259億円

CK Asset

創業者・シニアアドバイザー

不動産開発、賃貸、ホテル、インフラ投資などを展開。CK Hutchisonとは別の上場会社。

年間売上

579億香港ドル

約1兆1,639億円

出典・詳しい補足

個人資産と企業の通期売上は異なる対象。関連企業の売上は合算しない。

役職・財務期間・株式の範囲は各出典の時点。企業時価総額を本人の純資産に代用しない。

円換算は2026年11月2日確認のWise表示値(1米ドル=157.6円、1英ポンド=211.0円、1香港ドル=20.09円、1人民元=23.68円、1カナダドル=112.8円)を使用。取引当時の為替や物価・購買力を再現するものではありません。 元通貨の端数処理前の値から計算し、1億円未満を切り捨て。

金額の対象時点・集計範囲

  • CK Hutchison — 年間売上 / 2025-12-31 / 会社公表
  • CK Asset — 年間売上 / 2025年12月期 /

主な保有資産・持分の出典

保有比率は会社の株式に対する開示上の割合です。個人資産全体に占める割合ではありません。議決権とは区別し、算入する株式やオプションの範囲は各出典で示します。

関連事業の確認日:2026-11-01。財務数値の確認日:2026-11-01。金額表示は1億通貨単位未満を切り捨てています。円換算には切り捨て前の元数値を使います。個人資産は保有株式などを含む推計値です。会社の売上は本人の収入や現金残高ではありません。円換算は金額感をつかむための参考で、取引当時の為替や物価を再現したものではありません。投資先・親子会社の売上を合算せず、売却済みの企業は現在の本人保有とは区別します。

THE STARTING CONDITIONS

2つのガチャから見る出発点

高いほど、選べる道や支えが多い。人生の価値ではなく、環境の有利さを表す編集評価です。

時代・場所ガチャなぜこの点数? +36 / 100

幼少期は日中戦争と香港の占領に重なり、安全・食料・医療・学業継続に深刻な制約があった。成人後の香港は貿易と金融の集積が大きな機会となるが、80%を占める若年期の過酷さが残る。

本人の暮らした時代と場所を対象に、0〜24歳を80%、25歳以降を20%として合成。治安・医療・教育・市場・自由を分け、家族の資産や本人の成功を重ねて加点しない。

詳しい評価方法はこちら →
親・環境ガチャなぜこの点数? +40 / 100

教師の父から教育の素地を得た一方、戦争避難、父の病死、就学中断、家計を支える労働が重なった。育つ時期の安全と経済的な支えは厳しく低く評価する。成人後の近しい家族・関係者の協力は別に加え、後の巨富で幼少期を上書きしない。

同時代の世界全体との比較を80%、時代を超えた共通の生活・支援条件を20%で組み合わせる。確認できる事実を基に各軸へ当てはめ、情報がないことを0点として扱わない。

詳しい評価方法はこちら →

THE STORY

李嘉誠の物語

選んだ道。その先で、起きたこと。

01魚のスープを手に入れる

教師の息子が学校を離れる

1928年、李嘉誠は中国南部・広東省の歴史ある町、潮安に生まれた。現在の潮州にあたる。父は教師で校長も務めていた。家で身近だったのは商売の帳簿より勉強だったが、李少年の学ぶ時間は戦争に断ち切られる。[1][2]

李嘉誠の出発点。全体図と拡大図。
李嘉誠の出発点。出生地は広東省潮安、現在の潮州。1940年に家族と香港へ移った。
地理データ:Natural Earth(パブリックドメイン)。 湖の補助データ:© OpenStreetMap contributors(ODbL)。使用データ。現代の地理と都市の代表位置。出生宅・移動経路ではありません。編集部作図。

1940年、家族は戦争を逃れて香港へ移った。頼ったのは親族の時計店だった。夜になると家具を動かし、ほかの働き手と同じ場所で眠る。店が閉まってから寝場所を作り、仕事が始まる前に片づける暮らしだった。[3][4]

1943年、父が結核で亡くなった。十分な治療を受けさせる金がなかった。すでに学校を離れて働いていた李に、家計を支える責任が重くのしかかる。故郷へ戻った母と弟妹に、香港から稼ぎを送った。まだ10代の息子が、その家計を背負った。[3][5][6]

手紙の代筆と引き換えに

工場で働く李にとって、栄養のあるものを食べることも簡単ではなかった。そこで料理係のために手紙を書き、その代わりに魚のスープを分けてもらった。学校で覚えた読み書きが、食べるものと交換できた。[6]

勉強の続きは、香港の古い商業地区にある文咸東街で探した。古本が燃料として売られている。そのまま焼かれる本を読み、中学から大学程度までの知識を独学で補った。働く少年には、授業の時間割も進学の保証もない。手に入る本を使って、自分で先へ進んだ。[7]

李には、いったん働いてから学校へ戻る計画もあった。家族が10年間暮らせるだけの金を貯め、それから勉強を再開する。ところが後に、取引先の破綻でそれまでの利益を失い、その計画は崩れた。商売で成功したから学歴は要らなかった、と初めから割り切っていたわけではない。彼は戻りたかった学校へ戻れず、商売を続けながら学ぶ道を選ぶことになる。[8]

02注文を取る側へ

秘書の欠勤が入口になる

仕事で最初に道を開いたのも読み書きだった。上司の秘書が休んだときに手紙を代筆し、その働きが認められて小さな部署を任される。李はそこで内勤を続けるより、営業へ移りたいと申し出た。工場の中で指示を受けるだけでなく、自分で注文を取る側へ回る。[9]

営業成績は次点の社員の7倍になった。しかし賞与については、その社員と同じ額にしてほしいと頼んだ。本人が挙げた理由は、同僚との間に大きな隔たりを作らないためだった。成績を出すことと、その後も周囲と働けることを一緒に考えた。[9]

17歳で営業、18歳で部門の責任者、19歳で会社をまとめる仕事へ。李が後に振り返った青年期は、役割がめまぐるしく変わる時期だった。年齢に比べて責任が早く回ってきた一方、会社の外で起きる変化までは止められなかった。[10]

販売先が崩れる

1949年、中国向けの取引に依存していた勤務先の事業が急減した。売上の9割が消える規模の変化だった。李は原料や在庫を積み上げていなかったため、会社の損失を抑えられたと説明している。残った商品を整理し、職場の後始末を手伝った。[9]

注文を取る技術があっても、その客がいる市場ごと変わってしまう。若い営業責任者は、それを会社の内側で経験した。品物を持っていることと、支払える金を持っていることは違う。後に李が手元資金へ強くこだわる経営者になる前に、商品が売れなくなる職場を見ていた。[9][11]

035万香港ドル(約100万4500円)の長江

100平方メートルの出発

1950年、李は5万香港ドル(約100万4500円)を資本金にプラスチック工場を始めた。香港島西部の西環にある約100平方メートルの工場に、20数人の従業員。会社には長江という名を付けた。多くの支流を受け入れる大河を、自分の事業に重ねた名前だった。[6][4]

22歳の工場主には、作る仕事も売る仕事も、会社として金を管理する仕事もある。会計の本を読み、自分で帳簿をつけた。監査人に確認してもらい、税務当局へ出す書類まで整える。[9]

作っていたのはプラスチックの玩具や生活用品だった。あるとき、出荷した玩具の買い手が代金を払えなくなった。間に入った会社が補償を申し出たが、李は別の相手へ売れると判断して受け取らなかった。後日、その仲介会社がアメリカの客を紹介する。新しい客は造花を半年分注文した。代金の回収に失敗しかけた取引が、別の大きな注文につながった。[8]

コーラの瓶を機械に変える

設備を揃えるにも工夫が要った。専門誌に載っていたプラスチックの成形機は高い。李はCoca-Colaのガラス瓶の首を切り、成形に使う方法を試した。圧縮した空気で材料を膨らませ、瓶を型にする。36時間の試行を経て、雑誌の機械を買うよりはるかに安く作る方法を見つけた。[8]

遠くの工場が使う設備を写真で知り、そのまま輸入できなければ手元の材料で代わりを考える。仕入れた機械を動かすだけの工場主ではいられなかった。技術の情報を読み、値段を調べ、実際に試す仕事が、注文を引き受けられる量を変えていった。[8]

1955年には約2万平方フィートの工場へ移った。すると退職する従業員から、ここでは以前に3つの工場が失敗している、風水が悪いという警告を受けた。李は工場を動かし続けた。本人の回想では、最初の月だけで年間の運営費にあたる利益が出た。[12]

04造花で海を越える

雑誌にあった次の商品

新しい商品の手掛かりも専門誌にあった。イタリアでプラスチックの造花が人気になっている。李は工場を、その製造へ向け直した。材料を扱う経験はすでにある。変えるのは、その材料から何を作り、どこへ売るかだった。[13]

造花の注文が増えると、客同士の競争も工場へ持ち込まれた。1956年、先に数か月分の生産を約束していたところへ、その顧客のアメリカの競合会社が、もっと有利な条件を出してきた。李はすぐに引き受けず、新しい工場が使える9か月後なら応じられると伝えた。先に受けた注文を押しのけてまで生産を回さなかった。[9]

その顧客との関係は続き、李が初めて持った車は客から贈られたものになった。工場の設備だけでは得られない関係が、注文を守るやり取りの中で積み上がっていく。後に巨大な企業の株を売買する李も、この時期に動かしていたのは工場の生産予定と顧客との約束だった。[9]

最大の客に退席を求める

しかし、大口顧客の要求を何でも受け入れたわけではない。生産のほぼすべてを買っていた取引先で社長が交代し、新社長が値下げを迫った。さらに李の社員を侮辱した。李は机をたたき、相手に出ていくよう求めた。[7]

工場の注文を失いかねない相手だった。それでも李には資金の備えがあり、より高い値段で買いたいという別の顧客もいた。後に本人が挙げたのは、怒りだけで押し切った話ではなく、取引を断れる条件が手元にあったことだった。[7]

数時間後、以前から付き合いのある顧客側の人物、馬素が来た。価格は自主的に30%引き上げられ、関係は続いた。強い買い手に頭を下げ続ける代わりに、社員への扱いをめぐって取引を止める。その判断ができるよう、李は別の注文と現金を持っていた。[7]

05香港の土地へ

工場の外に資産を持つ

1958年、李は不動産の取得を進めた。工場用地に加えて別の物件も持ち、1960年には不動産開発へ入る。借りた場所で商品を作る側から、土地と建物そのものを持つ側へ仕事が広がった。[2][9]

香港は彼の工場から海外へ商品を送り出す港であり、人口と経済が膨らむ街でもあった。造花の注文と別に、建物を建て、売り、貸す仕事を育てる。工場の利益を同じ商品の設備だけへ戻さず、街の成長にも置くようになった。[1][2]

家族をシンガポールへ移す

1967年、香港で騒乱が広がると、李は若い家族をシンガポールへ移した。後の大学での講演では、その時期に静かな生活を送った経験を語っている。香港で事業を続ける経営者にも、家族をどこに住まわせるかという判断があった。[14]

1972年、Cheung Kong Holdingsを上場させた。工場で自ら帳簿をつけていた会社が、証券市場から資金を集める企業になった。次に李が手を伸ばしたのは、自分で工場を増設するより、はるかに大きな仕組みだった。[3]

地下鉄の街へ建物を増やす

仕事を広げる足場には、街の交通も入ってきた。1978年には、香港中心部・中環にあったChina Buildingの再開発を終え、会社の本社もそこへ置いた。1980年に完成するAdmiralty Centreは、地下鉄の金鐘駅近くの大きな共同開発だった。地下を鉄道が通り、地上には人が働く床が増える。輸出する造花の行き先を追っていた会社が、香港で人々の集まる場所を作るようになる。[15]

1977年にはHong Kong Hilton Hotelと商業施設も取得した。後にそのホテルを建て替えた場所が、1999年完成の長江集団センターとなる。古い建物を持ち続けるだけでなく、取り壊し、新しい用途へ変え、本社を移す。香港の街並みの変化そのものが、彼の会社の仕事になっていった。[15]

香港の長江集団センター。2012年10月。
香港の長江集団センター。2012年10月。
写真:ClarkSui/出典/CC BY-SA 3.0。表示用縮小。写り込む商標の権利は各権利者に帰属。

06英国系企業を買う

6億3900万香港ドル(約128億円)の転機

1979年、李は銀行のHSBCからHutchison Whampoaの22.4%を取得した。港湾、小売、不動産などを抱える英国系の企業集団だった。自分で作った小さな製造業とは、出発点も歴史も違う。香港の経済を長く動かしてきた企業の経営へ、中国系実業家の李が入った。[16][3]

取得額は6億3900万香港ドル(約128億円)だったとTIMEは報じている。その大きな株式を買う前日、李は銀行に個人の融資を取り付けた。1979年9月24日、金額は2億香港ドル(約40億円)。自分が借りた金をCheung Kongへ貸し、購入代金の最初の20%を賄うためだった。担保は、本社を置くChina Buildingを保有する会社の株式だった。[17][18]

銀行の担当取締役でさえ、その段階では借入の目的を知らなかった。翌25日の朝、李と同僚の取締役は融資の確認書を受け取りに行く。その同僚も、まだ何のための金か知らなかった。買収が公になる前、資金の準備は、ごく限られた人の間で進んでいた。香港の取引調査報告に残るのは、後の成功から逆算した大胆さではなく、発表前日に借入と担保を整えた具体的な手順だった。[18]

その全部を自分で管理する方法は取らなかった。事業を任される幹部にも、会社の成果と結びつく持分を持たせる。株主の李だけが値上がりを待つのではなく、運営を担う人にも育てる利益が返るようにした。港には港を知る幹部、小売には売場を知る幹部が必要だった。[5]

07第3の息子を作る

教育と医療へ渡す先

1980年、李は財団を設立した。翌1981年からは中国南部・広東省東部の港町、汕頭の大学を支援する。学校を続けられなかった教師の息子が、自分の金を学校へ戻し始めた。[1][19]

李は後に財団を「第3の息子」と呼んだ。実際の2人の息子に加え、資産を受け取る先をもう1つ設けた。慈善活動を気が向いたときの寄付だけにせず、財産を持ち、運用し、使い続ける組織にする。[20]

財団の資金の使い道を、李がすべて1人で決めるわけでもなかった。理事たちが案件を審議し、投票する仕組みを置いた。自分の名前が付いた財団でも、個人の財布と同じようには扱わない。その区切りを、彼は寄付の規模とともに説明していた。[8]

08薬局から世界へ

75店舗を引き継ぐ

1981年、Hutchison Whampoaは小売企業A.S. Watsonを完全子会社にした。当時は食品や日用品などを扱う75店舗。香港で薬を売ってきた会社は、李の企業群の中で、アジアとヨーロッパへ店舗網を広げていく。[21]

Watsonsの健康・美容用品店をはじめ、暮らしの中で繰り返し使われる店を抱える仕事だった。製造業では海外の大口注文が工場を動かしたが、小売では毎日訪れる客が売場を動かす。李の資産の後ろには、種類の違う商売が重なっていった。[21]

香港のWatsons Health。2016年4月。
香港のWatsons Health。2016年4月。
写真:Exploringlife/出典/CC BY-SA 4.0。表示用縮小。

09電気と原油を買う

街が毎日使うもの

1985年、HutchisonはHongkong LandからHongkong Electricの大きな持分を29億香港ドル(約582億円)で買った。香港の家庭や企業へ電気を届ける会社である。土地の値上がりを待つだけでなく、その街で毎日使われる電力にも資金を置いた。[22]

電力会社は1979年に政府と15年間の規制の枠組みを結び、同じ年から地下鉄MTRへも電気を供給していた。香港島の南西に位置する南丫島では、1982年に大型発電機2基が動き始めている。買収した会社は、すでに列車と街の生活を支える設備を持っていた。[23]

値崩れする石油会社へ

海の向こうでは、カナダ西部の資源産業の拠点、カルガリーを本拠とするHusky Oilへ入った。1986年、原油価格が1バレル10ドル(約1,576円)を下回ると、Huskyは操業を縮小し、資産を売却する。翌1987年、李とHutchisonが参加する非公開化が行われた。[24]

借金を抱えた石油会社への投資は、周囲から利益を疑われた。油田を買っても、その翌日から原油価格を上げられるわけではない。李はこの会社を長く持ち、立て直していく側へ回った。Huskyの投資は、安くなった資産を買い、すぐ転売して終わる取引にはならなかった。[25]

10息子のテレビが売れる

アジアへ入りたい男

1991年、次男リチャードがアジア向けの衛星放送Star TVを始めた。Hutchison Whampoaと李家が関わり、国境を越えて番組を届ける事業だった。新しい放送網を作るには金が要る。その資金調達を考えていたところへ、世界のメディア企業が現れる。[26]

相手はNews Corporationを率いるルパート・マードックだった。香港の別の放送局へ入る計画を規制に阻まれ、アジアへの別の入口を探していた。投資銀行Goldman Sachsが助言し、1993年7月、Star TVの63.5%を5億2500万ドル(約827億円)で売却する取引がまとまる。[26]

父の事業を受け継ぐだけでなく、リチャードは新しい放送事業を始め、その持分を世界的な企業へ売った。家族の資本と既存企業の基盤を使える立場にいた息子が、外部の買い手と取引する。李家の次の世代は、すでに父とは別の商談を動かしていた。[26]

11電話の失敗からOrangeへ

Rabbitが終わる

1990年代初め、英国で手掛けた電話サービスRabbitは行き詰まった。無線の接続拠点の近くで使う方式は、携帯電話の普及に追い抜かれる。サービスは1993年12月31日に終了した。造花、不動産、小売と広げてきた李の企業にも、技術の選び方を誤った事業があった。[27][3]

別の通信取引でも、李は交渉相手と衝突した。相手がHutchisonの社員へ横柄な態度を取ったため、李は話を打ち切る。その後、部屋にこもって15分ほど、手元の資金と技術、市場を整理した。売る話をやめた先に、自分たちで携帯電話会社を育てる選択が残った。[3]

それがOrangeへつながった。失敗したRabbitの方式へ資金を出し続けるのでなく、同じ英国の通信市場へ別の事業で挑む。いったん撤退した業界から永久に離れたわけではなかった。[3]

12自宅へ来た誘拐犯

長男に付けられた身代金

1996年5月23日、長男ビクターが誘拐された。李が2013年の取材で明かした経緯によれば、首謀者の張子強は李の自宅まで来て、20億香港ドル(約401億円)を要求した。港も電力会社も持つ父親の前に、息子の命を条件に金を求める男が現れた。[28]

李は10億香港ドル(約200億円)を用意して支払い、ビクターは解放されたという。会社の取引であれば、値段を断り、別の相手を待つこともできる。ここでは、待っているのは事業の好機ではなく息子の帰宅だった。巨額の資産を持つ家族が、その資産を狙った犯罪に直面した。[28]

李の回想には、さらに異様な続きがある。犯人から、金の運用について助言を求める電話まで来た。李は犯罪から離れるよう促したと語っている。後にグループを引き継ぐビクターの経歴には、父から会社を渡された話の前に、この事件があった。[28][29]

13重い原油を使える資源へ

3億1000万カナダドル(約349億円)の設備

1998年にはHuskyが、カナダ中西部の石油産業の街ロイドミンスターにあるBi-Provincial Upgraderの残る50%を、サスカチュワン州政府から3億1000万カナダドル(約349億円)で取得した。重い原油を精製しやすい原油へ変える施設を、すべて持つことになる。環境上の責任も引き継ぎ、価格条件が整う限り、隣接する2州から同量ずつ原料を調達する約束も負った。[30]

141180億香港ドル(約2兆3706億円)の利益

2時間の前にあった準備

李はOrangeの電話を自分でも使い、音声を確かめていた。次世代の通信が始まるなら、同じ規模の顧客を集めるのにいくらかかるか。売却の提案が来るより前から、その計算をしていた。[31]

後に巨額の売却を短時間で決めた理由を問われると、事前に調べてあったからだと答える。面会してから判断までは2時間足らず。短かったのは会議であって、事業を理解するために使った時間まで短かったわけではない。[31][10]

Orangeを手放す

1999年、HutchisonはOrangeの49.01%持分を処分し、1180億香港ドル(約2兆3706億円)の利益を計上した。Rabbitを閉じた会社が、次に作った通信事業では巨大な売却益を得た。同年のHutchison全体の連結純利益は1173億4500万香港ドル(約2兆3574億円)。Orangeの取引が、グループの決算を一変させた。[32]

買い手のドイツの通信企業Mannesmannから受け取ったのは、現金264億香港ドル(約5303億円)、変動金利証券相当214億香港ドル(約4299億円)、さらに同社株10.2%などだった。1180億香港ドル(約2兆3706億円)は会計上の売却益であり、全額を現金で受け取ったわけではない。李個人の財布に同額が入る取引でもなかった。[32]

自分たちで顧客を集めた電話会社を売り、その代わりに買い手の株主になる。売却を決めた後も、受け取った株の値動きは続いた。MannesmannがVodafoneへ統合される過程では株式交換による利益が生じ、通信株の値下がりでは評価損も出る。Orangeを売った瞬間に、その金をめぐる判断が全部終わったわけではなかった。[33]

151900の店を1度に迎える

化粧品売場の向こうに電話がある

2002年8月、A.S. Watsonはオランダの小売企業Kruidvat Groupを買う提案を発表した。金額は約13億ユーロ(約2286億円)。6か国に1900店、2万4000人を抱える会社だった。香港から同じ看板を1店ずつ広げるのでなく、ヨーロッパですでに客が通っている複数の看板を、まとめて傘下へ入れる。[34]

英国の健康・美容用品店Superdrug、オランダとベルギーのKruidvat、香水を扱うICI PARIS XLなどが加わる。グループの小売責任者と売り手側のCEO、ビクターらが並ぶ発表の席には、李もいた。工場で1人の大口顧客へ売る時代から、客が毎日店へ入ってくる流通網を、国ごと引き受ける商談へ変わっていた。[34]

その店には、意外な役割も考えられていた。同時代の報道によれば、グループはSuperdrugの売場の中で、新しいThreeの携帯電話を扱う構想を示した。美容用品を買う客の通う場所が、通信サービスを知ってもらう場所にもなる。[35]

取得は同年10月に進み、年次報告には、年末までの2か月分の利益と現金収入が加わったと記された。英国のSaversも、2002年中に56店を増やして290店を超えていた。会社の所有者が替わる横で、売場を増やし、商品を仕入れ、店へ来る客に売る仕事が続いた。[36]

16また通信に金を入れる

220億ポンド(約4兆6420億円)の競売

2000年、英国の3G免許の入札額は5社合計で220億ポンド(約4兆6420億円)に達した。音声だけでなく、映像やデータを送る新しい通信網を巡って、各社が巨額の金を積む。Hutchisonもここへ入った。一方、ドイツでは価格が高すぎるとして入札を降りた。[37]

李は資金繰りから上限を決めるよう求めた。幹部から慎重すぎると見られても、どの値段でも免許を取るつもりはなかった。Orangeを売って巨額の利益を出した直後にも、次の競売で使える金には線を引いた。[38]

2003年3月3日、Threeが英国で商用サービスを始めた。そこへ至るまで、会社には免許のほかに、まだ顧客も収入もほとんどない時期があった。通信株への熱が冷めた市場で、基地局と技術の開発に必要な金を集めなければならなかった。[37][39]

2001年3月にまとまった調達は32億4000万ポンド(約6836億円)。Nokia、NEC、Siemensによる設備供給側の融資も含まれた。親会社Hutchison自身も銀行団へ加わって金を貸し、もし返せなくなったら銀行より後で回収する条件を受け入れた。電話が売れるという将来像を語るだけでなく、自分たちの返済順位を下げて、外から貸す相手を迎える。新しいネットワークは、工事の前に、その資金の並べ方から作られていた。[37]

赤字を出しながら続ける

2004年上期、3 Groupの利払い・税引き前損失は122億4300万香港ドル(約2459億円)となった。Orangeの利益の後に、次の通信で巨額の損失が出た。通信部門のこの数字と、Hutchison全体の最終損益は別だが、新事業が金を使い続けていたことは決算にはっきり表れた。[40]

港湾、小売、不動産などを持つグループが、この長い立ち上げを支えた。李が以前から強調した手元資金の備えは、利益を守るためだけでなく、新しい事業の損失を負担し続ける局面でも必要になった。Rabbitはやめたが、Threeは続ける。その判断には、技術の将来だけでなく、続けられるだけの会社の体力も関わっていた。[37][11]

会長の隣で働く男

この大きな投資を前へ進めていた経営者が、キャニング・フォクだった。1979年に若い会計の専門家として加わり、1993年からHutchisonの経営を率いた。李の取引を、実際の契約と運営へ変えていく右腕である。[41]

2001年の取材では、フォクはHusky買収の交渉の大詰めで、結婚するために香港へ戻った話も紹介されている。仕事の出張先では、ホテルのピアノでBeethovenを弾いて同僚を驚かせたという。グループの表に立つ李の横には、交渉と現場を引き受ける、別の生活を持つ人間がいた。[41]

Orangeを売った1999年、フォクの給与と賞与は、報道によれば2億600万香港ドル(約41億円)を超えた。前年の3500万香港ドル(約7億円)から大きく増えた額だった。李は会社を買うためだけでなく、その会社で成果を出した経営者にも大きな金を払った。外部の株主へ利益を返す横で、任せた人にも報酬が渡っていく。[42]

17銀行株を慈善へ変える

12億カナダドル(約1353億円)近い売却

2005年1月、李が支配する会社はカナダの銀行CIBC株1700万8928株を、1株70カナダドル(約7,896円)で売った。代金は12億カナダドル(約1353億円)近い。李はその全額を慈善目的へ回すと発表した。大きな株の売却で生まれる金を、今度は買収の軍資金ではなく財団へ渡した。[43]

新しいカナダの財団には、CIBCのCEOだったジョン・ハンキンも理事に入った。財団の資金を李本人や家族、理事の利益のために使うことは認めない。投資先の経営者との関係が、寄付した金の使い方を監督する関係にもなった。[43]

息子に車を買わせた理由

実の息子たちへの金の渡し方にも、李なりの区切りがあった。留学の学費と生活費は別々の口座にし、生活費を使う際には説明させた。だがある日、雨の中で車列を縫って自転車で帰る息子を見て、翌日には免許を取り、丈夫な前年型の新車を買うよう勧めた。節約より安全を優先した。[10]

息子たちが大学へ入る前は、日曜の付き合いを断り、小さなヨットへ連れていった。そこで話をするためだった。船の上なら息子たちも逃げられない、と李は冗談を交えて説明している。金の使い方を管理する父親は、自分の時間も息子たちへ割いていた。[10]

18顧客は増えたが目標には届かない

2005年の解約が残した費用

Threeは、始めれば一気に利益が出る仕事ではなかった。2006年に英国の記者がフォクを取材した時、彼は、2年半で世界の3G加入者が1400万人に達したことを挙げる一方、英国で予定した利益目標にはまだ届かないと認めた。[44]

問題の1つは、2005年の顧客の入れ替わりだった。新しい客を集めながら契約を失う速度も速くなり、引き留めるために、想定より金を使った。利用者数を見せれば、銀行や投資家がすべて納得してくれるわけではない。契約した人が使い続けるようにする費用も、利益を削る。[44]

それでもフォクは、今回の事業を続けると説明した。Huskyへ入った時にも香港の人間に石油が分かるのかと疑われた、と振り返る。李が資金を用意し、その横の経営者が、遅れた数字の理由を説明し、客を残す方法を変える。巨額の投資の中身は、そうした日々の修正でもあった。[44]

19インドの電話を110億8000万ドル(約1兆7462億円)で渡す

英国では続けインドでは売る

英国でThreeの立ち上げを支える間、別の国の通信には出口が来た。2007年2月11日、Hutchison Telecommunications Internationalは、インドの携帯電話事業Hutchison Essarに関わる持分と貸付債権を、Vodafoneへ売る契約を結ぶ。対価は110億8000万ドル(約1兆7462億円)。間接保有を含む経済的な持分は、およそ67%だった。[45]

買収先の会社には、残る持分を持つEssar側もいる。設備と契約者を売り手と買い手の2者だけで受け渡せば済む取引ではなかった。3月、Essar側が権利を主張して訴訟も辞さない構えを示すと、Hutchison側は和解契約を結び、利息を除いて合計4億1500万ドル(約654億円)を支払う対応を取った。会社を売ると決めた後にも、ほかの株主との関係をほどく仕事が残っていた。[46]

取引は5月8日に完了した。翌日の発表で会社が見込んだ税引き前利益は約90億ドル(約1兆4184億円)。Essarへの支払いや、Vodafoneによる3億5200万ドル(約554億円)の留保、費用などを反映した額だった。契約の対価と、最後に利益として残る金は、同じ数字ではなかった。[47]

グループは1株6.75香港ドル(約135円)の特別配当も予定した。港や小売から通信へ金を回してきた会社が、今度は、育ったインド事業から得る金を株主へ返す。英国では次の客を待ちながら費用を払い、インドでは事業を渡して巨額の金を回収する。李の通信投資は、どの国でも一緒に広げ、同じ日に売る商売ではなかった。[47]

20ロンドンへ電気を送る

57億7500万ポンド(約1兆2185億円)の配電網

2010年、インフラ投資会社CK Infrastructureなどの企業連合は、電力大手EDF Energyの英国配電事業を57億7500万ポンド(約1兆2185億円)で取得した。UK Power Networksとして、ロンドンとイングランド南東部、東部の電力網を運営する。香港で電力会社へ出資した企業群が、今度は英国の首都へ電気を送る設備を持った。[48]

当時の規模は約800万顧客、英国の電力供給の約28%。流行の商品を1年で売り切る商売とは違い、地域で長く使われる設備を点検し、更新しながら運営する仕事だった。買収に使う金も、維持に使う金も大きい。李の企業群は、そうした長期の事業を複数の国へ増やした。[48]

2011年にはNorthumbrian Waterの買収も完了する。ただし競争上の規則へ対応するため、すでに持っていたCambridge Waterを売った。水道会社を買い足す一方で、別の水道会社からは手を引く。保有する会社の数をただ増やすのでなく、規制も踏まえて組み合わせを変えた。[49]

21香港を離れるのか

売却が呼ぶ批判

香港や中国本土の資産を売り、海外へ投資する動きが増えると、李は香港や中国から撤退するのではないかと批判された。2013年の取材では、その見方に反論している。市場の条件に合わせて資産を入れ替えるという経営判断が、出身地や国家への姿勢を問う話になった。[50]

同じ年、香港のスーパーParknShopを売ろうとして、途中でやめた。李が説明した理由は、提示された条件に満足できず、新しい展開の構想も見つかったことだった。売却の検討を始めても、価格が合わなければ持ち続ける。香港から全部撤退するという単純な方針では、彼の個々の判断は追えなかった。[50]

港を動かす人が仕事を止める

2013年3月、香港のコンテナ港が集まる葵青で、労働者が賃上げを求めてストライキに入った。李の企業群につながるHongkong International Terminalsが運営するターミナルだった。作業を請け負う会社と、そこで雇われる労働者、港の運営会社、組合。雇用と事業の関係は幾重にも分かれていた。[51]

労働者はターミナル運営会社の直接雇用ではなかったが、仕事が止まれば港全体に影響する。運営会社は、約100隻が同社のターミナルを避けたと説明した。世界へ港湾網を広げたグループの本拠地で、その設備を動かす人々が待遇を問うていた。[52]

5月6日、労働者側は9.8%の賃上げを受け入れ、40日間のストは終わった。港を動かす人々は、仕事を止めることで賃金を引き上げた。李の名前に集まったのは成功への称賛だけではなく、巨大な会社で働く人をどう扱うのかという批判でもあった。[53]

22高すぎる会議設備

2000万香港ドル(約4億円)を別の方法で

李の技術投資を支えたのは、Horizons Venturesのソリナ・チャウらだった。2013年ごろ、テレビ会議設備の導入に2000万香港ドル(約4億円)を要すると聞いたことが、Zoomを調べる入口になったとチャウは説明している。会議をするための設備に、それほどの金が要るのか。別の方法を探すと、インターネットで会議に参加できるサービスがあった。[54]

Horizonsは2013年のZoomの資金調達を主導した。同年9月の発表では、Horizonsのバート・スワンソンが取締役へ入ることも示された。完成した大企業を買う代わりに、まだ育つ途中の会社へ金と人を出す。李自身もサービスを使う側になった。[54][55]

ほかにも音楽配信のSpotify、音声アシスタントのSiri、交通情報を共有するWaze、Facebookなどへ関わった。Facebookへの出資はチャウの提案を受けて決めたもので、人が集まる速さと携帯電話での将来性に目を向けていた。プラスチックの技術を雑誌で読んでいた工場主は、老年になってからも別の世代の技術を買っていた。[13]

鶏を使わない卵へ投資する

2014年には、食べ物を作る若い会社にも資金が向かった。アメリカ西海岸のサンフランシスコで、Josh Tetrickが率いるHampton Creek Foodsである。植物の成分を使い、卵が料理の中で果たす働きを再現しようとしていた。Horizons Venturesが主導した調達額は2300万ドル(約36億円)。Yahoo共同創業者のジェリー・ヤンらも加わった。[56]

売っていたのは、鶏卵を使わないマヨネーズ代替品Just Mayoなどだった。凝固したり、材料を混ぜ合わせたり、膨らませたりする働きを植物から探す。植物の名を聞いて投資するだけではなく、食品会社が大量に使える味、働き、価格へ持っていく事業だった。[56]

李自身も、香港を訪れたTetrickと会い、植物由来のスクランブルエッグを調理した。その様子を創業者が公開したと、当時の報道が伝える。高齢の投資家の前に出てきたのは、決算の紙だけではなく、実際に火を通して試せる食べ物だった。かつて工場で瓶を型へ変えた青年は、今度は、別の材料から日常の商品を作ろうとする若者の買い手になっていた。[57]

自分が先に損を引き受ける

これらの投資は、港や小売店を保有するCK Hutchisonの事業とは別に管理された。2014年、李は、若い会社への投資ではまず自分がリスクを引き受け、事業の危険が下がった段階で元本と利益を財団へ渡す方法を説明している。失敗するかもしれない会社へ財団の金をいきなり入れるのではなく、自分の資金を先に置いた。[58]

技術への関心は、寄付先にも広がった。英国の学術都市オックスフォードでは、医療情報を使って病気を研究する拠点を支援する。イスラエルの工科大学Technionと広東省の大学をつなぐ構想では、研究者と技術が国を越えて集まる場所を作ろうとした。[59][60]

その署名式で李が持ち出したのは、7歳の孫との話だった。魔法の杖があれば何をしたいか。孫は龍を率いる王を望んだ。李が望んだのは、教育と研究の力を広げることだった。会長としての取引の話とは違う場でも、家族との小さなやり取りを、自分の金の使い道へつなげていた。[60]

23店の値札まで調べる

豚肉と世界の店舗網

グループが大きくなっても、李は売場の値段を気にしていた。スーパーの冷蔵豚肉が売れるようになった際には、近所の小さな店との価格差が開きすぎないよう、毎日の市場価格を社員に調べさせたと説明している。買収する会社の値段だけでなく、その会社が何をいくらで売るかにも口を出した。[61]

2014年、HutchisonはA.S. Watsonの24.95%を、シンガポールの投資会社Temasekへ440億香港ドル(約8839億円)で売ると発表した。75店舗から始まった傘下の小売網は、この時点で1万500店舗を超えていた。残す持分は75.05%。すべて手放すのでなく、一部を現金へ変えながら経営を続ける取引だった。[62]

Temasek側も同年4月の取引完了を公表した。客が通う店は営業を続け、その後ろでは巨額の株式売買が進む。李は会社を育てた後も、全部持つか全部売るかのどちらかに固定しなかった。[63]

富の格差で眠れない

巨額の富を築いた本人は、2014年の汕頭大学卒業式で、眠れない理由を問われて富と機会の格差を挙げた。教育を受けられる人と、そこへ届かない人。その隔たりが広がる社会を問題にし、技術や教育、制度への信頼を訴えた。[64]

税についても、企業利益への課税を0.5ポイントほど上げ、その分を学び直しや再訓練へ回す案を支持した。自分の寄付を増やすだけでなく、社会全体で学ぶ機会を支える方法に言及した。富豪の成功談が拍手を集める一方、その富が生まれた社会では、暮らしと機会の差も問われていた。[65]

24渡せる形へ組み替える

2つの上場グループ

大きな再編にも、発表される前の時間があった。2014年の夏の終わり、香港中心部で抗議活動が広がるころ、フォクは会社を組み替える案を進めていた。Reutersが関係者への取材で報じた計画名はProject Diamond。核となる5人のチームと3か月かけて形を作り、実行にはHSBCを迎えた。[66]

2015年1月9日、李が計画を公表すると、Cheung KongとHutchison Whampoaの株価は14%以上上がった。複雑に重なる企業群が分かりにくく、そのため株価が低く評価されるという問題に、会社の形を変えて応える仕事だった。新しい土地を買うのでなく、すでに持つ事業の境界を引き直したのである。[66]

不動産以外の通信、小売、港湾などはCK Hutchisonへ。不動産はCK Propertyへ集め、後にCK Assetとなる。李嘉誠の会社という1つの呼び方の下で、別々に上場する2つのグループが動く形になった。会社の看板を次へ渡す前に、その内側を作り替える人たちの仕事があった。[67]

事業を次世代へ渡す準備は、2012年から公に示していた。長男ビクターが何を引き継ぎ、次男リチャードはどの分野を自分で担うか。李は、50歳を超えた長男を父親がいつまでも採点するのは公平ではないとも話した。任せると言いながら、すべて自分で決め続けるわけにはいかなかった。[61]

買えなかったO2

2016年5月、Threeによる英国の通信会社O2の買収を、欧州委員会が禁止した。通信会社の数が減ることで、料金や競争に悪影響が出ると判断された。長く赤字を支えてきたThreeを大きくする計画も、買い手と売り手の合意だけでは進まなかった。[39]

同じ年、財団は香港の大学入学資格試験DSEを受ける、交通の不便な地域の学生らに直接資金を渡す試みも行った。支援の使い道を施設側ですべて決めず、受け取る学生にも選べる余地を残す。大きな会社を再編する李の仕事と並んで、個人に届く金の渡し方も試されていた。[61]

25会長を辞めた日の果物

長男へ席を渡す

2018年5月、李は会長を退き、ビクターへ引き継いだ。本人はCK HutchisonとCK AssetのSenior Advisorとなる。会社との関係を断つ引退ではなく、会長から助言役へ変わる退任だった。[68][69]

同じ年、長く支えた汕頭大学の名誉主席はリチャードへ引き継いだ。企業の経営と大学の役割を、それぞれの形で次の世代へ渡した。[70]

退任を発表して家へ帰ると、李は龍眼を食べた。中国南部で食べられる丸い果実で、幼いころの家の前にも木があった。香港へ逃れる前の家につながる好物だった。世界へ広がった会社を息子へ渡した日の話は、大きな商談ではなく、その果物で終わる。[7]

17年かけた静かな場所

2019年、香港北部・大埔の山あいで、慈山寺と仏教美術館の開設行事に出席した。17年にわたる取り組みを支えてきた人たちへ感謝を伝え、静かに考えられる場所にしたいと話す。競争のための会社とは別のものにも、長い年月と資金を使っていた。[71]

26街が止まるときの金

46日で届ける

2019年、香港は抗議活動と景気減速で揺れた。小売店や飲食店が打撃を受ける中、李は中小企業支援に10億香港ドル(約200億円)を出すと発表した。同じ時期には、当局に若者との融和を求めた発言が中国側の批判を受ける。李側は言葉を歪められたと反論し、違法行為を容認しないと説明した。[72]

支援は飲食、小売、旅行業、露天商などへ向けられた。財団は手続を簡単にし、46日で4万3000件の申請を処理し、2万8000を超える事業者を支えた。何年もかけて施設を建てる寄付と違い、店が支払いを続けるための金を急いで渡した。[73]

卒業までの学費を出す

2019年6月、汕頭大学では、その年の新入学部生全員について、4〜5年の課程の授業料を奨学金で賄う方針が発表された。李の財団が年1億人民元(約23億円)を出す。入学時だけ援助して終わるのでなく、卒業までの学費を支える計画だった。[19]

1981年から大学へ出した助成は、この時点で累計100億香港ドル(約2009億円)を超えていた。資金は研究棟や設備だけでなく、学生の家計が毎年払う授業料にも届いた。父を亡くし、学校から仕事場へ移った少年の金が、別の家庭の子どもを学校へとどめるために使われる。[19]

27数十年の保有を終える

Huskyが別の会社になる

2021年1月、HuskyはCenovus Energyと統合した。1980年代の原油安の中で入った会社は、2000年にRenaissance Energyと組み合わさって上場企業となり、その後も油田やガス田の事業を広げていた。李の企業群が長く持った資源事業は、さらに別の企業と一緒になった。[24]

買った会社の看板と持分を、同じ形で永久に残すわけではなかった。

公立病院の患者を私立へ

2022年2月、香港で感染症の流行が公立病院を圧迫すると、財団は5000万香港ドル(約10億円)を寄付した。感染症以外の患者を私立病院へ紹介して治療を続けるための金だった。第1段階では、心臓の検査や治療が必要な200人以上を、5つの私立病院へ順に移す計画が立てられた。[74]

患者の負担は公立病院に近い額に抑え、残りを財団が支える。自費の処置が必要な場合の4万香港ドル(約80万3600円)も、特定の公的扶助を受ける患者については財団が負担する仕組みだった。設備が空いている病院があっても、患者が払えなければ使えない。その間を金でつないだ。[74]

ThreeからVodafoneへ

2025年5月、VodafoneとThreeの英国事業が統合を完了した。新会社VodafoneThreeの持分はVodafoneが51%、CK Hutchison側が49%。O2との統合を止められたThreeは、別の相手と別の条件で合併した。[75]

規制当局は通信網への投資と利用者保護の約束を求め、その履行を監視する仕組みを置いた。長くかけて育てた通信事業は、自分たちだけで運営する段階を離れる。[76]

2026年5月、VodafoneはCK Hutchison側に残る49%を43億ポンド(約9073億円)で買う合意を発表した。同年7月30日に取引は完了する。Rabbitの失敗からOrange、Threeと続いた英国の通信投資は、この会社の持分をすべて手放すところまで進んだ。会長を退いた李の後も、後継経営陣による売却と再編は続いている。[77][76]

28港が国家との争いになる

228億ドル(約3兆5932億円)の売却計画

2025年3月4日、CK HutchisonはBlackRock側などと港湾事業売却の原則合意を発表した。対象事業全体の企業価値は228億ドル(約3兆5932億円)。23か国の43港、199バースを含む事業が示され、香港、深圳、中国南部の港を持つHPH Trustと、中国のほかの港は対象から外された。[78]

英国東部の物流拠点、フェリックストウ港も、グループが長く運営してきた港の1つだった。港では貨物を積み下ろす仕事が日々続くが、会社の上では、その港湾網の持ち主を大きく替える交渉が進んでいた。[32][78]

英国フェリックストウ港のコンテナ荷役。2020年11月。
英国フェリックストウ港のコンテナ荷役。2020年11月。
写真:Whippetsgalore/出典/CC BY-SA 4.0。表示用縮小。

228億ドル(約3兆5932億円)は対象資産100%の企業価値であり、李本人が受け取る代金ではない。持分や債務などを調整した後、会社側は190億ドル(約2兆9944億円)を超える資金流入を見込んだ。最終契約や承認など、完了までには手続が残った。[78]

接収された2つの港

対象には、中米の物流の要所パナマ運河の両側にある港の運営も含まれていた。2026年1月、パナマ最高裁は港湾運営契約を違憲と判断。2月23日、政府はBalboaとCristobalの2港を接収した。CK Hutchison側は違法な措置だと反発した。[79][80]

8月、同社は投資条約に基づく仲裁を申し立て、15億ドル(約2364億円)を超える損害賠償を請求したと発表する。違法な接収だったという会社側の主張と、賠償を認める判断は別である。仲裁による決着は、まだこの発表にはなかった。[81]

民間企業同士の巨大な売却交渉が、国家との紛争へ移った。李が会長を退いた後の会社にも、港を持つことで生じる政治と法のリスクが残っていた。

2920分早い時計

自分の席を空けた後

2006年の取材では、毎朝、世界のニュースの一覧が机へ届いていた。題を見て読みたい記事を選ぶと、担当者が翻訳する。手元の電話には、各地の3G事業の数字が送られてきた。大きな会議へ入って初めて報告を聞くのでなく、先に読んで、どこを尋ねるかを決めていた。[82]

その一方で、会議室に置いた木の会計係の像から、玉でできた秤を外してしまったという小さな話も残る。割れるのを心配したためだった。巨額の事業を動かす部屋に、贈り物を壊さず置くための、その人なりの手加減があった。[82]

2002年の取材で、李は時計を20分進めていると話した。世界の港や通信会社を持つ経営者にも、時間を扱う小さな習慣がある。事業を任せる幹部には持分を与え、自分は必要な判断へ関わる。そうやって増やした会社を、最後には息子たちと専門の経営陣へ渡した。[5]

2025年の連結売上は、CK Hutchisonが2800億3600万香港ドル(約5兆6259億円)、CK Assetが579億3500万香港ドル(約1兆1639億円)だった。Forbesが2026年10月31日時点で示した李の推定資産は490億ドル(約7兆7224億円)。魚のスープと引き換えに手紙を書いた少年は、その規模の会社と資産を持つ人生を歩んだ。[83][84][85]

その間には、戻れなかった学校、玩具の代金を払えなくなった客、断った注文、閉じた電話サービスがあった。息子を取り戻すために払った金も、名前の違う会社へ姿を変えた投資もある。手に入れたものを守るだけでなく、売り、渡し、もう1度使い道を決めてきた。

会長の席はすでに空けた。だが彼が渡した会社は、今も会社を売り、国と争い、次の条件を決めている。学ぶために仕事をやめるつもりだった青年の商売は、本人が前面から退いた後も終わらなかった。

参考文献・出典 85件

本文の番号に対応する資料です。本人・関係者のインタビュー、当時の取材、企業の発表を参照しています。

  1. 李嘉誠基金会・創設者紹介 ↩ 本文
  2. 香港大学1986年名誉法学博士授与詞 ↩ 本文
  3. 本人講演「賺錢的藝術」2002-12-19 ↩ 本文
  4. 李嘉誠傳奇 — 商業周刊1047期、成功首部曲/二部曲 ↩ 本文
  5. Bloomberg Markets本人インタビュー2002-12-22 ↩ 本文
  6. 亞洲商業領袖・李嘉誠的另一面2006-10-30 ↩ 本文
  7. Business Weekly本人Q&A ↩ 本文
  8. 知識怎樣轉化為智慧和力量 — 中國青年報 張坤 ↩ 本文
  9. Thoughts Of Li Ka-Shing: 2006-12-04 direct interview edited transcript ↩ 本文
  10. 李嘉誠先生會見香港中文大學EMBA學生之談話內容 ↩ 本文
  11. Li Ka-shing Opens Up About His Early Years — Luisa Kroll ↩ 本文
  12. 亞洲週刊本人インタビュー1999-06-21 ↩ 本文
  13. Russell Flannery: Li Ka-shing’s Midas Touch ↩ 本文
  14. 本人講演 Between Form and Substance, SMU2006-02-24 ↩ 本文
  15. CK Property listing document 2015 — Key Milestones p73 ↩ 本文
  16. CK Hutchison official 1979 milestone ↩ 本文
  17. The Other Handover — TIME, 2005-08-06 ↩ 本文
  18. Hong Kong Insider Dealing Tribunal — Hutchison report p13 paras50–52 ↩ 本文
  19. Li Ka Shing Foundation:Full tuition scholarships,2019-06-16 ↩ 本文
  20. 李嘉誠「第三の息子」財団の講演2006 ↩ 本文
  21. AS Watson official historical milestones ↩ 本文
  22. CK Hutchison official milestones1985 ↩ 本文
  23. HK Electric2013 annual report:125years of development ↩ 本文
  24. Cenovus official Husky history — 1986–2021 milestones ↩ 本文
  25. Hutchison Sphere31 (July2012), Energy / Husky’s New Angle ↩ 本文
  26. Goldman Sachs official history of the 1993 Star TV transaction ↩ 本文
  27. 和記企業里程碑1993 ↩ 本文
  28. Li Ka-shing recalls his son’s kidnapping — SCMP, 2013-11-29 ↩ 本文
  29. Li Ka-shing’s Exit Plan Marks End of Era for Asia’s Tycoons — WSJ, CUHK hosted copy ↩ 本文
  30. Saskatchewan government, sale of BPU interest, 1998-02-19 ↩ 本文
  31. Shantou University Business School Economic Forum ↩ 本文
  32. Hutchison Whampoa FY1999 annual results ↩ 本文
  33. Hutchison Interim2001 Orange/Mannesmann/Vodafone reconciliation ↩ 本文
  34. Hutchison company release — Kruidvat acquisition,22Aug2002 ↩ 本文
  35. The Guardian / Mark Milner — Hutchison buys Superdrug parent,22Aug2002 ↩ 本文
  36. Hutchison FY2002 Operations Review — Retail pp56–57 ↩ 本文
  37. Hutchison Sphere8 March2003 telecom account pp16–17 ↩ 本文
  38. Mr. Li named one of the world’s greatest living business minds by Forbes ↩ 本文
  39. CMA CK Hutchison/O2 UK merger case ↩ 本文
  40. Hutchison Whampoa Interim2004 ↩ 本文
  41. SCMP — East-West spin to Fok tale,11Jun2001 ↩ 本文
  42. SCMP —105m pay for Canning Fok,13Apr2002 ↩ 本文
  43. CIBC share sale / entire proceeds committed to charitable foundations, 2005-01-13 ↩ 本文
  44. The Independent — Day in the life of Canning Fok,18Nov2006 ↩ 本文
  45. HTIL SEC Form6-K February2007 — India sale agreement ↩ 本文
  46. HTIL FY2006 MD&A — post-balance-sheet sale and Essar settlement ↩ 本文
  47. Hutchison Telecom completion release,9May2007 ↩ 本文
  48. CK Infrastructure Annual Report 2010 — UK Power Networks acquisition ↩ 本文
  49. Hutchison Whampoa Annual Report 2011 — infrastructure acquisitions and divestment ↩ 本文
  50. 南方報系集團本人インタビュー2013-11-22 ↩ 本文
  51. UK Foreign Secretary’s six-monthly Hong Kong report, January–June 2013 ↩ 本文
  52. Hong Kong dock strike after 40 days — SCMP, 2013-05-08 ↩ 本文
  53. Hong Kong Yearbook 2013: Calendar of Events, May 6 dock strike conclusion ↩ 本文
  54. Solina Chau interview on the Zoom investment — Caixin Global, 2020-07-07 ↩ 本文
  55. Zoom Series B company announcement, 2013-09-24, VC News Daily reprint ↩ 本文
  56. FoodNavigator / Elaine Watson — Hampton Creek funding,18Feb2014 ↩ 本文
  57. China News / Ming Pao — Li tries plant scrambled egg,19Feb2014 ↩ 本文
  58. The Straits Times Q&A with MrLi ↩ 本文
  59. Li Ka Shing Centre for Health Information and Discovery opening speech, 2013-05-03 ↩ 本文
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  61. Caixin本人Q&A ↩ 本文
  62. HWL Forms Strategic Alliance with Temasek in A.S. Watson, 2014-03-21 ↩ 本文
  63. Temasek FY2014 review — completed investment in AS Watson ↩ 本文
  64. Li Ka-shing: Sleepless in Hong Kong, 2014 commencement speech ↩ 本文
  65. Caixin Online本人インタビュー ↩ 本文
  66. Reuters / Denny Thomas — Canning Fok deal machine,21Jan2015 ↩ 本文
  67. CK Hutchison Interim2015 restructuring notes ↩ 本文
  68. CK Hutchison Senior Advisor official biography ↩ 本文
  69. CK Hutchison Board of Directors, updated2026-08-27 ↩ 本文
  70. 本人最後の汕頭大学卒業式講演2018-06-29 ↩ 本文
  71. Tsz Shan Monastery and Buddhist Art Museum inauguration speech, 2019-03-27 ↩ 本文
  72. Reuters: Li Ka-shing donates to local businesses amid protests, 2019-10-04 (public indexed article text read) ↩ 本文
  73. Li Ka Shing Foundation: Crunch Time Instant Relief Fund, completed programme ↩ 本文
  74. Hong Kong Hospital Authority:donation supporting referrals to private hospitals,2022-02-25 ↩ 本文
  75. VodafoneThree merger completion2025-05-31 ↩ 本文
  76. CMA Vodafone/CK Hutchison JV inquiry updated2026-09-29 ↩ 本文
  77. Vodafone proposed49%buyout2026-05-05 ↩ 本文
  78. CKH port disposal in-principle agreement2025-03-04 ↩ 本文
  79. AP Panama takes control of two ports2026-02-23 ↩ 本文
  80. CKH Panama ports statement2026-03-06 ↩ 本文
  81. CKH treaty arbitration announcement2026-08-20 ↩ 本文
  82. 環球企業家・本人インタビュー2006-10-30 ↩ 本文
  83. CK Hutchison Annual Report FY2025 ↩ 本文
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  85. Forbes Li Ka-shing realtime profile ↩ 本文

写真の作者・利用条件・撮影年は各画像の下に記載。取材資料と写真の出典は別々に確認できます。

※ 円換算は2026年11月2日確認のWise表示値(1米ドル=157.6円、1英ポンド=211.0円、1香港ドル=20.09円、1人民元=23.68円、1CAD=112.8円、1ユーロ=175.9円)を使用。取引当時の為替や物価・購買力を再現するものではありません。 為替出典:USD / GBP / HKD / CNY / CAD / EUR

本文更新:2026-11-02

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